30:アバドによる被害
魔力考査を終えた翌週は一週間丸々休日となっている。テスト休みというやつだ。
一か月に及ぶ夏休みも目前のため、多くの生徒はこの期間中に里帰り用の荷造りを済ませてしまうのだという。同室のセシリーも、せっせとリュックに着替えやらをつめていた。
故郷が遠い生徒は帰らずに寮で過ごすのだそうだ。私の故郷も遠いどころか別の世界であるため帰省は叶わないが、レジスタンスの集落に連れ戻されるので、少ない荷物をセシリーの横でまとめていた。
――そんな中、帰省する直前、私とギルバートは“アバド対策本部”から呼び出された。
呼び出し先は学院内のとある応接室。そこで私たちを出迎えてくれたのは、
「マリアくん、ギルバートくん」
「……が、学院長?」
入学式の日に会って以来の、ナイスミドルなカルヴァン学院長だった。
「すまないね、よく来てくれた」
学院長の優雅なエスコートでふわふわのソファに腰かける。彼はテーブルを挟んで向かいの席に座り、これまた流れるような動作で私たちに紅茶を勧めた。
上品な香りがする紅茶を一口頂いてから問いかける。
「学院長も対策部隊の一員なんですか?」
「ファリントン家は活動を支援しているんだ」
「なるほど……?」
カルヴァン学院長――ファリントン家がどのような立場なのかは分からないが、世界一の魔法学校の学院長を任されるほどのお方なのだ。きっとウルフスタン公爵家と似たような、高名な貴族なのだろうと見当をつける。
ふと学院長の隣に一人の女性が腰かけた。水色の髪をおさげにして、大きな丸眼鏡をかけている彼女は、しわだらけの白衣を身に着けていて――見るからに研究者、といった風貌だ。
「やぁやぁ、来てくれてありがとー! アタシはブレンダ・ダンヴァーズ。対策部隊の一応リーダー的存在、よろしく!」
ブレンダさんは身を乗り出して握手を求めてくる。向けられる瞳はらんらんと輝いていて、少し恐怖を感じるほどだった。
「は、はじめまして、マリア・カーガです。よろしくお願いします。それでこっちが幼馴染のギルバート・ロックフェラーです」
ギルバートはブレンダさんの握手に応えず、目礼をするだけにとどめた。
――見るからに苦手そうだもんね、こういう人。
なんて内心苦笑していたら、ブレンダさんは懐から分厚いメモと万年筆を取り出した。
「お噂はかねがね。さて、早速話を聞かせてくれる?」
どうやら“アバド被害者”へのインタビューが始まるらしい。
ギルバートを見やる。彼は頷く代わりにぱちり、と一回ゆっくりと瞬きをした。任せろ、ということだろうか。
私は黙って、ギルバートが口にする“設定”をしっかり聞いていよう。
「マリアちゃんはどこで被害に?」
「俺たちの故郷、アキア町の外れの森で」
本人ではなく隣の幼馴染が答えたことに驚いたのか、ブレンダさんは目を丸くしてギルバートの顔を凝視する。しかし当の本人は眉一つ動かさず、当然というような表情をしており、その堂々とした振る舞いが却ってよかったのか突っ込まれることはなかった。
ブレンダさんは気持ちギルバートの方を向くよう体の向きをかえる。そして質問が再開された。
「そのときに奪われたものは?」
「記憶と魔力を」
「他には?」
「特には何も。体調も今のところは万全です」
確かめるような視線が飛んでくる。私はギルバートの言葉の通りだと示すように微笑んでみせた。
そこで一旦ブレンダさんはメモを机の上に置く。そして私の胸元を指さした。
「ところで、その胸元の媒介石は?」
――瞬間、どきりとする。
媒介石は私が魔力を持っているように見せるための偽装だ。学院側は私が魔力を持っていないことをとっくに知っているのだから、この偽装を見破られたところで何も問題はないが、それでも嘘を見抜かれたときような緊張感が背筋を駆け抜けた。
隣のギルバートは涼しい顔のまま答える。
「魔力を持っているように偽装するためのものです」
「常にギルバートくんと繋がってるよね?」
「はい」
――え、マジで?
その話は聞いていない、とギルバートの横顔を思わず見やるが、彼はこちらを見ようともしなかった。
「だから二人は魔力の色が似てるのかー」
「そうですね」
私が知らなかった事実ではあるが、この媒介石は常にギルバートと繋がっており、おそらく魔力があるように見せる偽装工作をしているのもギルバート。そのため私とギルバートの魔力の色が似ているようで――魔力の色って何?
