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37:セシリーの弟



 異世界に召喚されて初めての夏季休暇はあっという間に、何事もなく過ぎ去っていった。

 朝起きて、適当に外をぶらついて、時折レジスタンスの人々と交流して、沈みゆく夕日をぼんやりと眺めながら一日が終わっていく。娯楽もなければ収穫もなく、闇魔法についての文献を見つけることができないまま、呆気なく終わりを迎えた。



(とくにかくまずはユーリを探す。それで学院や対策本部の人たちと信頼関係を築いて、それで……)



 レジスタンスからポルタリア学院へ向かう馬車の中で、これからどうするべきか考える。

 隣に座っているギルバートは冷めた表情で窓の外を眺めていた。



(でも闇魔法について、結局文献も見つけられなかったし……ギルバートを泣き落とす? いや無理だ……)



 可能か不可能かはひとまずおいておくとして、アバドの正体を暴き、ユーリの行方を調べ、その中で対策本部からの信頼を勝ち得る――というのが理想的な流れだ。そして十分な信頼関係を築いた上で、自分の正体を明かし、レジスタンスから保護してもらう。

 どうにかこのルートに乗りたいのだが、



(あ、でも、ポルタリア王の秘密とか聞かされちゃってるから、それがばれたら国に処分されるかも……?)



 おそらくフォイセさんから聞かされたポルタリア王の真実――その正体は最初の従者の一人で、強大な魔力を持ってどうにかこうにか生きながらえている――は一般に公開されていないだろう。もしかすると、国家機密レベルだ。

 知ってはならない事実を知ってしまったとして、秘密裏に“処理”されたり――



「マリアちゃん、大丈夫?」



 ゴールは遠くに見えているのに、そこに至る道が深い闇に隠されているような感覚に悶々としていると、完璧な美少女フェイスが顔を覗き込んできた。ルームメイトのセシリーだ。考え込むあまり、いつの間にか馬車から降りて、自分の寮部屋までたどり着いたものの玄関に突っ立っていたらしい。

 荷物を持ったまま、私は「へ?」と間抜けな声を上げた。



「さっきから百面相してたよ? 大丈夫?」


「あ、いやぁ、ちょっと、色々考えてて……」


「今朝の新聞のこと?」



 ――今朝の新聞?

 全く予想していなかった方面から話題を振られて、私は再び「え?」と戸惑いの声をこぼす。するとセシリーは表情を曇らせ、この部屋には私たちしかいないのに、まるで内緒話をするように声を潜めて教えてくれた。



「アバドの被害者がまた出たって……」


「え、あ、そうなの?」



 話に全くついていけない。しかし新たなアバドの犠牲者が出たとなると、詳しく話を聞きたいところだ。

 私はようやく玄関から動き、手に持っていた荷物を取り急ぎクロゼットに押し込む。そして洗面所で手洗いうがいを済ませてリビングに戻ると、セシリーが新聞を用意して待ってくれていた。

