44:外の世界の常識
修学旅行二日目。
まずはゴンドラに乗って、陽気なゴンドラ操縦者のおじさんにガイドしてもらいながら、世界一美しい街を一周した。
「そういえば、ノアってセレネア出身だったよな?」
「はい。ただ育ったのはユズリという町ですから、出身と言っていいのかどうか怪しいですけど……」
ゴンドラに乗っている最中、ルシアンくんが思い出したようにノアくんに話を振る。
いつだったか、魔法の実技授業のときに聞いた話だ。情けないことにすっかり失念していたのだが、話を振られた当の本人があまり気乗りしない表情だったので、誰も深く追求せずに別の話題へとうつっていく。
セレネア出身だということは、ここに実家があるのではないかと思う。けれどユズリ町で祖父母に育てられたと言っていたし、あまり実の両親との仲は良好ではないのだろうか――
勘ぐってしまう己の野次馬精神を叱咤して、私は小さく頭を振る。
「お目当ての店はすぐそこだ。それじゃあ、良い一日を!」
ゴンドラで街を一周した後は、少し早い昼食へと向かう。ガイドブックにも掲載されていたこの街の名物・丸焼き鳥を食べられる店だ。
まだお昼前だというのに店内は混み始めていた。早く来て正解だったね、とルシアンくんたちとメニューを眺めながら話していると、
「見て、あれ。ポルタリア魔法学院の生徒でしょ?」
背後から囁き声が聞こえてきて、反射的に振りむこうとした体をぐっと押さえた。
意識せずとも四方八方から視線を感じる。――えー、かっこいい。黒髪初めて見た。声かけちゃおっかな。やめなよ、相手にされないって。制服たかそー。
(やっぱりすごいんだなぁ、ポルタリア魔法学院の看板って……)
ただメニューを眺めて昼食の相談をしているだけなのに、周りの人々はにわかに色めき立っている。やれどこかの国の王子じゃないか、とか、貴族の娘に違いない、だとか、彼らの妄想がどんどん盛り上がっていく様に、思わず笑ってしまった。
丸焼き鳥をメインに、サイドメニューで気になったものをいくつか頼んだ。すると数分で料理が提供され、あまりの速さに私は目を瞬かせる。
――明らかに“優先”された。だって私たちより先に着席していた周りの客の料理はまだ出てきていない。
「どうぞ、召し上がって下さい」
しかし店員はさも当然といった顔でにっこりと笑い、周りの客も特に気にしている様子はない。しまいには別の店員が「サービスです」と頼んでいないはずのジュースまで持ってくる始末。
――強者に媚びを売ろうとしているのか、はたまた未来のエリートを労わる純粋な好意なのか、そもそもこれがこの世界の常識なのか、まるで分からなかったけれど、魔力至上主義の一端を垣間見たような気がした。
私は戸惑い、クラスメイトを見た。しかし彼らは驚いている素振りもなく、「ありがとうございます」と嬉しそうに奉仕を受け入れている。その光景に――なぜだろう、ショックを受けた。
(いくら学院では馬鹿にされてても、ずっとこういう扱いを受けてきたエリートだもんね……)
やっぱり自分はこの世界の常識にいつまで経っても染まれそうにない。
誰に咎められているわけでもないのに、身を縮こまらせて食事をした。楽しみにしていたはずの丸焼き鳥の味は、全く分からなかった。
***
食事を終えて一休みした後、私たちは改めて大聖堂へとやってきていた。
壁に飾られた“聖女様”の肖像画を見上げながら、ふと疑問に思う。
(聖女様ってどうやって選ばれるんだろう。血筋? 能力?)
王様のように代々聖女の血筋が続いてきたのか、それとも生まれ育ちは関係なく能力で選ばれるのか。
ふと隣に誰かがやってきた気配がする。他人だった場合を想定し、ちらりと視線だけでそちらを窺えば、ギルバートが聖女の肖像画を見上げていた。
数秒、無言で並んで肖像画を眺める。
「ねぇ、ギルバートくん。聖女様ってどうやって選ばれるのか知ってる?」
「さぁな。国家機密だ」
どうやら明かされていないらしい。残念ではあるが想定内の答えだったので、小さく肩を落とすだけに留める。
「やっぱそういう系かー。持ってる魔力も強いのかな?」
「癒しの力を持っているらしいが、誰も見たことない」
随分と謎に包まれた人物のようだ。しかし一方で、謎に包まれているからこそ信仰の対象になるのだろう、とも思う。
「なんか、大変そうだね。こんなに若いのに、沢山の人から信仰の対象にされて……」
「アンタもああなるかもしれないぞ。救世主サマ」
「やめてよ、キャラじゃないって」
聖女と自分を重ね合わせていた私の心の内を見透かしたようなことをギルバートが言うものだから、ドキリとして早口で否定する。
そう、私は救世主なんて“キャラじゃない”。だっていたって普通の、無力な小娘だ。謎と神秘に包まれた聖女と違ってボロは出しまくり、ミスも犯しまくりで人間味に溢れている。信仰の対象に耐えうる存在ではない。
そんなこと、きっとレジスタンスの人々がよく分かっているはずだ。ましてやこの世界で一番時間を共にしていると言っても過言ではないギルバートは、日々身をもって実感しているだろうに。
「……ねぇ、ギルバートくんはさ、私が救世主になると思う?」
「なってもらわなきゃ困る」
思いのほか強い返事が返ってきて、私はぐっと顎を引いて俯いた。
「私なんか、救世主の器じゃないよ」
俯いたままぼやく。
「……立場が人を変える。アンタも救世主になれば、その肩書きに相応しい人物になろうと努力するだろ」
「私はただの学生でいたいよ。ただの学生にしかなれないよ。それが一番幸せだよ。幸せだったのに……」
弱音がぽろぽろとこぼれてしまう。こんなこと、ギルバートに言ってもなんの意味もないのに。
長い長い沈黙。傍らのギルバートが離れていった気配がする。私の愚痴に付き合っていられないと呆れてしまったのだろうか。
一人になってもなお、私は俯いたままだった。うまく気持ちを切り替えることができない。
再び足音が近づいてきた。今度は誰だろうと僅かに顔を上げ――目前に差し出されたのは、淡い色使いで描かれた大聖堂の絵葉書。
「そこの絵描きから買った。この聖堂の絵葉書だそうだ」
ギルバートの声だ。
「俺はアンタの不安に共感してやれない。アンタの望みを聞いてやれない。ただアンタが救世主である限りは、必ず守る」
――もしかして、慰めようとしてくれてる? この絵葉書も、そのために?
顔を上げてギルバートを見やる。彼は真っすぐこちらを見つめていた。
やけに真剣な表情に、ギルバートの心からの言葉だと理解すると共に、なんだか笑えてきてしまう。
(慰め方、下手だなぁ)
それでも嬉しいと思ってしまったのは、それだけ私の心が落ち込んでいたということなのか、それとも。
聖女様の肖像画を見上げる。彼女を彩る唯一の色である青の瞳が、優しくこちらを見下ろしているように見えた。




