40:かけがえのない親友
リオノーラさんに連れられて向かった先は彼女の寮部屋だった。
随分と緊張した面持ちでこちらを見つめるリオノーラさんに、私は生唾を飲み込む。彼女の緊張がうつったようだ。
――呼び出された理由には正直、心当たりがある。おそらくは叔母様の、そしてアバドのことについてだろう。今私たちが共有している話題といえば、これぐらいしかないのだから。
「貴女、最近お兄様と一緒にアバド対策部隊に入り浸っているようだけれど、どこまで知っているのかしら?」
「どこまで、とは?」
予想していた通りの問いかけにどきりとしつつ、下手なことを言ってしまう可能性を恐れて、私は探るようにリオノーラさんの蜂蜜色の瞳を覗き込む。普段は凛と前を見つめている瞳が、ひどく揺れていた。
「……あなたは、アバドの正体を知っているの?」
――叔母様の口からアバドはユーリかもしれないと告げられたとき、その場にリオノーラさんはいなかった。アバド対策本部でも、彼女の姿を見たことはない。
だから、きっと、おそらく、ウィルフレッド先輩たちはアバドの正体について、リオノーラさんに告げていない。意図的に隠しているのだ。私に探りをいれてきたことからしてもそれは明らかと言えるだろう。
リオノーラさんとユーリの関係について、深くは知らない。しかし髪色が同じなだけの私を何度か助けてくれたり、ほぼ初対面の私に必死に頭を下げたことからして、親しい友人だったのではないか、と思う。ウィルフレッド先輩がリオノーラさんにアバドの正体――まだ確定ではないが――について教えないのも、大切な妹を慮ってのことに違いない。
だから私がここで口を滑らせるわけにはいかない――
「わ、私の口からは、何も……」
「アバドの正体がユーリだというのは本当なの!?」
声を荒げて、必死の形相でリオノーラさんが詰め寄ってきた。
背後で従者であるモニカさんが「お嬢様!」と慌てたように声を上げ、制止する。
「ユーリが叔母様を殺したの!?」
「お嬢様、落ち着いてください! お嬢様!」
目の前で蜂蜜色の瞳が潤む。
何も答えずに黙っているというのは罪悪感がじくじくと痛んだが、アバドの正体がユーリであるかどうか、まだ確証はないのだ。今ここで無責任なことを言うわけにもいかないと、私は下唇を噛みしめた。
「あの子が、誰よりも優しいあの子が、どうして……!」
リオノーラさんは両手で顔を覆って、とうとうその場に泣き崩れてしまった。
そう、もしアバドの正体がユーリであるのなら、なぜそうなってしまったか、という大きな疑問が浮上してくるのだ。大人しく叔母様たちに愛されていたユーリがなぜ、闇魔法、もしくはそれに似た恐ろしい魔法を使って人々を襲っているのか。いったい彼女に、何があったのか。
――なんて、今はそんなことを考えている場合ではない。私は目の前で蹲って泣くリオノーラさんに寄り添おうと、すぐ横にしゃがみ込んだ。そして高貴な身分であるお嬢様に軽々しく触れていいものかと躊躇ったものの、震える華奢な肩を見ていられなくなって、思わず背中にそっと手を置く。
不敬だと思いつつ、慰めるように背中をさする。そうすれば次第に嗚咽は小さくなっていき、指と指の隙間から、泣きすぎて真っ赤になってしまった目が覗いた。
「……取り乱してごめんなさい」
「いえ。お気になさらないでください」
安心させるようにぎこちなく微笑む。私にできるのはこれぐらいしかない。
リオノーラさんは友人であるユーリを失い、そしてつい最近叔母様も失ったのだ。大切な人たちを次々と失っていく喪失感は耐え難いものだろう。声を上げて泣くことで少しでも気持ちが晴れるのなら、私はただ傍にいることしかできないけれど、いくらでも付き合おう。
「私、ユーリがはじめての友人でしたの。この身分で、この性格ですから、同世代のお友達ができなくて……」
ぽつり、ぽつり、と語り始めるリオノーラさん。
公爵家のご令嬢ともなれば、そのやんごとなきご身分故に同世代の友人ができないのも無理はないだろう。性格に関しては友人を作る上でそこまでネックになりそうには思えないが、凛とした姿は高嶺の花のような存在に見えて、近寄りがたい部分はあるかもしれない。
