32:帰省
叔母様の葬儀は良く晴れた昼下がりに粛々と行われた。
リオノーラさんが私も出席できるよう訴えかけてくれたようだったが、公爵家に連なる身分の葬儀にただの田舎娘が参加できるはずもない。それでもウィルフレッド先輩の計らいで、出棺が終わった後、二度訪れた叔母様のお屋敷に招いて頂いた。
主を喪い、まるで太陽が沈んでしまったかのように暗く静かな叔母様の自室で、私は心に誓ったのだ。
(ユーリを必ず見つけ出してみせます。だから安心して、ゆっくりお休みになられてください)
叔母様から頂いた守護石をぎゅっと握りしめた。
自分の無力さは自分が一番分かっている。どれだけ強く決意を固めたところで、さて私に一体何ができるのかという不信は、一番私自身が抱えている。だからこそ――私は学院に帰ってすぐ、とにかくアバドについて調べることにした。
「ギルバートくん、私、アバドについて調べたいんだけど付き合ってくれる?」
「……あぁ」
「ありがとう」
何か物言いたげなギルバートと共に、ウィルフレッド先輩を通してアバド対策本部のリーダー的存在であるブレンダさんに連絡を取った。すると彼女はすぐに応じてくれ、学院内に複数ある資料室のとある一室に呼び出されたのだ。
訪れて分かったのだが、どうやらそこをアバド対策本部はアジトとして使っているらしい。奥まった場所にある小さな一室に、壁いっぱいのアバドの資料が保管されていた。
アバドによる被害が書かれた新聞の切り抜きに目を通しながら、私はかねてより疑問に思っていたことをブレンダさんに問いかける。
「あの、アバドはそもそもどうやって魔力を人から奪っているんですか」
魔力を奪う術。そんな術があったのなら、この世界の人間同士でも魔力の奪い合いが可能ということになる。しかしそのような被害は今のところ報告されていないようだし――
私の疑問に、ブレンダさんは頭をかきながら苦笑した。
「そこなんだよね。実は確かなことは何もわかってなくてさー。ただ、闇魔法の類じゃないかとは見当がついてるんだけど……」
「闇魔法?」
「あ、そっか、マリアちゃんは記憶を奪われてるんだった」
あまり耳触りがよくない「闇魔法」という単語に首を傾げれば、ブレンダさんは何かに納得するように小さく一人で頷いた後、背後の大きな書棚に向き合った。そして一冊の文献を目の前に差し出してくる。
それは薄く小さい、禍々しい色の表紙をした文献だった。
「闇魔法ってのは――乱暴に言えば、危険だからってその存在を闇に葬られた禁忌の魔法」
ブレンダさんの指が私の目の前で表紙をめくる。
所狭しと文字が敷き詰められた頁が現れて、私は軽い目眩に襲われた。改行も段落もない。読みやすさを度外視した研究書のようだ。
「闇魔法には相手の魔力を奪う魔法もあったみたいでねー。あくまで文献の中では、だから、本当かは分かってないけど。それに訳あって闇魔法の文献はかなり少ないから、調査がどうにもこうにも進まない」
なるほど相手の魔力を奪う魔法なんて、もし仮にあったとしてもこの世界では禁忌に近いだろう。存在を闇に葬ってしまうのも無理はない。
しかしそうだとして、なぜアバドは失われた禁忌の魔法を使っているのだろうか。もしアバドの存在がユーリだとしたら、彼女はどこでその魔法のことを知ったのか。それに魔法が使えるのなら、当然魔力をその身に宿しているということで、私と同じ世界から来た異世界人の可能性はなくなった――?
分からないことだらけで、疑問がどんどん溢れてくる。一旦頭を休ませようと私は思考を放棄し、闇魔法についての文献をぼんやりと眺めていた。
いつの間にかブレンダさんは私の傍から離れていたので、自分で頁を捲っていく。――と、突然魔方陣の図解が現れた。今まで文字しかなかったから、その図解は自然と目を引く。
詳しいことは分からないが、随分と複雑な魔方陣のようだ。発色の良い紫のインキで書かれていて――ん? 紫?
(この魔方陣の色、私が異世界召喚されたときに足元に浮かんでいた魔方陣と同じ……?)
思い出す。この世界に呼び出された日のことを。最大の不運に見舞われた、忘れることができない運命の日を。
目の前には黒いローブを身に纏ったたくさんのおじさんたち。窓一つない部屋。足元には、不気味に光る魔法陣。その光の色は――禍々しい紫!
そう、魔方陣の色を見て私は怪しく思ったのだ。もしや自分は悪の組織に異世界召喚されてしまったのでは? と。
悲しいかな、その予想は当たってしまったのだけれど――もしかしたら、あの魔方陣は闇魔法のものだったりするのだろうか。
心臓がどくどくと大きな音を立て始める。何か掴んだわけじゃない。けれど、目の前の道がほんの少しだけ開けたような感覚だった。
(もしあれが本当に闇魔法の一種だったなら、レジスタンスには闇魔法の文献があったりする……?)
ブレンダさんは闇魔法の文献が少ないことを嘆いていた。けれどもし、レジスタンスが闇魔法を使うため、文献を集めていたとしたら。その文献を対策本部に提供出来たら。私は信頼を勝ち取れるかもしれないし、何よりもアバドの調査が進むかもしれない――!
(探ってみよう)
タイミングの良いことに、夏期休暇はレジスタンスの集落に帰ることになっている。どうせ時間を持て余すだろうし、魔法について勉強がしたかったなどと理由をつけて、レジスタンス内の資料を漁ってみよう。
――なんて、決意を新たにする私の背後で、ギルバートがどんな表情をしていたか、そのときの私はまったく気づけなかった。
数日後、魔力考査の結果が廊下に張り出された。もっとも張り出された紙に書いてあるのは優秀な成績を収めたごく一部の生徒のみで、すべてにおいて赤点すれすれだった私はかすってもいなかったのだけれど、特別生徒の中に紛れるようにして第五生徒の名前が記載されており、随分な騒ぎとなった。
――ギルバート・ロックフェラー。
騒ぎを起こした張本人は涼しい顔をして、張り出された自分の名前を見に行くことすらしなかった。
***
「お帰りなさいませ、救世主様」
夏期休暇に入り、私はレジスタンスの集落に“帰省”した。
到着するなり大勢の人々に出迎えられ、恐縮してしまう。
「聞いた話によると、ウルフスタン家の令嬢とお近づきになられたとか。流石でございます」
中年の男性が目をらんらんと輝かせて詰め寄ってくる。
学院内での動きを把握されているのを見るに、やはり監視されているのだろう。ギルバートが定期的に報告しているのかもしれない。
「あ、ありがとうございます。ちょっと疲れてるので、休んでいいですか」
控えめな笑顔で言えば、すぐさま用意された部屋へ案内された。まだ私は“救世主さま”として丁重に扱ってもらえるようだ。
ふかふかのベッドに飛び込んで、レジスタンスでやるべきことを頭の中で整理する。
とにかく闇魔法の文献がないか探してみよう。次に魔力を奪う魔法についての記載がないか調べる。文献の持ち出しは難しいかもしれないから、書き写す用のペンと紙を常に持ち歩いて――
すぅ、と意識が遠のいていく。先ほど男性に言った「疲れているから」という言葉は彼らから逃げるための方便だったのだが、どうやら疲労が溜まっているのは本当だったようだ。
自分のことなのに他人事のようにそう思いながら、私は襲ってくる睡魔に抗うことなく意識を手放した。




