20:お嬢様からの依頼
モニカさんに連れられてやってきたのは、女子寮の一室だった。その部屋は私とセシリーに与えられた一室より更に豪華な、まるで貴族のお屋敷の一室のようだった。実際ここに住まわれているのは私を呼び出した由緒正しいお嬢様――リオノーラ・ヒューゴ・ウルフスタンさんだ。
彼女は部屋にやってきた私を笑顔で迎えてくれた。
「初めまして、リオノーラ・ヒューゴ・ウルフスタンと申します。お会いできて光栄ですわ」
「は、初めまして、マリア・カーガです」
ほぼ初対面で、相手は特別生徒のお嬢様。なぜ私のような落ちこぼれ生徒を呼び出したのかの理由に検討がつかず、緊張してしまう。
一方でリオノーラさんは優雅に紅茶を一口飲んでから、再び口を開いた。
「先日の対抗試合、素晴らしかったですわ。特にルシアン・アッカーソンさんとギルバート・ロックフェラーさんは特別生徒でもおかしくない実力でしたわね」
特別生徒のお嬢様から見てもルシアンくんとギルバートは優秀なんだなぁ、と思いつつ曖昧に頷く。ろくな相槌は打てなかったが、彼女は気にすることなく続けた。
「ノア・タッチェルさんは少し魔力の制御が苦手なのかしら? けれど最大火力は他の二人に劣っていませんでしたわね」
そうそう、ノアくんも頑張っていた――と心の中で彼女の言葉に頷いて、それから気が付いた。リオノーラさんは第五生徒をきちんと評価してくれる人なのだ、と。
彼女には食堂で助けられたこともある。真のエリートは落ちこぼれにあたたかな言葉をかけられるぐらいには心に余裕があるのだ、きっと。今までもこれからも、リオノーラさんは多くのものを手にするのだろうから、下を見て嘲笑う必要なんてどこにもない。
「マリア・カーガさん。貴女も急遽の出場にもかかわらず、体を張って最後にはその手に勝利の旗を手にした。素晴らしいですわ」
「は、はぁ、ありがとうございます……勿体無いお言葉です……」
本物のお嬢様に褒められるのは初めてで戸惑いつつも言葉を返す。
なぜ私はここに呼ばれたのだろう。どうしてほぼ初対面の人に突然褒められているんだろう。
心の中で首を傾げた瞬間、
「不躾なことをお聞きしますけれど、貴女、きょうだいはいらっしゃって?」
「へっ?」
全く想像していなかった質問を投げかけられて、変な声が出てしまった。
失礼だった、と咄嗟に手で口を覆ったが、リオノーラさんは特に気にした様子はなく、重ねて問いかけてくる。
「もしくは親戚。あなたと同世代の黒髪の少女は周りにいらっしゃいます?」
黒髪の少女は周りに沢山いました。
そう反射的に答えかけて、寸でのところで飲み込む。この世界では“黒髪”はとても珍しい存在だということを忘れかけていた。ノアくんなんて初めて見たと言っていたぐらいだ。
どうしよう、と考えを巡らし――両親が黒髪だったということにしよう、と頭の中でマリア・カーガの“設定”を決める。周りに黒髪はいなかった。両親だけ。その設定で行こう。
「あー……いえ、あの、ちょっと心当たりはないですねぇ……」
「そう……」
私の歯切れの悪い返事に、リオノーラさんは露骨に残念そうに瞼を伏せた。
全く話が見えてこないが、彼女は黒髪の少女を探しているのではないだろうか。そんな最中同じ黒髪である私を知り、親族ではないかと声をかけてきた――というのが私の考察ならぬ妄想だ。
あまりに目に見えてリオノーラさんが落ち込んだものだから、なんだかじわじわと罪悪感が湧いてくる。
「あの……お役に立てずすみません」
何に対してかは分からないが謝罪の言葉が口を突いて出た。それに対しリオノーラさんはゆるく首を振って、それからゆっくりと顔を上げる。そして真剣な表情で口を開いた。
「貴方に折り入って頼みがあります。私の友人の姉を演じていただけませんか」
――最初、リオノーラさんが言っている言葉の意味が分からなかった。
理解できないまま、鸚鵡返しに尋ねる。
「ご友人の……お姉さん?」
