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39:修学旅行



「修学旅行?」



 その話題はある日唐突に、ルシアンくんからもたらされた。

 暑さも落ち着いてきたゲルトルーデの月――元の世界で言う、九月。一年生全員参加となる三泊四日の修学旅行があるらしい。



「そっ、もうそろそろ」


「どこにいくの?」


「世界一美しい国・セレネア」


「へぇー……随分と優雅だね」



 世界一美しい国とはまた随分と大きく出たものだ。過剰な宣伝文句が独り歩きし、実際に訪れてみるとそこまででもなかった――なんて悲しい事例も珍しくないが、はてさてセレネアは本当に世界一美しいのだろうか。

 ここ最近、アバドの件をはじめとして気が重くなるできごとが多かった。もちろんそれらを全て忘れることなどできないけれど、それでも久しぶりの明るい話題に心はいくらか浮足立った――のだが。



「ところでマリア、マリアはワルツ踊れるのか?」


「へっ?」



 なぜ修学旅行の話から突然ワルツに話題が飛んだのだろう。

 ルシアンくんの問いかけの意味が分からず、私は首を傾げた。すると彼はさも当然といった表情と口調で続ける。



「修学旅行先で立食パーティーが開かれて、一曲はノルマらしい。まぁオレたちのことなんか誰も見てないだろうから、サボっても何も言われないだろうけどさ」


「え、え、パーティーでワルツ踊らなきゃいけないの!?」


「一応はな」



 立食パーティーが開かれる修学旅行も、ワルツ一曲がノルマに課せられている修学旅行も、元の世界では聞いたことがない!

 浮足立っていた心がにわかに焦りを覚える。ただでさえエリート様から見下されている第五生徒わたしが、ワルツが踊れず無様に転びでもしたら――少なくとも一年は笑いものにされる!



「踊れるどころか一度も踊ったことないよ!」


「あっはは、まぁいいんじゃないの。オレららしいし」



 焦る私とは対照的にルシアンくんは大らかに笑う。

 オレららしい、なんてルシアンくんはまるで自分もワルツを踊れないような口ぶりだが、それにしては落ち着きはらっている。きっと彼は踊れるのだろう。もしかすると、ノアくんやギルバートも踊れる?

 いくら世界一の魔法学院に通うエリートといえど、ワルツが必修科目なんて優雅にもほどがある。突然自分が置かれている立場の分不相応さを実感し、体を縮こまらせていると、



「ほら、マリア、手」


「うわわっ」



 ルシアンくんにぐい、と手を引かれて、そのままホールドの形を取らされた。そしてあっちへこっちへ振り回される。

 彼のエスコートはやけに手馴れていた。何も分からない私を力強くリードし、足を突っかけた瞬間転ばないように優しく方向転換。それでいてできるかぎり体を密着させないように、という心遣いも感じる。

 爽やかイケメンであるルシアンくんは、もしかすると女性を泣かせた過去が――なんて、彼は元の世界で言う高校一年生なのだから、そんなことあるはずがない。



「おお、上手いじゃん。マリア、運動神経結構いいよな」


「ただ振り回されてるだけ……」



 褒めてくれるのは嬉しいものの、ルシアンくんの足を踏まないようにするだけで精一杯だ。これでは先が思いやられる。修学旅行までにワルツの教室に通った方がいいだろうか。そもそもワルツの教室ってあるの? 授業料は? バイトを探すべき?

 周る景色を必死に追いながら、つらつらと取り留めなく考えを巡らせていたときだった。

 ――パチパチパチ。

 背後から聞こえてきた乾いた音は、おそらく拍手だ。私は慌てて音のした方を振り返る。すると第五教室の薄汚れた入口に、輝かしいオーラを放つリオノーラお嬢様が立っていた。



「素敵でしたわ」


「リ、リオノーラさん……」



 ワルツとも呼べない拙いステップを正真正銘のお嬢様に見られたことが恥ずかしい。

 ――と、そこで思いついた。リオノーラさんにワルツを習えばいいのでは? 公爵家のお嬢様である彼女は当然ワルツも華麗に踊れるだろうし、立食パーティーの振る舞いも心得ているだろう。いやらしい話だが、リオノーラさんは私の頼みを無下にはできないはず――



「マリアさん、少しよろしいかしら?」



 硬い声で問いかけられて、嫌な予感が背筋を駆け抜ける。

 なぜリオノーラさんがわざわざ第五生徒の教室までやってきたのか。なぜ思い詰めた表情で私を呼び寄せるのか。蜂蜜色の瞳が揺れる、その理由はいったい。

 ――叔母様、そして、アバドの正体。

 脳裏に浮かんだ可能性に、修学旅行でいくらか浮足立っていた心は、すっかり落ち着いてしまった。



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