46:オレンジ髪の少女
パーティー主催者側の女性の呼びかけで、ポルタリア魔法学院の生徒は一斉に会場へ移動した。
何メートルもある大きな両開きの扉をくぐり、会場へ一歩足を踏み入れた瞬間、数えきれないほど多くの瞳に見つめられる。誰が来たのかと単純な興味で向けられるものもあれば、凄まじい熱気を纏っているものもあって、私は圧倒されてしまった。
(すっごい見られてる……)
学院の生徒は思い思いにパーティー会場を回りはじめる。そこに我先にと突撃していくご令嬢やご子息の姿を見て、ルシアンくんたちが恐れていたのは“これ”かと納得した。
特に男子生徒に挨拶するご令嬢とそのご両親の張りきり具合がすごい。挨拶を切りあげて生徒側が逃げようとするとさりげなく前に周り、次から次へと話題を振る。ここで婚約を取り決めてやると言わんばかりの熱気だ。
「マリアマリア、あんまり遠くいかないで……」
周りの様子に恐怖を感じたのか、ルシアンくんが随分と情けない声で縋ってくる。
私の右隣にルシアンくん、左隣にノアくん、そして背後にはぴったりとギルバートがついており、私は三方をクラスメイトに囲まれている状態だ。傍から見れば中々に異様な光景だろうが、きちんとマナーを叩きこまれているであろうご令嬢たちは、恨めし気な視線を私に投げかけてくるだけで近づこうとはしない。
どうやら無事、令嬢避けになれているようだ。
「あはは、すごい見られてるね」
「飲み物をとって壁の花になってましょうか」
既に疲れた声音のノアくんの提案に頷く。
「それがいいかも。でも一曲は踊らないといけないんだっけ?」
必須だと言われていたワルツはどのタイミングで踊ることになるのだろう。時間を明確に区切って一斉に踊るのだとしたら、私は誰と踊ればいい? 四人で踊る?
そんな馬鹿げたことを考えながら、私たちは食事が並んだ長机の前にやってきて、思い思いのグラスを手に取った。ルシアンくんは炭酸系、ノアくんは果物のジュース、ギルバートは水、そして私はアイスティーを――
そのときだった。華やかな会場の隅で、一人の少女が複数人の男女に囲まれているのを見つけた。声は聞こえないが、表情はしっかり見える距離だ。囲まれた少女はオレンジ色の髪を揺らし見るからに困っていて、囲んでいる男女はにやにやと薄ら笑いを浮かべている。
見るからに、良くない雰囲気。しかも彼女らが着ているのは、ポルタリア魔法学院の生徒に与えられた礼服。
「……あの子のこと、知ってる?」
思わず私はクラスメイトに問いかけていた。
「どの子?」
「オレンジ色の髪の……絡まれてない? あの子」
気持ち、声を潜めてしまう。後ろめたい訳ではなくて、なんというか――明け透けに言えば、いじめ現場を告発するような気分だったのだ。
私の小声を聞き逃さないようにだろう、ルシアンくんの顔がすぐ真横に降りてくる。彼は腰をかがめ、私の視線の先を辿り、そして。
「あー……第四生徒の」
見つけた“オレンジ髪のあの子”にどうやら心当たりがあったらしい。
第四生徒。つまりは私たちより一つ上のクラスの生徒だ。
「ルシアンくん、知ってるの?」
「うーん、まぁ……」
しかしどうもルシアンくんの歯切れが悪い。「彼女は……」と口をもごもごさせるばかりで、一向にその先を話そうとしない彼にもどかしさを感じていたら、“オレンジ髪のあの子”を囲っていた一人の男子生徒が彼女の肩を突き飛ばした。
よろめく彼女の姿に、カッと腹の底が熱くなる。
「あ! 今突き飛ばされなかった!? あの子、どうしてあんなひどい目に?」
真横のルシアンくんを見やる。しかし彼は複雑そうな表情を浮かべたまま、口を閉ざしていて――背後から、小さなため息が聞こえてきた。
振り返る。そこに立っていたのは不快に顔を顰めたギルバート。彼はその表情のまま、重々しく口を開いた。
「彼女は第四生徒のコリンナ・バグリー。第五生徒をいじめられずにストレスが溜まっている奴らの標的になっているようだ」
「……どういうこと?」
唖然と呟いた問いかけに反応したのは先ほどまで口を閉ざしていたルシアンくんだった。彼もギルバートと同じく端正な顔を歪めており、声音もいつもよりワントーン低く聞こえた。
「対抗戦で二位。成績優秀者一名。んでウルフスタン家と繋がりがある生徒もいる。いじめたらどんな仕返しが待ってるか分からない。落ちこぼれなのに見下せない。ストレスが溜まる。だから発散のために他の標的を見つける――それが彼女だったってこと」
思考が、理解が追い付かない。
ギルバートとルシアンくんの声が鼓膜の奥で反響して、彼らの言葉がぐるぐると脳裏を巡って、それで、
「なにそれ?」
