51:餌
アバド襲撃のせいで、修学旅行は切り上げる形で終了となった。とはいってもどちらにせよ、パーティーの翌日学院へ戻る予定だったのだ。なくなってしまった予定はただ一つ、この国の聖女さまとのお別れだけだった。
個人的な感情としては、この国の象徴である聖女さまともう一度お会いしてみたかったのだが、周りの生徒のピリピリ具合からそんなことを言っている場合ではないと口を噤んだ。大きな力を持つが故、彼らはアバドを人一倍恐れているらしい。
魔力を失えばエリート街道から真っ逆さまなのだから、その気持ちも分かるが。
かくしてなんとも消化不良な形で修学旅行は終わりを迎えた。
学院に戻ったその足で、私はアバド対策本部が使用している資料室へと向かう。学院内で一人で出歩くことはできないため、ギルバートも一緒だ。
資料室の扉を開ければ、偶然かはたまた修学旅行での話を聞きつけていたのか、ウィルフレッド先輩とブレンダさんが揃っていた。
「マリアちゃん、聞いたよ、アバドが修学旅行先で――」
「アバドは私を執拗に追いかけてきました。私を囮にアバドをおびき出せないでしょうか」
気持ちが急いで、挨拶もなしに本題をぶつけてしまう。
――学院へ戻る道すがら、ずっと考えていた。アバドは私を明らかに狙っていた。もしそこに理由があるのならば、アバドをおびき出す“餌”になれないか、と。
「駄目だ! そんなことはさせられない」
突然の提案にもかかわらず、素早くウィルフレッド先輩は反対した。その心を嬉しく思いつつも、今打てる手でこれが最善のはずだという強い確信があった。
以前、ウィルフレッド先輩はアバドを捕獲したいと言っていた。おそらくその正体が本当にユーリかどうか確かめたいのだろう。
捕獲をするには“餌”が必要不可欠だ。“餌”を用意して、姿を現したところを罠にはめる。それが一番確実かつ、被害も出ない最善の手のはず。
「叔母様のためにも、セシリーのためにも、リオノーラさんのためにも。アバドの真実が知りたいんです」
ウィルフレッド先輩を揺さぶるように叔母様たちの名前を口にする。そうすれば彼はぐっと押し黙った。
アバドに対して、今のままではただ待つことしかできない。どこを住処にしているかすら分かっていないのだから。このままではいつまで経っても叔母様やセシリーの弟さんを弔ってあげることができないと、私は焦りを感じ始めていた。そしてそれはウィルフレッド先輩も、そしてブレンダさんをはじめとしたアバド対策本部も同様だろう。
そんな中に現れた、私という“餌”。正直、アバドに狙われたのはただの偶然という可能性もゼロではないが、それでも藁にも縋りたい気持ちの彼らからしてみれば、暗闇に差し込む一筋の光ではないだろうか。
「マリアちゃんに危険が及ばないよう、しっかりとした計画を練ろう。少し時間をくれないかな?」
重い沈黙を破ったのはブレンダさんの凛とした声だった。
はっと顔を上げてブレンダさんを見る。彼女は今までになく真剣な表情でこちらをじっと見つめていた。
――“餌”に名乗りを上げておいて、いざ実際にどうやってアバドをおびき寄せるか、その作戦は全く思いついていない。アバド対策本部であれば今までの襲撃事件を様々な角度から研究しているだろうし、下手に首を突っ込まず“プロ”に任せて、“餌”は“餌”らしく大人しくしていよう。
そう判断し、私は大きく頷き返した。そうすればブレンダさんの表情に笑顔が戻る。
「我々対策本部はあなたの勇気に心からの敬意を示して、できる限りのことをするから」
自分が“餌”になることが最善の道だと確信して進言した。その心に嘘はない。けれど笑顔を向けられた瞬間、これで対策本部からの信頼も勝ち得ることができそうだ、なんて考えが脳裏を一瞬過って――己の打算的な考えに、後ろめたさが一気に膨れ上がった。
嘘をついて利用しようとしている訳じゃない。あくまで私の言動に対する評価をもらえたのだと自分に言い聞かせつつ、懺悔するように、誤魔化すように早口で捲し立てる。
「あの、どうしてアバドが私を狙ってきたかは分からないので……今回のことがあくまでただの偶然で、全然アバドをおびき出せなかったらすみません」
「そのときはそのとき! 別の方法を考えよう」
ブレンダさんの明るい声で張り詰めていた空気が一気に緩む。ウィルフレッド先輩はこちらを気遣うような視線を寄こしつつも笑顔で頷き、研修旅行から帰ってきた私たちを労わるために紅茶を淹れてくださった。
