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28:アバド対策本部



 ――今世間を騒がせている魔力を奪う化物・アバドの正体が、消えた少女・ユーリかもしれない。

 叔母様の口から告げられた事実を、私はすぐに飲み込むことができなかった。



「……ど、どういうこと、ですか」



 問いかける。叔母様は記憶を辿るためか、瞼を伏せた。



「アバドは二本の足で立つ、人間によく似た姿をしていたわ。全身に禍々しい色のオーラ……いえ、靄のようなものを纏っていて、足元しかよく見えなかったのだけれど」



 叔母様の説明に、私も目を閉じて脳裏に“アバド”の姿を思い描く。

 二本足で立ち、上半身は黒い靄でおおわれている生き物。私の脳裏に思い浮かんだ“アバド”は中々に不気味で、怪物と称するにふさわしい見た目をしていた。



「私に襲いかかってきたアバドは、“手”で私の首を絞めた。アバドが触れた場所から何かを吸い上げられるような感覚がしたわ」



 二本の足に、人の首を絞めることができる二つの手。なるほど叔母様の話を聞くだけでも、アバドは人によく似た姿をしているのではないか、と思う。

 叔母様は瞼を開けた。そして私をじっと見上げる。その瞳は揺れていた。



「どうにか手を引き剥がそうとして……そのときに、ネックレスが目の前に滑り落ちてきたの。――ユーリが持っていたものにそっくりだった」



 は、と息を飲む。緊張のせいか、喉がカラカラに乾いていた。

 ユーリが持っていたものによく似たネックレス。それだけで確定した訳ではない。しかしユーリかもしれない、と可能性を考える根拠には十分なりえる。

 叔母様は私から目を逸らさず続けた。



「思わずユーリと呼んだわ。そうしたらアバドの動きが止まって――そのまま逃げて行った」



 よく似たネックレス。そして名前に反応して逃げて行ったという事実。

 この二つが重なってしまった以上、ほぼ確定ではないだろうか。どちらか片方だけならまだ別の可能性もあっただろう。しかし――

 私は何も言えない。何と言えばいいのか分からなかった。

 叔母様は私の反応を見て、妹がアバドかもしれないという可能性にショックを受けたと思ったのか、申し訳なさそうに視線を逸らす。



「ごめんなさい、伝えるかどうかは迷ったのだけれど……」



 自分と同じく異世界から来たかもしれない彼女が、魔力を奪う化物になり果ててしまった――かもしれない。

 ユーリがどこから来たのかも、そしてどうなってしまったのかも、まだ確定事項ではない。あくまで推測の域を出ない話だ。けれどなぜだろう、私はかなり大きなショックを受けていた。

 叔母様に幸せそうなユーリの話をたくさん聞かせてもらったからだろうか。どこかで幸せに暮らしていてほしいと、願っていたからだろうか。

 不安そうにこちらを見上げる叔母様に、辛うじて首を振って応える。



「いいえ、いいえ……ありがとうございます」



 自分の口から出た声は震えていた。

 ――重い沈黙。それを破ったのは、今まで黙って見守ってくれていたウィルフレッド先輩だった。



「すまない。少しこちらで話をさせてもらえないだろうか」


「は、はい」



 反射的に頷く。すると先輩はこちらを一瞥して、すぐに退室してしまう。叔母様の体調を気遣ってのことだろうか――と思い、私もあまり長居しない方がいいだろう、と慌ててベッドから数歩離れた。そして頭を下げる。



「叔母様、どうか今はゆっくりお休みになられて……お大事になさってください」


「ありがとう」



 力なく微笑む叔母様。その表情に胸が痛んだ。

 ずっと探していた娘のような存在が、もしかすると多くの人の魔力を、そして命を奪ってきた化物かもしれない。それを知ったとき、叔母様は何を思っただろう。再び心が折れてしまってはいないだろうか。諦めたままでいた方が良かったと、後悔してはいないだろうか――

