34:イルマの生まれ
翌朝、朝食を部屋まで持ってきてくれたのはイルマだった。
「おはよーございまぁす、救世主サマ」
「お、おはよ、イルマ」
「朝ですよー起きましょうねー」
イルマは寝ぼけている私とは対照的に、朝食を机に置きカーテンを開け、テキパキと部屋の中を動き回る。ふわりと香った爽やかな香りは彼女が淹れてくれた紅茶だった。
――昨晩、明らかに怪しいところをイルマに目撃された。ギルバートがどうにか誤魔化してくれたが、彼女は私を疑っているような素振りだったし、昨日の今日で真正面から顔を合わせるのは気まずい。
しかしイルマは昨晩のできごとを忘れてしまったかのように、好意的な笑顔を向けてくる。
「いろいろ聞いてますよぅ。ギルバート共々、エリート様にいじめられたみたいですねー」
「う、うん」
朝食を食べる私の横で、イルマはケラケラ笑う。まるで友人のようだ。
「あぁいう人たちがこの世界のトップに立つんですから、おかしな話ですよねー」
かわいらしい顔で、甘ったるい声で、さらっと毒を吐く。出会ったときからイルマは変わらないが、学校でもこの性格で通しているのだろうか。
イルマは特別生徒に属している。それはつまりセシリーやリオノーラさんと同じクラスということで、いったいどのような会話をしているのだろうとぼんやり考えて――ふと、一つの疑問が浮かんできた。
世界一の魔法学院に入学でき、更には優秀者が集められるクラスにいるということは、イルマがそれだけ優秀な魔術師の卵であることの証に他ならない。魔力の強さが絶対とされるこの世界で、彼女は恩恵を受けられる側の人間であるはずだ。それなのになぜレジスタンスに属しているのだろう。
「ね、ねぇ、イルマ。イルマはどうしてレジスタンスに入ったの?」
「親がレジスタンスなので」
恐る恐る投げかけた問いに、これ以上なくシンプルな答えが返ってきた。
親がレジスタンスだと、有無を言わさずに娘もレジスタンスに入らなければならないのだろうか。それはなんだか気の毒な話だと、異世界人である私は思ってしまう。
しかしイルマほど優秀なのであれば、国に保護してもらうこともできそうなのに。
「あ、そっか……。でもイルマは特別生徒に入れるぐらい優秀なんだよね? レジスタンスから抜けようとか思わなかったの?」
素直な疑問として投げかけたつもりだった。
レジスタンスはこの国の、世界の在り方そのものに反発している組織だ。もしかしたら身の危険を感じることもあるかもしれない。そんなところから抜け出して、ただ平和に、年頃の少女のように毎日を過ごしたいと思ったことはないのか――そう思ったから、問いかけた。
しかしイルマは私の深層心理を見透かしたように、にんまりと笑ったのだ。目を三日月形に細めて、まるで、獲物を前にした蛇のように。
「やめたいんですかぁ?」
「えっ」
「そういうことを聞いてくるってことは、救世主サマはレジスタンスをやめたいのかなーって」
ぎくりとした。ただの疑問の奥底に、願望が滲み出ていたことを指摘されたようで、私は何も言えなくなってしまう。
まさしく蛇に睨まれた蛙だ。冷や汗が背筋を辿る。どう答えるのが正解か分からない。
鮮やかな朱色の瞳に射抜かれること数秒。不意にその瞳がそっぽを向いた。かと思うとイルマの細い指先が、私の朝食として出されていた小分けのフルーツを掴む。そしてそのままぱくりと口の中に放り込んだ。
「まぁ、どーでもいいですけど。どうせ逃げられませんでしょーし」
イルマはつまらなそうな顔をして椅子から立ち上がった。そして朝食が乗ったトレーを掴む。
――まだ残ってるのに。
しかし口を挟む気にはなれず、私は自分の朝食がイルマによって下げられていく様をぼんやりと眺めていた。
「逃げないほうがいいですよ、マリア様。というか、この世界に逃げ場なんてありません」
初めて聞く声音だった。
感情を感じさせない低い声。普段の声とのあまりの違いに、一瞬、イルマの本心を覗けたように錯覚して――しかしすぐに、彼女は私が良く知る笑顔を顔面に貼り付けた。
「逃げ場があるとしたら、それは貴方が生まれた世界です。だから大人しく悪王を倒しちゃってくださいね」
そう言葉を残し、イルマは退室していった。
レジスタンスの親のもとに生まれた彼女は、この世界をどう見ているのだろう。世界に絶望しているのだろうか、自分の生まれを恨んではいないだろうか、本当に私のような小娘が世界を変えられると本気で思っているのだろうか――
イルマが出ていった木の扉を、私はしばらくぼんやりと見つめていた。




