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68:本物の救世主



 セオドリク先生たちが準備を整えている間、私はギルバートと二人別室で待機していた。壁も天井もボロボロで、辛うじて建物の形を保っている部屋からは、空に浮かぶポルタリア城がしっかりと見える。

 あそこに“いる”のだ。この世界を統べる王様も、私をこの世界に連れてきたレジスタンスのリーダーも。



「レジスタンス側の目論見は、ほとんど学院側に筒抜けだったってことなのかな」



 ポルタリア城を見上げながらポツリと呟く。

 クラスメイトのルシアンくんはセオドリク先生と通じていて、ルームメイトのセシリーも私が異世界から来た人間であると把握していた。レジスタンスが一国家を欺けていたと信じていた訳ではないけれど、同時にまさかここまで全てを知られているとも思っていなかった。



「おそらくはアンタに褒章を授ける式典は罠だったんだろう」


「え!? 今の状況も想定内ってこと!?」



 思わずギルバートを振り返る。すると彼は制服についていた埃を払いながら首を振った。



「いや、想定では式典で全員捕縛するつもりだったんだろうな。今のこの状況は予想外だったはずだ」



 私は式典の記憶がほとんどない。一体自分の身に何が起きたのか、未だ不明瞭なままだ。



「私、闇魔法の核にされてたって……」



 探るようにギルバートを見れば、彼は俯いた。まるで私の視線から逃れるように。

 しかしそれでもじっと長い前髪の奥に隠れた瞳を見つめ続けていたら、ギルバートの口から小さなため息と共に言葉が零れ落ちた。



「媒介石から徐々に、アンタの体に闇魔法を送り込んでいた。式典のときのアンタは、人の形をした魔石だった」



 正直なところ、深刻な表情で驚きの事実を告げられたのだということは分かったけれど、その話の内容にはいまいちピンとこなかった。

 おそらく、たぶん、私は“人の形をした魔石”を作るために呼び寄せられたのだろう。あれだけ人を救世主様だなんだとよいしょしていたのは口先だけで、レジスタンスの人々からは人とすら認識されていなかったのではないかと思う。しかしそのことに憤る気力や体力は今の私にはなくて――



「ユーリもレジスタンスの被害者だ。おそらくな」



 しかし次の瞬間、ギルバートの口から放たれた名前には流石に聞き逃さなかった。



「アンタと同じようなことをしようとして、失敗した。闇魔法に体が耐えきれなくなり……あんなことになったんだろう」



 ギルバートも詳しくは知らないような口ぶりだった。しかしユーリがレジスタンスの被害者であることはほぼ確信しているようだった。

 ここでようやくユーリの最後の言葉の真意に気が付いた。逃げて。それはきっと、レジスタンスから、この世界から逃げてという意味だったのではないだろうか。

 アバドになってしまったユーリにどれだけの意識が残っていたのか、また私をどのように認識していたのか、今となっては分からない。私を狙っていたのも襲おうとしていたのではなく、自分と同じ哀れな存在に警告するためだったのかもしれない。それともユーリの意識なんてものはもうとっくに消えていて、ただ弱い者を襲う怪物に成り下がって――

 何も分からない。知る術も残されていない。ただ私にできることは、彼女の魂が救われることを祈ることだけ。おばさまの魂と再び巡り合えたはずと、信じることだけ。

 ポルタリア城を見上げる。たくさんの人の人生を狂わせた元凶が、この世界を歪ませた全てが、あの城の中に“いる”。



「取り戻せるのかな、お城」


「さぁな」



 ギルバートは珍しく投げやりな口調で答えた。見れば長い前髪をかき上げて、ポルタリア城を睨みつけるようにして見上げている。

 不意に紫の瞳がこちらを向いた。真正面から射抜かれるような強い視線を浴びて、私は思わず目を伏せる。



「ただ、アンタに怪我はさせない。約束する」



 その言葉を聞いた瞬間、脳裏に蘇った光景があった。あれは確か――そう、学院で行われた対抗戦の決勝戦。エリート様の妨害で怪我をしてしまったノアくんのかわりに出場しなければならなくなった私に対して、ギルバートはそう誓ってくれたのだ。

