21:ミサンガ
「この少女が貴女の妹になるユーリですわ」
「わぁ、本当に黒髪だ……」
リオノーラさんが見せてくれた一枚の写真には、黒髪の少女が映っていた。白いワンピースに肩まであるストレートの黒髪。見るからに“お嬢様”といった出で立ちだ。
「性格は一言で言えば控えめ、と言った感じかしら。最初は人見知りしていたのか声も小さかったけれど、親しくなるとよく笑顔を見せるようになって、案外感情が豊かなのだと思いましたわ」
リオノーラさんの説明を聞きながら、自分の中に“妹・ユーリ”を思い描いていく。私は生憎一人っ子だから、妹がどんなものか、実際に妹がいる友人から聞いた話でしか知らない。しかし仲が良ければあまり話さないという子もいたし、きょうだいによって関係はまちまちなのだろう。
私と“ユーリ”は、そうだな、仲のよかった姉妹という設定でいこう。
「あと大人しく見えて頑固な面もありましたわね。一度決めると中々曲げないものだから、手を焼いたこともありましたわ」
ふむふむ、と頷いて私の妹“ユーリ”の輪郭をかたどっていく。
大人しく見えて頑固な面もある。だとしたらときには姉妹喧嘩をしていてもおかしくないだろう。
「記憶を失っていたため年齢は不明。けれど私たちと同年代、もしくは少し若いくらいだったんじゃないかしら」
写真に写る“ユーリ”も確かに私と同い年かいくらか年下のように見える。少なくとも姉妹と聞いても不自然には見えないだろう。
しかしこの世界で自分以外の黒髪の人を見たのは初めてで、それだけでなんだか親近感が湧いてきてしまう。こんな可愛らしい妹がいたらさぞやかわいがっただろう。
「――長々と説明しましたけれど、私たちが知っているのは“記憶を失ったあとのユーリ”。貴女が知っているのは“記憶を失う前のユーリ”。ですから全く別人でもおかしくありませんわ」
――と、“ユーリ”の設定が固まり始めたところで、突然リオノーラさんがそんなことを言い出した。
散々説明しておいて最後に何を、と思わず困惑の声がこぼれたが、確かに彼女の言うことには一理ある。ユーリは記憶を失っていたのだ。記憶喪失前のユーリ――つまり姉である私が知るユーリと、叔母様に拾われた記憶喪失後のユーリが真逆の性格をしていても、何もおかしくはないだろう。
「貴女のやりやすいように“ユーリ”の設定は決めていただいて構いません。ただ叔母様を元気付けてくだされば」
「なるほど……」
ううーん、と腕を組んで考え込む。
どのような設定であれば一番ボロが出にくいか――と考えて、実際に自分が知っている人をモデルにすればいいのではないか、と思い至った。というのも、元の世界にゆうりという名前の友人がいるのだ。彼女をそのまま私にとっての妹・ユーリにしてしまえばいい。
ゆうりちゃんは大人しく、しかし天然で周りを笑顔にさせてくれるような、そんな子だった。彼女とのエピソードを妹・ユーリとのエピソードとして話せば、つぎはぎだらけの設定から生み出したエピソードよりよっぽどリアルだろうし矛盾も出にくいはずだ。
よしよし、我ながらいい案を思いついた――と一人でニヤニヤしていたところに、
「あと、これを今後腕につけて多少汚してくださる?」
リオノーラさんの冷静な声がかかってはっと我に返る。
見れば、彼女はこちらにブレスレットのようなものを差し出してきていた。といっても金属でできたものではない、糸で編んだもののようだ。
「これは?」
「ユーリがよく作っていたお守りですわ。彼女は大切な人にこれを渡していましたの。ですからこのお守りをつけていれば、貴女がユーリにとって大切な人物であったことの証明になりますわ」
リオノーラさんは私にそのお守りを手渡す。それは大切に保管されていたのだろう、全く汚れていない新品だった。
渡されたお守りを見て、あ、と思う。これ、ミサンガだ。三本の糸で編んで、手首や足首につけるブレスレット。作り方はそう難しくなく、私も学生の頃よく作っていた。
「彼女が言うには確か――」
「ミサンガですよね、これ」
なつかしー、と笑いながら言えば、リオノーラさんの動きが止まった。え、と思いミサンガに落としていた視線を彼女へと向ける。
リオノーラさんは目を見開いたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……知っているの?」
「え? は、はい。えっと、ちょっと前、周りで流行ってて……糸を編んで作るやつですよね」
そう言えば、リオノーラさんは更に目を見開く。大きな蜂蜜色の瞳が零れ落ちてしまいそうだ。
「貴女、本当にユーリを知らないの?」
「へっ?」
「“ミサンガ”のことを知っているのはユーリだけでしたのよ」
「え……」
――この世界の人は、“ミサンガ”のことを知らない?