資料室に置くにしては質がいいソファに座り、紅茶を頂きながら研修旅行で遭遇したアバドについて詳しく報告する。しかし既に別のところから彼らの許に報告は上がっていたようで、あまり時間はかからなかった。
「でもどうしてマリアちゃんを狙ったんだろうね?」
アバドについての報告が一段落したところで、ブレンダさんは首を傾げる。
理由については私も知りたいところだ。もしアバドの正体が本当にユーリだとしたら、異世界人同士惹かれ合う“何か”があるのではないか、なんて考えているのだけれど、確証はどこにもない。
それに今の私にとっては狙われた理由よりも、本当にアバドが私を狙っているのかどうか・自分が餌になり得るかどうか、の方が重要だ。意気揚々と立候補しておいていざ作戦を実行したらアバドは姿すら現しませんでした、なんてことになったら恥ずかしいどころの騒ぎではない。
焦りを感じていたとはいえ、我ながら随分と思い切ったことをした。
「命を奪えなかったのが不本意だったのか?」
ウィルフレッド先輩の仮説は残念ながら外れだ。なぜなら私がアバドに襲われた事実はないのだから――と考えて、その真実をいつ明かすべきか頭を悩ませた。
しかしすぐに頭を振って悩みを振り払う。今はとにかくアバドの正体を暴くことを最優先に考えよう。それ以外のことに気を取られて、作戦中に取り返しのつかないミスでもしてしまえば、最悪命に関わってくるのだから。
答えの出ない雑談が盛り上がるはずもなく、そう時間が経たないうちに解散することになった。アバドをおびき寄せる作戦についてはブレンダさんを中心に対策本部で考えてくれるとのことで、私とギルバートはそれまで待機を命じられた。
寮部屋まで戻る道すがら、ギルバートの様子を窺う。
――彼は対策本部で一度も口を開かなかった。背中に突き刺さるような視線を感じることはあったが、私の斜め後ろでじっと口を噤んでいた。
半歩前を行く彼の横顔を見上げる。すると私の視線を感じたからなのか、はたまたずっと考えていたことなのか、彼はようやく口を開いた。
「アバドの正体が分かれば、大人しくするか」
ギルバートは立ち止まって真正面から私を見下ろす。
――彼は私が何もせず、安全な場所でおとなしくしていることを望んでいる。それは無力な救世主さまを気遣ってのことだ。けれどそんな彼に私は声を荒げて反抗した。だからきっと、アバドに関して私が動くことは半ば諦めているのだと思う。
だからこの問いかけは、彼なりの譲歩なのだ。おそらく。
アバドの正体を暴くまでは好き勝手動くのをフォローしてやる、だからそれが終われば大人しくしていろ、と。
「……とりあえずは」
しかし私は曖昧な返答で逃げようとした。アバドの正体が分かった後、何を思い、どうするかはまだ分からないからだ。
もしアバドの正体がユーリだったら? ――きっとじっとしていることなんてできない。なぜユーリがアバドになってしまったのか、その理由を死に物狂いで探るだろう。
もしアバドの正体が知らない誰かだったら? ――そうしたら、私は叔母様の敵を取れたことに安心して、セシリーの弟くんを弔って、ギルバートの望み通りじっとしているだろうか。それともやっぱり、アバドに成り果ててしまった原因を探すだろうか。
分からない。だから、頷くことはしなかった。
そうすればギルバートははぁ、と大きく長いため息をつく。そして、
「どうも不安な返事だが……俺は協力するしかない」
諦めたように呟いた。
確かにギルバートに選択肢はあってないようなものだ。レジスタンスから守れと命令されている救世主さまが危険なことをしようとしているなら、彼は付き合うしかない。もし救世主さまの身に何かあればギルバートが責任を問われるだろう。
さすがに申し訳なくなって、こちらを見下ろす薄紫の瞳から逃げるように俯く。
「ご、ごめんなさい。迷惑かけてばっかりで……」
「そう思うなら、おとなしくしていてくれるとありがたいんだけどな」
もう一度ため息。しかし声音は思っていたより不機嫌さを纏ってはいなくて、私は恐る恐る顔を上げた。
薄紫の瞳と視線が絡む。見つめ合うこと、数秒。
「案外行動派だよな、アンタ」
ぼやくようにこぼしたかと思うと、ギルバートはふいと顔を逸らし、再び歩き出す。――その横顔がいつもより穏やかに見えたのは、私の気のせいだろうか。




