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35:ポルタリア王の真実



 朝食を終えた後、何をする訳でもなくぼうっとしていたら、窓の向こうから子どもたちの声が聞こえてきた。その声に誘われるように私は部屋を出て、更に外へ出る。

 大きな大樹の根本に複数人の子どもと、その親と思われる大人が集まっていた。

 彼らは私の姿に気が付いたらしい。子どもたちが一斉にこちらに駆け寄ってくる。



「あっ、きゅーせいしゅさまー!」


「こんにちはー!」



 無邪気な笑顔を向けられて、私は戸惑いつつも「こんにちは」と返した。救世主さま、と呼び掛けられることにまだ慣れていない。

 子どもたちに腕を引かれ、大樹が作ってくれた日陰へと招かれる。すると赤ん坊を抱いた母親が素早い動きで近寄ってきた。



「救世主さま、どうか我が子に祝福をお与えください」


「へ?」


「先日生まれた子です。この世界の未来を担う希望です。救世主さまからの祝福をどうか……」



 母親がこちらに赤ん坊を差し出してくる。懇願するような母親とは対照的に、当の本人は眠たそうに瞳をしばたたかせていた。

 祝福を与えて欲しいと言われてもどうすればいいのか分からず、そもそも自分がそんな大層な真似をできるとも思えず、その場で固まってしまう。



「しゅ、祝福って……」


「抱き上げて、声をかけてあげれば良いのですよ」



 不意に背後から割って入ってきた男性の声に、私はその場で飛び上がった。

 振り返れば、この世界に召喚されて初めて出会った第一村人であるローブおじさんがそこに立っていた。今日はあの怪しい真っ黒なローブは身に着けておらず、白シャツがまぶしい爽やかな出で立ちだ。

 ローブおじさんは私に子どもを抱くように促した。母親の期待に溢れた視線を受け流すこともできず、私は言われるままに赤子を受け取り、そっとその頭を撫でてやる。



「よ、よーしよし、元気に育つんだぞー」



 ――この子も、成長すればイルマやギルバートのようになるのだろうか。

 力加減を間違えれば怪我をさせてしまいそうなほどか弱い存在を抱き続けるのは恐ろしくて、私は早々に母親に赤子を返した。そうすれば彼女はうっすらと目に涙を浮かべて頭を下げる。



「ありがとうございます!」



 なぜあの母親はレジスタンスに入ったのだろう。自分の子どもをレジスタンスに入れることに躊躇いはないのだろうか。

 当然本人に問いかけることはできず、離れていく親と子どもたちをぼんやり眺めていた。

 気づけば大樹の元には、私とローブおじさんの二人だけが残された。



「彼らはこの国の未来を担う、希望です」



 ローブおじさんは離れていく子どもたちの背中を眺めながら、ゆっくりと呟く。その声音からは子どもたちへの愛情を感じられて、私は不思議な気持ちを抱いた。

 この世界の王様に反旗を翻そうとしているローブおじさんも、他人を想い、子を慈しむ心を持ち、穏やかな時間を過ごしているのだと――

 そこでふと、隣に佇むローブおじさんの名前を知らないことに思い至った。レジスタンスの中ではギルバート、イルマの次に関わりの深い人物だから、名前を呼べないのは些か不便だ。



「あの、お名前をお聞きしていなくて……」



 おずおずと切り出せば、ローブおじさんは僅かに目を丸くしたかと思うと、口元に苦笑を滲ませる。そして何かに躊躇う素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。



「あぁ、そうでしたな。申し訳ありません。私は自分の名前が好きではなくて……フォイセと申します」


「フォイセ……」



 その名には聞き覚えがあった。なぜって、フォイセという名は――



「月の名前にもなっている、最初の従者の一人と同じ名です。聡明で、実直で、常に主人のためにあったと言われているフォイセにあやかって、両親がつけたそうです。彼のような人物になってほしいと」



 そう、この世界では四月のことをフォイセの月と呼ぶのだ。私がポルタリア魔法学院に入学したのも、フォイセの月のできごとだった。



「今思えば随分な皮肉ですな」



 ローブおじさん――フォイセさんは苦笑を深めた。表にこそ出さないものの、内心で深く同意する。

 彼が説明してくれた通り、フォイセはレジスタンスが倒そうとしている悪王・ポルタリア王の祖先である創造神に仕えていた従者の一人だ。レジスタンスのリーダーとも言えるローブおじさんが名乗っていい名前ではないような気もするが、まさか彼のご両親も将来自分の息子が反逆者になるとは思うまい。



「救世主さま、学院の生活はいかがですか」



 顔も名前も知らないフォイセさんの両親に想いを馳せていたら、問いが飛んできた。

 ギルバートを通してだいたいは把握しているだろうと予想していたため、嘘はつかずに、しかし曖昧な表現でぼやかす。エリート様に対する愚痴でも漏らせば、“仲間”だと思われかねないと危惧してのことだ。