今度は私が目を丸くする番だった。
ミサンガが日本発祥のものでなかったことは覚えている。どこか別の国から伝わってきたもので、ただ私はクラスで流行っていたから作り方を教えてもらっただけ。つまりこの世界でも、別の国発祥でこの国・ポルタリアに伝わっていないのではないか、と予想できる。
――しかし、本当にそうだろうか。
ポルタリアはこの世界の中心だ。この世界の頂点だ。世界中の技術と知識が集まるこの国に、未だ別の地域から伝わってこないものがあるなんて――
いやいや、この世界のミサンガはどこか少数民族の間で伝えられているお守りなのかもしれない。だとすれば逆に大国にその存在が知られていなくてもおかしくはないはず。しかしそう仮定すると、私が“ミサンガ”の存在を知っていることがおかしくなってしまう!
「貴女、出身はどこ?」
「え、えっと、あの……」
多くの人が知らないお守りの名前を知っており、更には髪色まで同じなんて、そんな偶然あるのだろうか――と、リオノーラさんは本当に私とユーリに何の繋がりもないのか疑っている。
やばい。これは完全に口を滑らせた。だってまさか、ミサンガがこの世界でそんなに珍しいものなんて思わなかったのだ。
どう答えるのが得策だろう。前に友人に教えてもらった? そう答えればその友人のことを問い詰められるはず。雑貨屋で買ったと言えばその店を教えろと言われるだろう。本で読んだ、と言って、その本の名前は憶えていないと誤魔化そうか。
つり目がちの蜂蜜色の瞳に射抜かれて、じり、と思わず数歩後退した瞬間だった。夕方の定刻を告げる鐘が鳴り響いた。
もうすぐ夕食の時間だから帰りなさい、と生徒を促す鐘だ。
「あ……ごめんなさい。お時間を取らせてしまいましたわね。モニカ、お送りして」
「は、はい! マリアさま、お時間ありがとうございました」
――助かった。なんていいタイミングで鳴ってくれたんだ。
鐘の音に心から感謝しながら、私は頭を下げて部屋から退室した。
豪勢な廊下をリオノーラさんの従者――モニカさんに連れられて歩く。モニカさんの髪は絨毯の色と同じ、色鮮やかな赤色だった。
「……お嬢様にとってユーリ様は唯一無二のご友人でした。ですからマリア様からユーリ様の足取りを辿れないかと……お嬢様はそうお考えなんです」
突然、モニカさんは小声で教えてくれる。彼女の言葉に、だから第五生徒である私に対して頭を下げるほど必死だったのか、と先ほどまでのリオノーラさんの態度を思い返していた。
主人が抱えている事情を勝手に話してしまっていいのか、と若干心配にはなるものの、おかげで少しだけ謎は解消された。あそこまで必死になるということは、きっととても良い友人だったのだろう。この世界に友人がほぼいない私からしてみれば正直羨ましい。
廊下の突き当りでモニカさんは足を止める。そしてこちらを振り返った。
「ご迷惑をおかけするかと思いますが、今後とも、よろしくお願い申し上げます」
深々と私に向かって頭を下げるモニカさん。私は曖昧に微笑んで「頑張ります」とだけ応えた。
笑顔で顔を上げたモニカさんに、私はふと、ミサンガのことを聞いてみようと思い至った。リオノーラさんに聞くには勇気がいるが、彼女にならばまだ聞きやすい。
「あ、一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい。何なりと」
「このミサンガってお守り、モニカさんも知りませんでしたか?」
モニカさんは束の間逡巡するように目線をあたりに巡らせて、それからゆっくりと頷いた。
「ユーリ様にいただいて初めて“ミサンガ”を知りました。ユーリ様がいなくなられてからあちこちの国の文献を探しましたが、“ミサンガ”という記述はどこにもなく……」
「……なるほど。そうなんですね」
――これは、思った以上に珍しい存在のようだ。
モニカさんはこちらの様子を窺うようにちらちらと目線を寄こしてきたが――きっと彼女もなぜ私がミサンガを知っているのか、疑問に思っているのだろう――その視線から逃れるように作り笑顔を張り付けて「ありがとうございます」と会話を終わらせる。そうすればモニカさんは追及してくることはなく、再び歩き始めた。
私はその後に続きながら、一人考え込む。
(この国の人たちが知らないミサンガを知ってる、黒髪の女の子……まさか)
一瞬、ほんの一瞬だけ、ユーリは私と同じ存在ではないかという考えが脳裏を過った。
黒髪でミサンガを知っている少女は、この世界には滅多にいないが、元の世界にはごまんといる。ならばユーリも、もしかすると異世界召喚でこの世界に連れてこられた少女ではないか。だとすると――
(ユーリは行方不明になったんじゃなくて、元の世界に帰った……?)
可能性としては低いだろう。しかし、ゼロではない。調べてみる価値はある。
突如として差し込んだ希望の光に喜ぶよりも先に動揺してしまう。どう動けばいいか分からない。とにかくユーリのことを調べて、その足跡を辿ってみよう。そのためには――ユーリのことをよく知る、叔母様と仲良くなるのが一番だ。




