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62:ギルバート・ロックフェラー



 ――マリア・カーガを核に、魔法が発動された。

 その魔法がどのようなものなのか、ギルバートは聞かされていない。ただ宙に浮かんだマリアの体を禍々しいオーラが包んでいるのを見るに、ただの魔法でないことは確かだとギルバートの直感が告げていた。

 これから何が起こるのか、ギルバートは知らない。それでよかった。何が起ころうと関係ないのだから。

 ――やることは決まっている。

 人の波を掻き分けて、マリアの許へ駆け寄った。そして足元に氷魔法を展開させながら叫ぶ。



「ルシアン! 来い!」



 呼ばれた彼はすぐさま駆けつけた。その横顔に困惑の色は見られない。やはりルシアンはここで“何か”が起こると察していた側らしい、とギルバートは薄い笑みを口元に浮かべた。

 マリア、ルシアン、そして自分。役者が揃った今、他人に邪魔をされないようにとギルバートはマリアを中心に氷のドームを作り出した。中への侵入を許されたのは三人のみ。レジスタンスも学院側も、全てが終わるまでドームの外でご見学願おう。



「あんたはレジスタンスが何をしでかそうとしているか、とっくに察してるんだろう。だから手伝え」



 端的な言葉で協力を持ちかける。そうすればクラスメイトは――レジスタンス対策本部のルシアン・アッカーソンは驚きに目を丸くした。



「ギルバード、お前……気づいてたのか」



 ルシアンがギルバートとマリアの監視のため、国が差し向けた監視者ということには早い段階で気が付いていた。――正確には、レジスタンスからその旨の報告があった。それにしては積極的にこちらの動向を探る様子がなかったのが気がかりだったが、そんなことはもうどうでもよかった。

 ルシアンとは敵同士にあたる。しかしこの作戦に巻き込める相手は彼しかいないと、ギルバートは確信していた。

 これからギルバートがしようとしていることはレジスタンスに対する裏切りだ。全てが終わった後、どのような罰を受けるか想像もつかなかったが、ギルバートは清々とした気分だった。



「マリアを元の世界に帰す」



 隣でルシアンが息を飲んだ気配がする。その白々しい反応をギルバートは鼻で笑った。



「あんたたちがやろうとしていたことを、俺がやると言っているんだ。あんたらにとっちゃ都合のいい話だと思うがな」



 これはあくまでギルバートの推測に過ぎないが、ギルバートがやらなければルシアンがその任を負っていたはずだ。ポルタリア王側もレジスタンスの動きは概ね把握していて、マリアを使って何かをしでかそうとしている、というところまで突き止めていただろう。だから企みの中心かつ欠かせないピースであるマリアを元の世界に戻してしまおう――と、ギルバートと全く同じことを考えていたに違いない。

 見透かしたように笑うギルバートに、しかしルシアンは驚きの表情を引っ込めないまま、小さく呟いた。



「そんなことすれば、お前の魔力は……」



 言葉を濁したルシアンにギルバートは背を向けた。

 転移魔法は高度な魔法だ。使う魔力の量も桁違い。それ故、一度使えばどれだけ高名な魔法使いでも、持っている魔力を全て使い切ってしまい“干乾びて”しまうと言われていた。

 魔力が絶対視されているこの世界で、魔力を失うことがどんなに恐ろしいことか、ギルバートは知っている。ギルバートだけじゃない。世界中の人間が知っている。だからこそポルタリア王側もレジスタンスの企みに気づきつつも、実際に“事”が起こるまでマリアを元の世界に返すという手段を選ばなかったのだろう。

 ギルバートはなにま国に恩を売りたかった訳ではない。自暴自棄になった訳でもない。これは彼による、人生で初めての“逆襲”だった。

 自分を縛り続けた親に、そしてレジスタンスに。こんな歪な世界を創り出し、保持し続けた王に、この世界そのものに。レジスタンスの思い通りにも、国の思い通りにもさせない。大人たちが考えていた“計画”を全て無茶苦茶にしてやるという、他人から見れば笑ってしまうぐらい幼稚で、反抗期の子ども染みた逆襲だった。

 ――けれどギルバートはこの逆襲に、自分の全てを賭けることを決めていた。



「邪魔が入らないよう、しっかり見張っておけ!」



 話している間にもマリアを包む禍々しいオーラは成長を続けている。氷のドームで今は行く手を遮っているが、あと少しすれば目標ターゲットに向かって行動を起こすだろう。

 ルシアンが魔法で氷のドームを補強していく。いっそうひんやりとした空気がギルバートの頬を刺す。宙に浮かんだマリアを見上げて、ギルバートは足元に魔方陣を展開させた。

 ――転移魔法。これでマリアを、この世界に振り回され続けた哀れな救世主様を、元の世界に返す。



「マリア!」



 大声で呼びかけたが目を開ける様子はない。おそらく媒介石を通して注がれ続けた闇魔法のせいで意識を失っているのだろう。

 転移魔法の魔方陣から光り輝く触手のようなものが伸びて、マリアの体に絡みついた。宙に浮かんでいた体が魔方陣の方へ引き寄せられ、ゆっくりと降りてくる。その体にギルバートが歩み寄ったときだった、マリアの体を包んでいた禍々しいオーラが抵抗するように弾けた。