分からないことはおいておくとして、隣の彼に負担をかけていることは間違いないだろう。今度お礼を言うべきかもしれない。
「さて、聞いてばかりでは申し訳ないから、我々が今持っている情報をお伝えしよう」
今まで黙って話を聞いていた学院長が口を開いた。
「アバドは今から四百六十三日前に現れた、正体不明の化物だ。最初の被害者は二十二歳の女性。路地裏で無残な死体となって発見された」
アバドによる被害者の詳しい情報を聞くのは初めてだ。
魔力を奪う恐ろしい化け物、という薄ぼんやりとしたイメージだったアバドが、徐々に輪郭を象っていく。
「アバドに命を奪われた被害者の死体に見られる特徴は知っているかな?」
問いかけられて、どういった反応が最も適しているかどうか、瞬時に脳がフル回転する。――が、しかし、私の鈍い脳が答えを導き出すより先に、隣のギルバートが答えた。
「干からびた、ミイラの様になっていると」
「ご名答! 幼馴染のために調べたんだね、色男!」
若干囃し立てるような物言いをしたのはブレンダさんだ。ギルバートが眉間に皺を寄せたのが視界の隅で分かったが、私はそれどころではなかった。
――アバドの被害者がミイラのようになってしまうって、恐ろしすぎる!
ぶるりと身を震わせる。それと同時に、叔母様が無事でよかったと改めて安堵した。
「ギルバートくんの言うとおり、その女性は何者かに生気を吸われたような、ミイラの様な姿に成り果てていた。しかしそのときはアバドの存在は誰も知らなかったからね。不審死として処理された」
カルヴァン学院長は淡々と語る。その語り口にかえって恐怖心を煽られた。
「次の被害者はそれからちょうど三十日後。男性だった。彼は魔力だけを奪われていた。回復を待って話を聞こうとしたが、目覚めた彼は魔力を失った事実に絶望して、自ら死を選んだ」
なんとも痛ましい結末だ。
やはりこの世界では魔力は命と同等、もしくはそれ以上のものらしい。
「最初の女性は命も同時に奪われていたから、魔力を奪われたかどうかは分からなかったんだ。人が死ねば当然魔力の巡りも止まるからね。だから当初はこの二つの事件を結びつける者はいなかった」
私はアバドという存在に助けられたといってもいい。世界一の魔法学院に魔力を持たないながらも入学できたのはアバドのおかげだ。
だから恐ろしい存在だと聞く一方で、感謝していた部分もある。私には奪われる魔力もないのだから、利用できるものは利用してしまえと――
その考えは今でも変わっていない。けれど、この世界の人々にとってアバドは絶望を形作ったような存在なのだと、改めて思い知らされるようだった。
「三人目の被害者は男性。彼はアバドに魔力を奪われ、死にかけていたところに騎士団が駆けつけた。彼の体はミイラのように干からび、魔力も失っていた」
そんな場面に駆けつけてしまえば一生のトラウマになりそうだ。
「彼のおかげで一件目と二件目の事件がようやく繋がり、魔力と時には命すら奪う化け物が現れたと我々は認識した。――その後、結局彼は亡くなったよ」
カルヴァン学院長はがっくりと肩を落とした。己の無力さを悔いているような、険しい表情だった。
「それから被害はおおよそ一ヶ月おきに起きている。多くの者は命も奪われ、二人だけ生き延びたけれど、魔力をなくした事実に耐えきれず自ら命を絶った。……君と、今回の被害者以外はね」
私と、叔母様以外の被害者は全員亡くなっている。その事実がずっしりと肩に乗りかかる。
――だって私は、本当の被害者ではないのだ。本当の被害者で、魔力を失っても気丈に生きているのは叔母様ただ一人。
「記憶をなくしたというのは君が初めてだ。……でもだからこそ、君は今生きているのかもしれない」
記憶をなくしでもしないと、魔力を失った状態でこの世界を生きていくのはとても難しいのだろう。魔力絶対主義のこの世界でこれからの己の苦しみを思い、自ら命を絶ってしまう――
あぁ、どうしよう。この後「実は被害者じゃないんです」とは打ち明けられない雰囲気だ。対策本部に保護してもらうなら、ついた嘘を白状して誠心誠意謝罪するしかないのだろうが、相手側からすると一度騙された少女に対する心象はあまり良くないだろう。
今後、どう立ち回ろう。レジスタンスの情報を売って少しでも信頼を勝ち取るか、そもそも対策本部に助けを求めるのは断念するか、あぁ、色々と早まったかもしれない――
知らず知らずのうちに私は険しい表情をしていたらしい。しかし学院長はその表情を、辛い過去を思い出してしまったが故の表情だと勘違いしたようだ。労わるような目線を向けられる。
「辛い思い出だろう。無理に思い出してくれとは言わない。ここには事件の記録が残されている。好きなときに来てもらって構わない。そして……何か思い出したら、教えてほしい」
小さく頷く。そうすれば学院長もその隣のブレンダさんも優しく笑ってくれた。
私は全く回らない己の頭を憎らしく思いながら、ため息をつかないようにするだけで精一杯だった。




