31:決意
――その日は唐突に訪れた。今後どう動けばいいか分からず、身動きが取れずにいた私を、まるで嘲笑うかの如く。
夏期休暇に入る数日前。まるで消化試合のような授業をこなしていたところに、ウィルフレッド先輩が汗だくで駆け込んできたのだ。
「叔母様の容態が急変した! すぐに来てくれ!」
――アバドに襲われながらも一命をとりとめた叔母様の容態が、急変。
心臓がどくりと嫌な音を立てる。第五生徒の教室の入口で荒く息をしているウィルフレッド先輩の許へ駆け寄れば、強い力で肩を掴まれた。
「うわ言で君の名前を呼んでいる」
それからのことはよく覚えていない。授業を途中で抜け出して、気づけば叔母様の屋敷を訪れていた。
広い門の前で馬車から降り、ウィルフレッド先輩の案内で叔母様の自室まで走る。もつれそうになる足を叱咤して、両開きの扉をいくつかくぐり、そして、
「叔母様!」
大きなベッドに力なく横たわる叔母様に駆け寄った。
先日顔をあわせたときと比べて、明らかに生気がない。張りのあった肌はまるで干からびてしまったかのように皺が増え――アバドに命を奪われた被害者はミイラのようになってしまう、という情報を思い出した。
「ユーリ……マリアさん……ごめんなさい……」
「叔母様、マリアさんが来てくださいましたわよ!」
私より先に駆けつけていたらしいリオノーラさんが必死に声をかける。すると叔母様は伏せていた瞼を上げて、瞳だけでこちらを見た。
生気のない茶色の瞳と視線が絡む。すっかりしわしわになってしまった細い腕が、何かを求めるように伸ばされる。私は思わずその手を取った。
初めて出会った日、涙を浮かべた叔母様は私の手を握った。あたたかな手だった。それが今はどうだ。まるで氷のように冷たい。
「叔母様! 叔母様!」
必死に呼びかける。手を握る。しかし体温は帰ってこない。
――叔母様の命が、今目の前で尽きようとしている。
あまりにも突然に訪れた絶望的な現実に、私は夢なら覚めて欲しいと必死で願った。
こんなこと、あってはならない。叔母様は生きて、ユーリと再会しなければならない。愛に満ちた叔母様とユーリの物語が、こんな悲劇的な最後を迎えるなんてこと、絶対に――
「……ユー、リ……」
――ぱたり。
握っていた叔母様の手が、力なくシーツに落ちた。
「うそ……」
隣のリオノーラさんが震える声で呟く。
涙で歪む視界の中、叔母様は安らかな表情で眠っていた。――もう二度と目覚めない、永遠の眠りについたのだ。
「……そんな……こんなことって……」
私はしわがれた叔母様の手を頬にあてて、声を上げて泣いた。
信じられなかった。あまりに突然の別れに、あまりに呆気ない別れに、ただただ悲しむことしかできない。
脳裏に浮かぶのは優しく微笑む叔母様の姿。ユーリを、娘を心から愛する母の姿。
彼女たちが笑顔で再会する日を、心から願っていた。難しいことだと分かりつつも、自分と自分の母親の姿を重ね、どうか彼女たちだけでも幸せになってくれたらと――
溢れる涙を拭う。そして叔母様のお顔を拝見しようと顔を上げて、枕元に飾られた黒髪の少女の写真が目に入った。
(あれは、ユーリの写真……)
写真の中で微笑む黒髪の少女・ユーリ。突然現れ、突然消えてしまった叔母様の娘。そして――もしかすると、アバドという怪物に成り果て、叔母様の命を奪ったかもしれない彼女。
(本当にアバドはユーリなの? だとしたらなぜ少女が化け物に……?)
探し求めていた存在に、叔母様は命を奪われたのだとしたら。なぜユーリは化け物になってしまったのか、なぜ彼女は大切な人の命を奪ったのか――
知りたい、と思った。アバドに関する全てを。その正体を、生まれた訳を、この世界の人々の魔力と命を奪う理由を。
このままでは、あまりにも叔母様が報われない。ユーリだって、何か大きな事件に巻き込まれた結果アバドになってしまったのだとしたら――
ユーリがアバドであったとしても、もし違ったとしても、私は見つけ出したかった。そしてただの自己満足だと重々承知の上で、天国で叔母様を安心させて差し上げたい。
(どこにいるの、ユーリ……)
枕元の写真をじっと見つめる。もう視界は涙で滲んでいなかった。
――ユーリを見つけ出す。必ず。
そのとき、目の前が開けたような感覚に襲われた。自分が行くべき道が定まり、迷いが吹っ切れたような、そんな感覚。
(とにかくアバドについて調べよう。対策本部なら、過去の被害の資料もたくさん残ってるはず)
首元に手をあて、ネックレスの先を探る。そこには叔母様から頂いた守護石があり、縋るようにぎゅっと石を握りしめた。どうか見ていてください、と、心の中で祈りを捧げながら。
まだ何も分からない。どう立ち回るのが最善か、答えは出そうにない。
それでも私は、一歩踏み出すことを選んだ。




