53:家族
――意識が浮上する。目覚めは良好で、ぼんやりとした視界のまま、私はゆっくりと体を起こした。
ここはどこだろう。どうして見知らぬ部屋で私は起きたのだろう。いったい何があって――
はっきりとしない記憶を辿っていると、扉が開く音がした。そちらを見やればたった今部屋に入室してきたブレンダさんと目が合う。
思い出した。アバドをおびき寄せる作戦中、体調を崩して倒れてしまったのだ。きっとそのせいで予定が狂ってしまったに違いない。
幸か不幸か、作戦の責任者であるブレンダさんは今目の前にいる。何よりもまず謝らなければとベッドから上半身を起こした状態で頭を下げて――その下げた頭を、ブレンダさんに抱きしめられた。
「ごめんね、マリアちゃん!」
意図せずブレンダさんの胸元に頭突きする形になってしまった。それなりの衝撃だっただろうに、ブレンダさん本人は全く気にする様子はなく、それどころかぎゅうぎゅうと更に強く抱きしめてくる。
「意識ははっきりしてる? 体調は? 動ける?」
「は、はい、大丈夫です。こちらこそすみません」
一応の謝罪はできたが、ブレンダさんは帰りの手続きをしてくるとすぐさま退室していった。ずいぶんと心配をかけてしまったようだ。
そのことを心苦しく思い項垂れていたら、再び扉が開く音がした。それから美味しそうな香りが鼻孔をくすぐる。
誘われるように顔を上げれば、今度は見知らぬ女性と目があった。
「あの、よろしかったら……」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたのは湯気が立つスープ。先ほど鼻孔をくすぐった美味しそうな香りの正体はこのスープだったらしい。
スープを飲みながら、持ってきてくれた女性の様子をちらりと窺う。
おそらくここは、アバド誘導作戦を行った森のすぐ近くにある村だ。森に向かう際に村の人々に挨拶したけれど、その中に彼女の姿もあった。薄桃色の髪を持つ妙齢の女性。――おそらく、ルームメイトのセシリーのお母様。
女性は私がスープを飲み終わるまで出ていくつもりはないらしい。肩にのしかかる重い沈黙に耐えられなくなって、そしてそれ以上に女性が本当にセシリーのお母様なのかが気になって、ついつい問いかけてしまった。
「あの、セシリア・ノークスさんのお母様ですか?」
「……あ、はい」
突然出てきた娘の名前に驚いたのか、多少の間があったが女性は確かに頷く。
――やっぱり!
見知らぬ女性があっという間に友人の母親へと変わり、一気に親しみを覚えた。
「私、ポルタリア魔法学院でセシリアさんとルームメイトなんです。娘さんにはいつもお世話になっていて……」
「はぁ、そうですか……」
――目が合わない。
母親の態度に違和感を覚える。娘の同級生と聞けば、なんというか、もう少し向こうも心を開いてくれるものではないだろうか。いや、もしかするとアバドを捕まえたいなどと突然押しかけてきた私たちのことを快く思っていないのかもしれない。特に目の前のお母様は、アバドに大切な息子を奪われているのだから。
そう判断し、小さな違和感に目を瞑りつつ、食い下がるように続けた。
「セシリアさんはとても優秀で、本当に優しくて。私なんかいっつも迷惑かけてしまって、本当に、申し訳ないくらい――」
「すみません、あの子のことはよく分からないんですよ」
話を遮られる。先ほどまでとは違い、強く厳しい口調だった。
――あの子のことは、よく分からない?
母親の口から放たれた言葉の意味がうまく理解できず、ぽかんと見上げる。すると彼女は私の手からスープが入っていた食器を取り上げ、さっと背を向けた。
そして、
「魔力が強い方はやっぱり、心も強いんですかね」
硬く冷たい口調で言うと、部屋を出ていってしまった。
部屋に残された私は一人唖然としていた。セシリーのお母様の言葉に大きなショックを受けたのだ。
他でもない母親が、セシリーをお腹を痛めて生んだはずの母親が、自分の娘のことを分からないと言った。それだけでなく、まるで他人のことを語るような口ぶりで、突き放すような冷たい声で、弟の夢を受け継いだセシリーのことを、強いと――
(違う。セシリーは弟くんの喪失を抱えながら、それでも前を向いたのに)
確かに前を向けたセシリーは強いのかもしれない。しかし先ほどの母親が言った“強い”は、セシリーに寄り添っているようにはとても聞こえなかった。
まるで――まるで人の心を持たない化け物に向けているように聞こえて。
セシリーの言葉を思い出す。弟を失って、家族も故郷も死んでしまったようだった、と。今もこの村は死んでいるのだろうか。一人この村から出たセシリーだけが生きているのだろうか。生きて村を出たセシリーは、この村の人々からすると、喪失をものともしない自分たちとは違う生物――化け物なのだろうか。
「この世界じゃ、親子の絆なんてものはない」
突如として室内に響いた声にはっと顔を上げる。するといつの間に部屋に入ってきていたのか、ギルバートが腕を組んで壁に寄りかかるようにして立っていた。
「魔力が弱い子どもは世話をしてもらえず、強い子どもは恐れられる。自分にその力を向けられることを恐怖し、機嫌を取るために過剰にかわいがる親も少なくないが」
ギルバートにしては珍しく、苛立ちを表に出していた。吐き捨てるように呟かれた言葉は、彼が生きてきた中で身をもって実感してきた“真実”なのだろう。
セシリーに想いを馳せる。彼女は果たして本当に大切にしてもらっていたのだろうか。あんなにも優しく聡明な彼女が、恐れられていたのだろうか。
こんな世界で一体誰が幸せを掴めるのだろう。魔力が弱い者は虐げられ、魔力が強い者は恐れられる。どんな両親の許に生まれ、どれほどの魔力を持ち、どういった環境で育てば幸せになれる? この世界で幸せなのはもしかするとただ一人、ポルタリアの――
瞬間、ぐらり、と視界が揺れた。膝を立ててそこに頭を乗せ、激しい頭痛をやり過ごす。心臓が嫌な音を立てていた。
「おい、大丈夫か」
「大丈夫、眩暈がしただけ」
暗闇の中、肩にギルバートの手が触れた。そこからじわりとぬくもりが広がって、自分の体がひどく冷えていたことに気が付く。
頭痛がひどい。思考が定まらない。脳みそを掴まれて、そのままガンガンと揺すられているような感覚だ。気持ちが悪い。
「もう少し眠るといい」
「うん……」
横になっても浮遊感に襲われて、ふわふわと落ち着かなかった。まるでよく揺れる船の上で寝ているような気分だ。
この世界の嫌な部分ばかり見えてしまう。大切な人たちが苦しむ姿を想像してしまう。
深入りは危険だ。私はやがてこの世界からいなくなるのだから。暗闇を見つめ続けて、いつか引きずり込まれるようなことになれば――後戻りができなくなる。
余計なことを考えないようさっさと眠ってしまおうとぎゅっと目を瞑る。どうやら体は睡眠を欲していたようで、次第に意識は遠ざかっていった。
――その後、起きて一番に知らされたのは翌週の予定。
どうやら次に向かう“事件現場”は、叔母様が襲われた公園のようだ。