 退室前にちらりと叔母様を振り返る。叔母様は依然、儚げな笑みを浮かべたままだった。



***



 ウィルフレッド先輩に連れられて、屋敷内の客室へと入る。そして用意された席につくなり先輩は口を開いた。



「すまない。君の過去について調べさせてもらった」


「……へっ?」



 思わぬ言葉に間抜けな声が出てしまい、口を手でおさえる。

 過去、とはどの過去だろうか。正直マリア・カーガには探られて痛い腹しかない。

 変に口を開いて自爆してしまわないよう、私は口元を手で覆ったまま首だけ傾げた。そうすればウィルフレッド先輩は長い睫毛を伏せて、重々しく言う。



「君もアバドの被害者なんだろう」


「あ……」



 まだ比較的知られても大丈夫な過去――アバドに襲われたというでっち上げの過去――であったことへの安堵と、どこから知ったのだろうという警戒と。

 私は顎をぐっと引いて、ウィルフレッド先輩を見上げた。そうすれば彼は私を安心させるように優しく微笑む。



「学院側から漏れたわけではないよ。アバド対策本部の独自の調査だ」



 アバド対策本部、。

 何やら物々しい単語に私は目を丸くする。しかしよくよく考えずとも、正体不明の化物への対抗組織は必要だ。

 それにしてもごく一部しか知らない私の過去を調べ上げる独自の調査とは一体どんなものなのだろうか。もし彼らが本気を出したら私の知られたくない事情――レジスタンスと繋がっており、王様を倒す救世主に祭り上げられそうになっているという現状――まで知られてしまわないだろうか。

 しかしそこではた、と思い至る。むしろ逆に知られてしまった方が良いのではないか? と。巻き込まれた一般人だと説明して、保護してはもらえないだろうか。――いや、そう簡単にいくとは思えない。下手を踏めば私はあっという間にレジスタンスに“しっぽ切り”されるだろう。慎重にいかなくては。

 ウィルフレッド先輩はごほん、と一つ咳払いをしてから再び口を開いた。



「君にこういったことを頼むのは酷だと承知の上で、我々に力を貸してもらえないだろうか。叔母様にも体力が回復次第協力を要請するつもりだが……」



 ――アバド対策本部からの協力要請。

 対策本部とは国の組織に違いない。それもおそらく立場の上の人間が集まっているはずだ。第三の道を探す手立てとして、対策本部との繋がりはぜひとも持っておきたかった。うまく立ち回ることができれば、それこそ今の私の事情を全て打ち明けて、保護を願い出ることだってできるかもしれない。

 しかしそうなってくると、私は”アバドに襲われた唯一の生き残り“というステータスを失ってしまうのだ。ただの異世界人である私を大国は相手にしてくれるだろうか。

 それにもし、レジスタンスに一時的にでも保護され、手を貸していたとなると、反逆分子として判断されてしまう可能性もある。



(私はアバドの情報を持っていないから、ろくな協力はできない。レジスタンスの内情を下手に話せば殺されるかもしれないし、対策本部の人たちが信じてくれるかもわからない。でも、この繋がりを逃すのも惜しい)



 自分がとるべき最善の道が分からない。どのタイミングで、どの立場に属し、どう立ち回るのか。それらの判断を少しでも誤れば、最悪の場合命の危険に晒される――

 しかし目の前に差し出された手を無視するなんてことはできず、私はとりあえず予防線をはるために口を開いた。



「えっと、ご存知かと思いますが、私、記憶もなくしているんです。だから、お役にたてるかどうか……」



 ちらり、と見上げればウィルフレッド先輩は力強く頷いた。



「もちろん分かっている。しかしアバドの被害者はとても貴重な存在なんだ。メンバーに会ってくれるだけでもいい」



 ――私がアバドについて何も知らないことを承知の上で協力要請をしてきたのなら、飛び込んでしまってもいいかもしれない。

 しかしここで引っかかるのはやはりレジスタンスの存在だ。私が一人でこそこそとしては、彼らは探ってくるに違いない。

 最終的にはレジスタンスを出し抜きたいのだが、どこまで話しておいた方がいいだろう。

 変に怪しまれるような行動は極力とりたくない。それにアバドに私が襲われた当時のことに関しては、レジスタンス――ギルバートに説明してもらった方がボロが出にくいはずだ。

 そもそも、今この瞬間の会話も全てレジスタンス側に筒抜けになっている可能性が高い。ギルバートは私の行動をそれとなく把握しているようだったし、なんらかの手段で見張られているのはほぼ確実だ。身の安全を最優先で考えるとすると、もうしばらく表向きは従順でいた方がいいだろう。

 とりあえずこの件に関しては一度ギルバートに相談する。そう結論付け、私はウィルフレッド先輩に伝えた。



「ちょっと、考えさせていただけますか?」



 私の問いにウィルフレッド先輩は「もちろん」と大きく頷く。その反応にほっとして――脳裏に浮かんできたのは、写真で見たユーリの笑顔だった。

 本当に彼女がアバドなのだろうか。だとしたらなぜ彼女はアバドになってしまったのだろうか。ユーリはどこから来たのだろうか。

 分からないことだらけで、目が回りそうだった。



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