「まぁ、それなりに……。色々揉まれてますが」


「ははは、あの学院は昔から変わりませんな。愚かなことです」



 先ほど子どもたちに向けた愛に満ちた声と全く同じトーンで、フォイセさんはポルタリア学院を罵倒する。それがなんだか余計に恐ろしかった。



「学院を卒業した生徒がどの組織でどのように働くことになるか、ご存知ですかな?」


「い、いえ」



 首を振る。

 実際、学院の卒業生がどのような職業に就くのか見当もつかなかったが、魔力至上主義のこの世界では引っ張りだこの存在になるのだろう。セシリーは先生になりたいと将来の夢を語っていたが、彼女の夢もきっと叶うはず――



「多くの者はそのままポルタリア国家に雇われます。そして決して他の者には明かしてはならぬ、重大な任に就くのです」


「重大な任?」



 私がぼんやりと抱いていたイメージは、フォイセさんの穏やかな声で紡がれた“真実”によって形を変えていく。



「永き歳月を生きるポルタリア王の体の維持のために、その魔力を捧げるのです」


「……へ?」



 その言葉の意味を、すぐに理解できなかった。

 ――ポルタリア王のために、魔力を捧げる?

 おそらくは相当間抜けな顔でフォイセさんを見上げていたのだろう。彼はほんの少しだけ、愉快だというように片眉を上げて続けた。



「ポルタリア王は創造神の末裔ではなく、創造神から直々に魔力を授かった人間です。――何千年という時を生き続けている、最初の従者の一人」



 イルマから聞いた話と違う。

 彼女はポルタリア王を、創造神の末裔だと言った。そして自分たちを創造神の従者の末裔だと。

 話についていけず、私はぽかんと口を半開きにしたまま、ただフォイセさんの話を聞くに徹する。



「本当は十四人の従者がいたのですよ。そのうちの一人、飛び抜けて優秀な者に神はすべての力を授け、この世界の王としたのです。彼はそれからずっと生きている。強大な魔力で、腐りかけている体をどうにか保たせているのです」


「そ、そんなこと、可能なんですか」



 まず一番に浮かんだ疑問がそれだった。いくら創造神から力を授かっていようと、そして莫大な魔力でその身を支えていようと、人間が何千年もの永き時を生きることは可能なのか、と。魔法のない世界で生まれ育った私には、到底信じられない話だった。

 私の問いかけを受けてフォイセさんは口元から笑みを消し、忌々し気に虚空を睨みつける。彼が初めて私に見せた、憎悪の表情だった。



「可能にするためにポルタリア魔法学院を作り、世界中から優秀な魔術師を集めているのです。あの学院を出た優秀な魔術師はその力を民のために使うことはせず、ただ王のために使うのですよ」



 ――ポルタリア魔法学院は、“そんなこと”のために作られたのか。もしかしたらセシリーの夢も、ポルタリア王のせいで叶えられないかもしれないのか。

 告げられた真実に対し、私が真っ先に抱いた感情は紛れもない、この世界への“失望”だった。



「そもそもポルタリア王に触れた者は罰せられます。ですから彼は子孫をなすことが叶わなかったのです」


「あ、そういえばイルマがそんなことを……」



 この世界の人々が王に触れようとすると内側からはじけ飛ぶ――そんなことをイルマが言っていた。だから異世界から来た私が必要なのだ、と。

 もしその話が真実なら、確かにポルタリア王はこの世界の人を伴侶に迎え、子を成すことはできないだろう。触れ合うことすらできないのだから。

 子孫を残せない。だから当人を魔力で強引に長生きさせる。――そこまでして、ポルタリア王は生き延びなければならない存在なのだろうか? 他の者に王座を譲っては何か不都合があるのだろうか?

 おそらく“そう”しなければならない事情がポルタリア王側にもあるのだろうけれど、今この時私は、確かにこの世界の在り方に疑問を抱いた。抱いてしまった。



「私もかつてはその任についていました。しかしこの力を民のために使おうとさせない王に、世界に疑問を抱き――」



 フォイセさんはそこで一旦言葉を切って、こちらをじっと見つめてきた。静かな海のように凪いだ、青の瞳で。

 そして、



「どう思われますか、救世主さま」



 “救世主”に真正面から問いかけてきた。



「強い魔力を持たぬ者を弱者と罵り、守ることもせず、強い魔力を持つ者を集め自分の延命のためだけに使う。そんな王がこの国を、世界を支配している。こんな世界は間違っていると思いませんか」



 心臓が嫌な音を立てる。指先が震える。呼吸が浅くなる。

 世界の支配者が誰よりも魔力を必要としている。だからこの世界は魔力絶対主義の歪な形になってしまったのかもしれない。だって、その方が支配者にとって都合がいいから。魔力の強い者を取り立てて、国ぐるみで学び舎を利用して世界中から集めて、最終的には自身で独占する。そんなの、あまりにも――

 いけない、と本能が思考にストップをかける。これ以上考えてはいけない。この先を言葉にしてしまえば、私は、もしかしたら。

 青の瞳から逃げるように俯く。何も答えることができなかった。



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