「……三年ほど前、記憶を失くした黒髪の少女を私の叔母が保護しましたの。叔母は彼女のことを我が子のようにかわいがり、私たちも友人として彼女と触れ合っていたのですけれど――今から一年前、突然姿を消してしまったのです」
リオノーラさんは早口で捲し立てる。私が口を挟む暇はない。
「叔母は見つけ出そうと必死でしたわ。必死に探して、探して、それでも見つけられることはできず――とうとう塞ぎ込んでしまいましたの」
なんとなく、なんとなくだが話が見えてきた。それと同時に嫌な予感がしてくる。
もしかして私は、これからとんでもないことを頼まれるのではないか。
「日々痩せ細っていく叔母様を私は見ていられないのです。どうか少女の姉のフリをして、叔母様を元気付けては頂けませんか」
――早い話が叔母様に身分を偽り、嘘の言葉で励まして元気にしてほしいという、とんでもない依頼だ。
どう考えても無理だ。そんな危険な橋渡れない。渡りたくない。しかし面と向かって断るのは少し怖い。
それでも流されては絶対にダメだ、と自分自身を叱咤して恐る恐る口を開く。
「お、お言葉ですが、それって逆効果じゃありませんか? その叔母様はお姉さんではなく本人を探しているんですし――」
「ええ。貴女の仰るとおりかもしれません。けれど私たちはもう藁にもすがる思いなのです。親族の方とユーリのことを語らう穏やかな時間が、叔母様の心を癒してくれるかもしれない、と――」
とうとうリオノーラさんは私に向かって頭を下げた。
特別生徒のエリート様が、公爵家のお嬢様が、第五生徒である私に頭を下げる。その光景が信じられなくて、頭が混乱する。それでもどうにか断らなくてはと必死に頭をフル回転させて――思い至った。
(この人ってこの世界の権力者の娘さんなんだよね? 恩売っとくのもいいかもしれない……)
そう、私は悪の救世主にならず、かといって野垂れ死にしない、第三の道を探している。それが本来の目的なのだ。そう考えた時、この世界の貴族のお嬢様に恩を売るチャンスかもしれない、と思い始めた。何かあれば彼女を頼ることができる。ここで恩を売っておけば、リオノーラさんも無碍にはできないはずだ。
数秒の間をおいて、ゆっくりと問いかけた。
「私をお姉さんの代役にしようと思ったのは、私が黒髪だからですか?」
「えぇ。ひと目見て血の繋がりを感じさせる特別な色ですわ」
どうも黒髪が特別という感覚についていけないが、リオノーラさんが――この世界で生まれ育った人がそう言うなら“そう”なんだろう。
――私が言い出した話じゃない。私はただ頼まれただけ。何かあっても、私のせいではない。
脳裏に浮かんだ考えはあまりにも情けなくて、無責任なものだった。しかし第三の道に辿り着くためには、利用できるものは利用しなくては。いい子に振る舞って後で後悔するのは他でもない自分自身なのだから。
再び黙りこくってしまった私に、リオノーラさんは重ねて言った。
「もちろん謝礼はお支払いします。ですから、どうか――」
それはもはや懇願だった。
泣きそうに震える声に、相当追い込まれているのだと察する。実際ほぼ初対面の私を突然呼び出して、身内の込み入った話をするなんて普通であれば考えられないだろう。
喉が震える。いざ利用しようとすると、健気に肩を震わせる少女を騙すようで良心が痛む。
下心からこの依頼を請ける。しかし適当にはしない。請けた以上はしっかり与えられた役割を成し遂げればいいのだ。そうすればこの“利用した”という罪悪感も薄れるはず。
数度深呼吸をする。そしてゆっくりと、絡まりそうになる舌を必死に動かして答えた。
「分かりました。お役に立てるかは分かりませんが、頑張ります」
リオノーラさんはバッと顔を上げる。蜂蜜色の綺麗な瞳は潤んでいた。
「ありがとうございます……!」
――あぁ、大変な話を受けてしまった。しかしこれは大きな転機になるかもしれない。いや、しなくてはならない。
リオノーラさんと握手を交わしながら、胃がきゅうきゅう痛むのを感じていた。
ストレスで体調を崩す前に、強い心と精神を持つようにしなければ。




