61:式典当日
結局私の体調が全快することはないまま、式典当日を迎えることになった。
ブレンダさんたちが私の回復を待って日程をぎりぎりまで引き延ばしてくれていたと聞いたが、この世界の統治者であるポルタリア王を一女子生徒の個人的な理由でこれ以上待たせることはできなかったらしい。
「マリアちゃん、大丈夫?」
しかし幸いなことに、式典の朝はここ数日では一番体が軽かった。起き上がっても眩暈はしないし、体のだるさもほとんどない。ただ――
「うん、体はだるくないんだけど……ちょっと眠気が」
ずっと眠っていたせいか、頭がいまいち冴えきっていなかった。
思考がまとまらず、気を抜けば欠伸がでる。どうにも緊張感がないが、却ってそのおかげでこれから王様と対面するというのにリラックスしていた。
結局、式典で何が起こるのか何も把握できていない。ギルバートは小まめに見舞いに来てくれたがレジスタンスの動きを知らせてくれるはずもなく、もしかしたら何事もなく式典は終わるのではないか、なんて呑気なことを考えてしまうぐらい、私の中の危機感は薄れていた。
――その顔を見るまでは。
「マリア、君は私たちの誇りだよ」
式典の前、案内された控室にやってきた一人の男性。かっちりとした服を着て、髪を撫でつけ、髭まで剃った彼を見て、私は一瞬誰か分からなかった。
固まった私の横で、付き添い人兼護衛を務めてくれるブレンダさんが嬉しそうに声を上げたのだ。
「フォイセ老師!」
――フォイセ。私をこの世界に召喚した、ローブのおじさん。ポルタリア王に反旗を翻すレジスタンスの代表。
どうやらブレンダさんと彼は親しいようで、驚く私を置き去りにして、彼らは楽し気に会話を始めた。その声をどこか遠くに聞きながら、先ほどまでリラックスしきっていた心臓がざわめき始めるのを感じる。
――やっぱり、レジスタンスは動くつもりなのだ。当然だ。彼らがポルタリア王が姿を現すなんて機会を逃すはずがない。
寝たきりだったせいで平和ボケした己を悔やむ。しかし悔やんだところで、この一か月ちょっとで何かできていたかと言われるとNOだ。
(今からでも、ブレンダさんたちに――……)
ちらりと談話するブレンダさんに目線をやったときだった。彼女の肩越しに、フォイセさんと目が合う。
彼の青の瞳はきゅ、と三日月の形に細められて――その奥に潜む底知れない闇に、私は背筋が粟立った。
私みたいな小娘が考えていることなんて彼はお見通しなのだろう。今この場でブレンダさんに真実を告げたところで、彼女はずいぶんとフォイセさんを慕っているようだし、笑えない冗談だと流されてしまう可能性が高い。でも、このままじゃ絶対にダメだ。まだ間に合う。何か打開策を――
そう思い、立ち上がったときだった。突然の眩暈に襲われて、私は再び着席する。
「マリアちゃん、大丈夫?」
すかさず声をかけてくれたのはすぐ横に控えていたセシリーだ。私は彼女の言葉に頷く気力すらなかった。
視界がぐるぐると回る。指先が痺れる感覚がある。おかしい。今までの体調不良とは、明らかに何かが違う――
「式典が始まります」
不意に鼓膜を揺らした聞き慣れない声。そう大きな声でもなかったのに、鼓膜の奥でぐわんぐわんと反響して吐き気がした。
目を閉じる。暗闇の中、「では私はこれで」とフォイセさんの声がした。そして同時に遠ざかっていく気配。小さく扉が閉まった音がしたのと同時に、すっと眩暈が“引いた”。
伏せていた顔を上げる。視界は明瞭で、深く息を吸い込むことができた。
「大丈夫?」
顔を覗き込んできたセシリーは悲痛な表情をしている。彼女にそんな表情をさせてしまうのが悲しくて咄嗟に頷いたが、強がりでもなんでもなく、今の私の体調は至って良好と言えた。
立ち上がる。だるさも、気持ち悪さもない。どこも痛くないし、足元もしっかりとしている。
どう考えてもおかしい。私の体に一体何が起こっている? 何も分からない。なんの想像もつかない。けれど。
――式典の際、すぐ横についていてくれるらしいブレンダさんとセシリーに“言い残した”。