 まだ一年も経っていないのに、随分と昔のできごとのような気がする。あのときはエリート様の暴挙に腹を立てていたが――彼らは無事なのだろうか。同じ空の下、不安な気持ちでいるのだろうか。



「……いつかもそんなこと、言ってくれた気がする」


「そうだったか?」



 ギルバートは首を傾げる。照れから誤魔化している様子ではなく、本当に忘れているのだろう。

 あのときギルバートがそう言ってくれたおかげで気持ちがほんの少し楽になったんだけどな――なんて、ほんの少しだけ寂しくなった一方で、今もまた、彼の言葉に心が励まされたのを感じた。大丈夫。ギルバートはきっと、絶対、私を守ってくれる。



「よかったのか。本当に」


「……何が?」



 不意に尋ねられて数瞬反応が遅れた。

 ぽけっと口を半開きの状態で首を傾げれば、鋭い光をたたえたギルバートの瞳に貫かれる。



「戻ってきて。こんなの、利用されているようなもんだろ」



 ――薄々気づいていて、それでも見て見ぬふりをしようとしていたものを、ギルバートは真っすぐすぎる言葉で露にしてしまう。

 私は一瞬言葉に詰まって、しかしギルバートを前に誤魔化すことはできないと諦めの笑みを浮かべた。そしてほんの少しだけ、反撃を試みる。



「それはギルバートも一緒じゃない?」


「俺にはもう、他の選択肢がないだけだ」


「……私もそうだよ」



 そう、私たちには他に選択肢がないのだ。

 元の世界を失った私。レジスタンスに楯突いたギルバート。帰る場所を失った私たちが、それでも生きていたいと願うなら、ポルタリア国に協力するしか選択肢がない。さもなくば反逆者として捕えられるか、裏切り者として殺されるかのどちらかだ。



「選択肢はほぼないようなものだったけど、でも、だからこそ、自分の意志で戻ってきて、自分の意志でここにいるんだって、思いたいの」



 強制されたのではない。消極的選択でもない。私は自分の意志でここにいるのだと、そう気持ちを奮い立たせなければ立っていられない。

 だって本当は、今にも泣き出してしまいそうなのだ。逃げられるものなら、一目散に逃げだしてしまいたい――でも、無力な私には逃げることすら満足にできないだろうから。逃げて結局命を無駄にするぐらいなら、立ち向かって命を散らした方が何倍もいい。



「大切な人たちを守るために、野垂れ死によりはずっとマシだったって思えるように」



 私が弾かれた世界で、必死に母を探して泣いていた“まりあ”という少女。私を知らない友人たち。私を知らない、私が知らない言葉で話す母親。

 彼女たちがどうか、違う空の下、安らかな気持ちでいてくれたら。それだけで私がこの世界に戻ってきた甲斐があるというものだ。無力な私が、彼女たちを救うことができたのだから。

 そしてもし、この世界でも誰かを助けることができなら――



「本物の救世主だな、これじゃあ」



 ふと落とされた言葉に私は目を丸くした。

 救世主なんて私に一番ふさわしくない言葉なのに、そう言ったギルバートの声も表情も真剣そのもので、私は思わず笑ってしまう。



「やめてよ、キャラじゃないって」



 あはは、と大げさに声を上げて笑ってみせる。しかしギルバートはじっと私を見つめたまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。そして、



「紛れもない救世主だ。少なくとも、俺にとっては」



 そう、微笑んだ。

 ――その言葉に私は心があたたかくなって、私にとっての救世主もギルバートなのかも、なんて思ったけれど、口に出すのは恥ずかしさが勝ってやめた。しかし紛れもなく、私は彼の言葉に救われたのだ。



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