「最初はユーリも私のことを怖がっていて、けれど次第に、話をするようになって……」
リオノーラさんはいつもより幼い口調でユーリとの思い出を語る。
初めて友人と食事を共にした日のこと。買い物に出かけた日のこと。日が沈むまで遊んだ日のこと。同じベッドで眠った日のこと。
たくさんの初めてをユーリからもらったのだとリオノーラさんは言った。
とても良い友人同士だったのだ。いや、親友と言っていいだろう。記憶を失くしたユーリにとっても、リオノーラさんは“初めての友人”であったはずだ。
脳裏に浮かんだ元の世界の友人たち。彼女たちもまた、いなくなった私を惜しんでくれているだろうか。
記憶の中の声が、今は遠い。どんな声で友人たちは私を呼んでいたのか、もう定かではなかった。
「リオノーラさんとユーリは、かけがえのない親友なんですね」
心からの羨望を込めてそう言った。ある日突然離れ離れになっても深い絆で結ばれているリオノーラさんとユーリが羨ましかった。
私の言葉にリオノーラさんははにかむ。頬を僅かに染めて、面映ゆそうに、嬉しそうに、大切な人を慈しむように。
――その後、二人で大きく柔らかなソファに並んで腰かけて、リオノーラさんとユーリの思い出話について教えてもらった。
***
寮部屋のチャイムが鳴る。どうやらモニカさんが対応してくれたようで、扉が開く音に振り返れば、
「あれ、ギルバートくん」
寄り添ってソファに座る私たちを、驚きに目を丸くして見下ろすギルバートの姿がそこにあった。
――なぜ彼がここに?
驚いていると、隣のリオノーラさんが立ち上がる。そして私に向かって微笑んだ。目はまだ赤かったが、先ほどよりもいくらか晴れ晴れとした表情に見えた。
「モニカに頼んで呼んでいましたの。……本当に今日はごめんなさい、マリアさん。ありがとう」
私の記憶が正しければ、リオノーラさんがモニカさんにそのような指示をした覚えはないし、そもそもモニカさんはずっとこの部屋にいたはず。おそらくは魔法でやり取りをしていたのだろうけれど、何も知らなかった私は狐につままれたような気分だ。
しかし気遣いは嬉しかったため、特に何を言うわけでもなく、リオノーラさんの控えめな笑顔に見送られて、ギルバートと二人退室した。
私の寮部屋までは女子寮の階段を降りるだけで、この数分のためにギルバートは呼び出されたのかと思うとさすがに申し訳ない。しかし送り迎えについて謝罪すると彼はめんどくさそうに顔を顰めると知っていたので、喉元まで出かかった謝罪の言葉は飲み込んだ。
いつもの沈黙。こちらを全く見ない、いつものギルバート。その“日常”に私の気は緩んで、ふと、脳裏に浮かんだ疑問が口をついて出てしまった。
「ねぇ、ギルバートくん、アバドってなんなんだろうね」
レジスタンスの一員である彼から闇魔法について探ろうとか、そんなことを考えていたわけじゃない。ただただ疑問だったのだ。
突然現れた謎の化け物。なぜ“それ”は人々を襲い、魔力も命すらも奪っていくのか。
その正体はユーリなのか。だとしたらどうして、なぜ――
疑問は尽きることがなくて、ギルバートが答えを持っているはずもないと分かっていたのに、気づけば問いかけてしまった。
ちらり、と薄紫色の瞳がこちらを一瞥する。そして、
「化け物か、あるいは愚かな人間たちへの罰か。そんな風に言われてるな」
思いもよらない返答が与えられた。
「……罰?」
「魔力に縋りすぎた人間たちへの罰だ」
吐き捨てるようにギルバートは言う。
――魔力に縋りすぎた、人間たちへの、罰。
そうだとしたら、その罰は誰が与えているのだろう。人々に魔力を与えた創造神が、今の世界に絶望して、今度は人々から魔力を取り上げようとしているのだろうか。
(罰を与えるなら、叔母様やセシリーより、相応しい相手がいるはずなのに)
脳裏に浮かんだ“相応しい相手”とは、この国の――
ハッと我に返り、思考を振り払うように大きく頭を振る。そしてこれ以上余計なことを考えないように、今日の夕食のメニューに思いを馳せた。