「私を、しっかり見張っていてください」
レジスタンスが今日、何かをしでかそうとしているのなら。
そのきっかけは“私”にある。そう思えてならなかった。
***
式典は学院内に作られた、どこまでも広がる森の入口で行われた。出席者はごく僅か。見知らぬ顔も多かったけれど、その立派な出で立ちから察するにやんごとなきご身分の方だろうと推測する。
私は左右をセシリーとブレンダさんに抱えられるようにして、用意された演台の前まで移動する。その道中、視界に飛び込んできた見知った顔。
生徒は基本後ろにまとめられているらしく、ノアくん、ルシアンくん、ギルバートの三人が最後列に並んでいた。その前にいるのは教師陣で、セオドリク先生と目が合う。そして最前列には貴族たちが並んでいるようで、見知らぬ顔の中にリオノーラさんとウィルフレッド先輩、そしてどういった枠組みかは不明だがフォイセさんが背筋を伸ばして立っていた。
「マリア・カーガ。そなたの功績を讃え、ポルタリア王直々に褒賞を授ける」
演台に辿り着くと、立派な髭を蓄えた男性が高らかに宣言する。両脇のセシリーとブレンダさんが恭しく頭を下げたので、私もそれに倣って深々と腰を落として礼をした。
それから数秒。いつ頭を上げればいいのか分からず、薄目を開けて様子を窺う。――と、そのときだった。頭上から地鳴りのような轟音が聞こえてきたのだ。
私は礼も忘れて空を見上げる。するとそこに“城”があった。
(そ、空からお城が……!?)
つい数秒前までは何もなかったはずのそこに、空を裂くようにして大きな城が現れたのだ。それだけに留まらず空に浮かんだ城は下降を始めており、広々とした森の上に根を下ろそうとしている。
私はその様を唖然と見ていた。王都であるこの街に王城が見当たらないことを不思議に思っていたが、まさか空に隠されていたなんて。
王城はとうとう私の目の前に降りてきた。こう見ると案外小ぶりな作りで――といってもどこまでも広がっていると思われた森を覆いつくしてしまうぐらいには大きいのだが――外壁もゴテゴテと派手な装飾はされていない。この世界を治める“悪王”の根城にしては、ずいぶんと地味なものだった。
大きな門が開く。一番に飛び出してきたのは鎧を身に纏った騎士団と執事服を着た従者で、彼らは道を作るようにして両脇に並んだ。
息も忘れて開いた門の先を見やる。どこからともなくファンファーレが鳴り響き――その人物は現れた。
最初に見えたシルエットはずいぶんと大きかった。しかしそれは本人が大きいのではなく、立派な鎧を全身に身に着けているからだと数秒遅れて理解する。
一歩前へ踏み出す度、ガシャ、ガシャ、と重々しい音が響いた。立派なマントを引きずりながら、ゆっくりと“その人物”は近づいてくる。
(あの人が、ポルタリア王……?)
大きな二本の角があしらわれた兜をかぶっており、顔はいっさい見えない。けれど一歩、また一歩と近づいてくる度、ただ者ではないプレッシャーを感じて肌がびりびりとした。
全身を覆う鎧のせいで本来の体格も顔も見えない。けれど纏っているオーラは紛れもなく“本物”だ。全てを支配する、圧倒的強者だ。
敵うはずがない。倒せるはずがない。本能がそう告げている。強者を前にして、僅かに残った動物的本能が恐怖を叫んでいる。
思わず一歩後ずさった、そのときだった。
――どくん、と、大きく心臓が跳ねた。
ありえない話だが口から心臓が飛び出してしまいそうなほど大きく、しかも短い間隔で何度も跳ねるものだから、私は思わず口元を押さえてその場に蹲る。
「マ、マリアちゃん!?」
動悸がひどい。指先が震える。体が熱い。それなのに、汗は一滴も出ない――。
自分の身に何が起こったのか分からなかった。息が上がる。意識が遠くなる。耳元で聞こえていた誰かの声が突然途切れた。
その場に倒れこむ。重い沈黙が訪れる。薄れる景色の中、自分の指先が目に入った。
指先に、“何か”がまとわりついているのが見えた。ゆらゆらと揺れる“それ”。どこかで見たことがある“それ”――
(黒い、靄――?)
そこで私の意識は途切れた。