震える声で、その一言だけ絞り出した。
前提からして意味が分からない。どうして第五生徒はいじめられるのか。その第五生徒が力を持った場合、どうして他の生徒はストレスをためるのか。どうして第五生徒以外の標的を見つけ出そうとするのか。どうして彼女だったのか。どうして――
「ここのエリートはそこまでして他人を見下したいの?」
腹の底がぐつぐつ燃える。怒りで顔が真っ赤になって、今にも噴火してしまいそうだ。
髪を引っ張ってきたエリート様。ノアくんをカツアゲしようとしたエリート様。対抗戦で散々妨害してきたエリート様。彼らの姿が脳裏に浮かんでは消えていく。
できることなら、今すぐ彼らの間に割って入りたい。何をしているのかと怒鳴りつけて、人として恥ずかしくないのか問い詰めたい。けれど私はこの世界では無力で、そもそもパーティー会場でそんな騒ぎを起こすことはできそうもなくて。
今私にできること。“オレンジ髪のあの子”――コリンナ・バグリーさんを助けるためにできること。それは何かと自身に問いかける。必死に考えを巡らせ、あたりを見渡し――彼らのすぐ近くにある長机に、美味しそうなケーキが並んでいることに気が付いた。
「……おい、マリア」
私の心の内を見透かしたように、その上で私を制止するように、ギルバートが呼びかけてくる。
ごめん、ギルバート。あなたの判断は正しいんだろうけれど、今は聞いていられそうにない。
「ねぇ、みんな。甘いもの食べたくない? 例えばチョコレートケーキとか」
そう提案して、ちらりとコリンナさんたちの近くに置いてあるケーキに視線をやる。そうすればクラスメイトたちはすぐさま私の視線の先を辿り、“思惑”に気づいてくれたようだった。
「チョコレートケーキ? ……あぁ、オレ、賛成」
「ぼ、僕も!」
ルシアンくんとノアくんは迷わず頷いてくれる。
“思惑”なんて大それた単語を使ったけれど、ただケーキを取りにいく振りをして彼らの近くまでいくだけだ。人気の少ない会場の隅で絡んでいるのを見るに、流石のエリート様も周りの目を気にする部分はあるのだろう。だから私たちが周りの目になりに行く。ただそれだけ。
それに、これは完全に虎の威を借りる狐思考だが、ルシアンくんたちは対抗戦で完膚なきまでに第四生徒を下している。格下を見下そうとする奴は、格上の登場に弱いものだ。たぶん。
クラスメイト二人から同意を得られて気が大きくなった私は、残る一人であるギルバートに笑顔で問いかけた。
「ギルバートくんは? どうする?」
間髪入れずに落とされた大きなため息。そして眉間の深い皺。さしずめ面倒なことに巻き込みやがって、とでも思っているのだろう。
しかし彼は肺の空気を全て出し切った後、
「……チーズケーキなら」
しぶしぶといった様子ながら、頷いてくれた。
ギルバートとしては、救世主さまが危険に飛び込んでいくのを放っておくことはできないだろう。こんな身の程知らずな救世主でごめん。でも私を救世主に選んだのは君のところの偉いおじさんたちだから、恨むならおじさんたちを恨んで。
四人揃ってケーキを取りに向かう。ヒールの音をわざと響かせるように歩けば、コリンナさんを囲んでいた内の一人がこちらに気が付いた。
「いやぁ、美味しそうだねぇ」
聞こえるように普段よりいくらか大きな声でケーキについて言及する。すると他の奴らも私たちの存在に気が付いたのか、はっとした様子でこちらの様子を窺い――目が合ったらしいルシアンくんとギルバートがひと睨み。それで全てが終わった。
(あ、逃げた! 弱!)
コリンナさんを囲んでいた生徒たちはぴゃっと肩を揺らして、その場から足早に逃げていったのだ。狙い通りではあったけれど、相手を選んで喧嘩を売っているという事実が余計に腹立たしい。
その後、私たちはコリンナさんに話しかけるでもなくケーキを堪能することにした。自分たちで言うのも悲しい話だが、彼女が第五生徒と関わっていたなんて他の生徒に知られれば、それだけでいじめられる要因になりかねないからだ。
しかしコリンナさんがこちらの様子を窺っていることには気づいていた。ちらちらと視線を寄こしてくるが、目を合わさないようにしていると、諦めたのかその場から離れる――と、コリンナさんが銀のトレーにグラスをのせ始めた。その数は四つ。これは、もしかして。
予想通り、コリンナさんはトレーを持って近づいてくる。そして私たちの目の前で数回大きな深呼吸をして、大きく頭を下げた――のだが。
「あ、あの! ありがとうございました!」
「あぁっ、こぼしてますこぼしてます!」
頭を下げた勢いで持っていたトレーまで傾いてしまい、盛大に零した。




