59:体調不良
「疲れが出たのかもしれないわね」
翌朝、養護教諭のドロシア先生が私とセシリーの部屋まで来てくれた。昨晩フラフラ状態で帰った私を見たセシリーは大きな悲鳴を上げて、すぐさまドロシア先生に連絡を取ろうとしたのだが、不運にも先生は既に帰ってしまっていたのだ。そのため朝一番に来てくれて――喉やら目やら心臓の音やらを診た後、先ほどの結論がもたらされた。
疲れが出た。その健診結果には正直心当たりがありすぎる。アバド捕獲作戦、それが終わった後はユーリが残した石の正体を暴くために忙しく、そして昨日の褒章の件で頭を悩ませ――
「栄養をしっかりとってしばらく安静にしておくこと」
そう言葉と薬を残して、ドロシア先生は退室していった。彼女本人は気づかれないようにしていたつもりだろうけれど、ちらちらと時計を何度か確認していたから、朝一番の健診は無理を言ってしまったに違いない。
その後セシリーが作ってくれたおかゆを食べ、ドロシア先生が処方してくれた薬を飲み、心配だから休むと言うセシリーをなだめすかして見送り、私はとにかく眠ることにした。とにかく体調を戻すことを第一に、考えなくちゃいけないあれこれも、これからのことも、全て忘れて。
***
遠くで、料理をしている音が聞こえる。足音が近づいてくる。ことり、と傍らの机に何かが置かれて、甘い香りが鼻孔をくすぐった。
冷たい手のひらが額にくっつけられる。心地よい冷たさに、私は思わずすり寄った。
『うん、熱もだいぶ下がってきたわね』
ふ、と手のひらが離れていく。それが名残惜しくて、寂しくて、思わず縋りそうになったけれど、熱で重たい体を起こすことはできなかった。
『まりあは普段あまり熱を出さない分、一回出ると高熱になっちゃうのよねぇ。小さい頃からそうだった』
女性の声がしみじみと語る。
――あぁ、そうだった。私は幼い頃から体が丈夫な方で、風邪をひくことも少なかった。けれどそのせいか、一度体調を崩すとかなり拗らせるのだ。だから今回の熱も、それなりに長引くと覚悟しておいた方がいいかもしれない。
『まりあ、あなたの好きな蜂蜜入りミルクを作ったから、飲めるようなら飲んでね』
先ほどの甘い香りの正体は、どうやらはちみつだったようだ。
ふかふかの布団。蜂蜜入りホットミルク。私を気にかけてくれる優しい声。
幸せだ。この時間がずっと続けばいいのに。
掛け布団を抱き込むようにして体を丸めてまどろむ。熱が引いたら話をしたい。とっても変な夢を見ていたんだって。きちんと日頃のお礼も言わなきゃ。普段は照れくさくて真正面からありがとうと言えないけれど、今なら言える気がした。
不意に傍らから気配が遠ざかっていく。私ははっとして、沈みかかっていた意識を手繰り寄せた。
待って、行かないで――
「おかあ、さん……」
ぱちり、と目を開ける。そこに立っていたのはエプロンを付けた母の姿――ではなく。
「ギ、ギルバート……?」
驚いた顔でこちらを見下ろすギルバートだった。
数秒、思考も動きも停止する。ここはどこ? 私は何をしていた? ――そうだ、熱で寝込んでいたんだった。でもどうして彼がここに?
そのとき、ぽろりと眦から涙が零れ落ちた。自分が泣いていることに気が付いてはっとなって、止まっていた思考が動き始める。
壁の時計に目をやった。時計の針は夕方四時近くを指しており、おそらくギルバートは学校終わりにお見舞いに来てくれたのだと推測する。それにしてもずいぶんとぐっすり眠っていたらしい。それこそ、母親の夢を見てしまうぐらいに――
「マリア、起きた?」
「ル、ルシアンくん、ノアくん!」
固まった空気を壊してくれたのは、ひょっこりと顔をのぞかせたクラスメイト二人だった。
私が起きたことに気が付いたらしい彼らは、心配そうな表情を浮かべてベッドの近くまでやってくる。ノアくんはその手にホットミルクが入ったカップを持っていたのだが、そこから香るはちみつの甘い香りに、つい先ほどまで見ていた“夢”の正体が明かされたようだった。
蜂蜜入りホットミルク。風邪をひいたとき、必ずお母さんが作ってくれた思い出の味。その香りを私の脳はしっかりと覚えていて、あんな夢を見せたのだろう。
ノアくんが「どうぞ」とカップをこちらに差し出してくる。それを受け取って、私は一口口をつけた。瞬間、優しい甘味が口内に広がってほっと息をつく。
「どうしてみんなが?」
「お見舞いに来てくれたの。はい、マリアちゃん。お昼食べてないでしょ?」
おかゆが乗せられたトレーを持ってセシリーが登場した。彼女はそのトレーをベッド傍の机に一度置くと、母親よろしく濡れたタオルで私の汗を拭ってくれる。
「マリアがいないと第五の教室が寒々しいよ。ゆっくり休んで、早く風邪治して欲しい」
ルシアンくんが苦笑を浮かべて話を始める。そこから今日あった出来事へと話題が膨らんで、賑やかな中でおかゆを食べた。
クラスメイトもセシリーも、私のことを心から心配してくれているようだった。そのことを嬉しく思いつつ、先ほどまで見ていた母親の夢を思い出す。夢の中でも、また会えてうれしかった。そして叶うことなら――夢ではなく現実で、もう一度抱きしめて欲しい。
どうすればこの願いを叶えることができるだろう。まだまだ道は見つからないけれど、とにかく熱が下がったら、アバド対策本部にレジスタンスについて密告するつもりだった。もう私一人の手でどうこうできる段階ではない。
今日一日寝ていた甲斐あってか、セシリーたちと楽しく雑談できるくらいには体調も落ち着いてきている。この調子なら、明日明後日には全快するはずだ。――そう思っていたのに、一週間経っても二週間経っても、私の熱が下がることはなかった。