 衝撃で光り輝く触手がマリアから離れ、ダメージを受けたのか一旦動きが止まってしまった。その瞬間、ギルバートは自身の魔力が凄まじい勢いで吸われていく感覚を味わう。思わずその場に膝をつき、なるほどこれは“干乾びる”訳だと額に浮かんだ汗を拭った。

 ギルバートの魔力を吸いつくした触手は、先ほどよりも更に機敏な動きでマリアの体を掴んだ。禍々しいオーラも負けじと抵抗するように四方八方に暴れていたが、ある時を境に魔力が尽きたのか霧散した。――ギルバートの勝利だ。

 マリアの胸元で輝いていた媒介石の向こう側、レジスタンスのリーダーであるフォイセが唇を噛む様を脳裏に思い浮かべ、ギルバートは清々とした。今まで組織に従順だったギルバートが一番大切な局面で裏切るなんて、彼は想像もしていなかったことだろう。

 両親は世界を恨んでいた。自分たちを見捨てた全てを呪っていた。ギルバートも息子として、彼らの気持ちが全く分からない訳ではなかった。この世界はおかしい。狂っている。ポルタリア魔法学院に入学して、エリートたちの傲慢な言動を実際に目にする度、このままではいけないと、世界の革新を求める己の声が胸の中で大きくなっていった。

 ――けれど。



『ギルバートくん』



 最後の力を振り絞って立ち上がる。鼓膜の奥に蘇った声に導かれるように、“彼女”の許へ近づく。

 ――マリア・カーガ。

 異世界からポルタリア王を殺すためだけに闇魔法で召喚された“救世主”。彼女は幼い頃のギルバートが思い描いていたようなこの世界を救う英雄なんかではなく、ごくごく普通の少女だった。

 目を引くところと言えばせいぜい珍しい黒髪程度で、人混みの中にあっという間に紛れ込んでしまう平凡さ。魔力を持たないが故に守ってやらなければ一瞬で危機に陥ってしまう非力さ。正直言って、マリアを知れば知るほどギルバートは落胆していった。

 この少女に本当に世界を変えることができるのか。なぜ選ばれたのが彼女だったのか――

 実際、マリアは何もできなかった。レジスタンスの企みに多少勘付いた素振りは見せていたものの、解決策を思いつくこともなく、こうしてポルタリア王を陥れるための魔法の“核”にされている。ギルバートやルシアンが動かなければ、ここで命を落としていたことだろう。

 普通の少女だ。何もできない、平々凡々な弱者だ。見捨てるのは簡単だった。革命に必要な犠牲だと、割り切ってしまうことは難しくなかった。

 ――そう、分かっていたのに。



「ギル、バート……?」



 禍々しいオーラから解放され、光に包まれたマリアの瞼が開いた。彼女の体は今にも魔方陣に飲み込まれようとしており、これが最後の邂逅になるとギルバートは理解していた。

 ――全てを諦めてしまったギルバートにとって、非力を嘆き、世界の理不尽に憤り、弱者に手を差し伸べ、強大な力に立ち向かおうと足掻くマリアの姿は、眩しかった。全て受け入れてしまえば楽なのにと哀れに思う一方で、全てを諦めざるを得なかった幼い頃の自分が、少しずつ救われていくような思いだった。

 もし、マリアが傍にいてくれたら。自分の身に降りかかった出来事を嘆いてくれたことだろう。怒ってくれたことだろう。それだけでは何も解決しないのは分かっている。しかし諦めなくていいのだと、怒り嘆いていいのだと、そう声をかけてくれる人が隣にいてくれたのなら、自分は今とは全く違う場所で、全く違う生き方をしていたかもしれない――なんて、ありえない空想を思い描いた。

 まだ、間に合うだろうか。立ち上がるには、遅くないだろうか。すべてを諦めてしまったけれど、最後に、もう一度。自分の心のままに、怒りも嘆きも力にして、この世界に、大人たちに、くそくらえと噛みついて。

 幼稚で、馬鹿みたいな、精一杯の復讐を。



「さよなら」



 最後の言葉をかける。マリアは夢うつつなのか、ぼんやりとギルバートを見つめて――体が魔法陣に飲み込まれる瞬間、彼女の右手がこちらに伸ばされた。

 ギルバートは思わず手を伸ばす。差し出された右手を掴もうとして、宙を切った。マリアの手を掴めなかったギルバートの手は、虚しく地面に落ちた。

 全身から力が抜ける。両膝をついて、脱力するように空を見上げる。氷のドームに大きなひびが入り、隙間から青空が見えた。

 ――マリアは帰ったのだ。元の世界へ。

 彼女の世界には魔法がないと聞いた。多種多様な才能が認められる世界だとも。いったいどんな世界なのだろう。その世界でなら、何も背負わず、何も呪わず、笑うことができるだろうか。

 ――俺も連れて行ってくれと、縋れたら楽だったのに。

 ギルバートは最後まで素直になれなかった自分を自嘲するように口角を上げ、そのまま意識を手放した。



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