 受け取った新聞の一面には、“アバド被害、再び!”という見出しがでかでかと踊っている。



「本当だ……」



 どうやら今回の被害者は妙齢の女性のようだ。既に命を落としており、悲しみに暮れる遺族のインタビューまで載っていた。

 一通り記事を読み込んだ後、顔を上げる。セシリーは揺れる瞳でこちらを見つめていた。



「セシリーはアバドについてどう思う?」


「どう思うって?」



 それは正直いってなんとなく、思いつきからの問いかけだったが、逆に質問されて焦りながら取り繕う。



「あ、いやー……ほら、私、記憶喪失じゃん? だからアバドが世間を賑わせ始めたときとか、どう思ってたっけなーと思って」



 セシリーは黙ったまま答えない。不快にさせてしまっただろうかと心配になり、慌てて謝罪した。



「ごめん。急に変なこと聞いて」


「ううん。あのね……聞いてくれる?」



 小さく首を振ったセシリー。私が「うん?」と首を傾げれば、彼女は大きく深呼吸をして、再び口を開いた。



「わたしの弟、アバドに魔力を奪われたの」


「えっ」



 彼女の口から聞かされた事実に、私は言葉を失った。

 ――セシリーの弟が、アバドの被害者? そんなの初耳だ。しかしだとしたら私の先ほどの問いはとんでもなく無神経なものだったのでは。

 一人で青ざめる私にセシリーは気にしないで、というように薄く微笑んだ。こんなときにも相手のことを思いやれる彼女は気遣いの塊のような子だ。



「五人目の被害者だった。森に遊びに行って、そのまま……帰ってこなかった」



 帰ってこなかった。それはつまり、セシリーの弟さんは魔力と共に命も失ったのだろう。

 セシリーはリビングの椅子に腰かけて、私にも座るように促した。いつものように机を挟んで向かいの席に座りかけたが、少しでも彼女の傍にいたくて、椅子を移動させてすぐ隣に座る。

 うっとおしく思われないかと一瞬不安だったが、セシリーの横顔がほっとしたように緩んだのを見て、この選択は間違っていなかったと私もまた安堵した。



「年の離れた弟でね、わたしより活発で、やんちゃだけど正義感が強くて、沢山の人に愛されてた。わたしも弟のことが大好きだった」



 淡々と、感情の読めない声でセシリーは続ける。



「弟が亡くなってから、親も故郷もみんな、死んでしまったようだった。アバドは弟だけじゃなくて、周りの人の生きる気力も未来への希望も、全部全部奪っていった」



 アバドに大切な人を奪われた遺族の悲痛な叫びに胸が苦しくなる。正体不明の“化け物”がこの世界に残した傷は大きく、そして深い。

 正直異世界人である私は彼らの恐怖や傷に心から寄り添うことはできないけれど――生まれた世界が違う以上、感覚の相違はどうしようもない――友人が悲しむ顔を見たくないという思いは、どの世界も共通だろう。膝の上で震えているセシリーの握りこぶしに思わず手を重ねれば、彼女は僅かに微笑んだ。



「このままだとわたしも死んじゃいそうで怖かった。優しい弟はそんなこと望まないと思った。それで……彼が夢にしていた教師を目指すことにしたの。何か目標を立てないと、立っていられなかったから」



 いつか語ってくれたセシリーの将来の夢。それは亡くなってしまった弟さんから受け継いだものだったのだ。

 ――そのとき、夏季休暇中にフォイセさんから教えられた“真実”を思い出した。ポルタリア魔法学院の卒業生の多くが、そのまま国に雇われ、ポルタリア王延命のために魔力を捧げることになる、と。

 この話を聞いたとき、セシリーの夢が叶わない可能性を考えて恐ろしくなった。学年主席である彼女の力を国は欲するに違いない。けれどどうか、国は無理強いをせず、彼女の選択を尊重して欲しいと心から願った。

 どうか信じさせて欲しい。そこまでこの世界は腐敗していないと、セシリーと弟さんの夢を潰すようなことはしない、と。



「今でもお母さんたちは死んだような毎日を暮らしてる。いつまでもアバドに囚われてる」



 そこで一旦言葉を切って、セシリーは口元を歪に上げた。



「わたしが弟の夢を叶えることで、少しでも何かが変わるのなら……」



 ほんの少し、語尾が震えた。泣きそうな声だった。

 セシリーは今も大きな喪失感を抱えている。それでも賢明に日々を生きている。その姿は尊く、そして眩しく見えた。それと同時に、心が奮い立たされるような思いだった。

 アバドに奪われたものは戻らない。叔母様も、セシリーの弟も。しかしそれでも、強く前を向いて進むことで、何かが変わるのなら。



(このまま足踏みしてたら、何も変わらない。闇魔法について、もう一度レジスタンスを探ってみよう)



 叔母様、そしてセシリー。この世界で私を温かく迎え入れてくれた二人のために、例え自己満足と言われようと、アバドの正体を暴きたい。そう強く思った。



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