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文太と酒

作者: J.E. Moyer

「お父ちゃん, 起きんとあかんで」と体を揺さぶっても一向に起きる気配の無い父の横に座った文太【ぶんた】を見下ろす車掌は


「終点ですよ。この電車は車庫行きですから早く降りてください」と壁に向かっているような口調で言い終わると, すぐさま消えていった。



文太は7才の小学校一年生で, 学校では背が低い上にきゃしゃな身体の持ち主ですが, 頭が良く, 運動神経も発達しています。


今日は父が仕事関係の催しに招待されたので, お供として付いてきています。


「文太, あんたはお父ちゃんに付いて行って美味しいもん一杯食べておいでよ」と母親に言われ, 新調して貰った服と靴とで朝早く電車に乗りました。


「文太, 今日の催しが終わったら水族館に行きたいか?」とご機嫌な父を見て

「そうや, カメも見たいし, 乗り物にも乗りたいで」

「ほんなら 催しをちょっと早う引き上げて, 水族館行きやなあ」


文太は, 大きなカメを見ると浦島太郎が乗ってへんかなぁ, と一応どのカメも点検しておくのです。水族館の水槽の何処かに入口があって, 海の底のお城からカメが来たかもしれへんと思っています。


文太の父親は印刷屋です。本を読むのが好きで, 家には図書室が有ります。本が天井まで届く本棚にぎっしり詰められていて, 文太が生まれた時は, 文学に長けた男に成るようにとこの名前がついたのだと母親に言われました。


二年生のお姉ちゃんが 文絵美【ふえみ】と名付けられたのは, 文学にも美術にも優れた女性になるようにと両親が願ったからです。お姉ちゃんはマンガが好きなので, "絵"には秀でて居るのが文太には納得出来ても, 本を読んでいるのを見たことがありません。



催しの会場には大きな丸いテーブルが20脚位あり, 中華料理が各テーブルに盛り上げられています。


「文太, ここに座り」と父に促されて, 舞台のすぐ前のテーブルに座ると椅子が低すぎて, 体のない首がテーブルの上に座っているみたいなので, 世話役のお姉ちゃんがクッションを持ってきてくれました。


誰かが背中を突くので, 振り返るとピンクのドレスを着た女の子が文太の後ろのテーブルの椅子に座って, お箸の先で文太を突いています。


「あたし, ミッチーよ。 あんたは?」

「ミッチー? あんたアメリカ人?」

「知らんの? ミッチーは美智子のニックネームなんよ」

「知らんかったけど, ええ名前やなぁ。僕, 文太やで」


文太は, ミッチーが二年生で, 父親は出版社を経営している事を知りました。

そして, この催しはインク会社がお得意様を集めての宴会だとも, ミッチーが教えてくれました。


文太のすぐ前の舞台上で簡単なスピーチがあった後は, ビールやお酒がどんどんと運ばれて来ました。


父親がビールの瓶を片手に, 知り合いのテーブルに行き, 挨拶をしながら知り合いのコップにビールを注いでいます。


文太は豚まんが好きなので, 世話役のお姉ちゃんにお皿一杯盛り上がるほど乗せてもらいました。そして, オレンジジュースをコップに入れてもらい, 周りの動きを忘れた様に 口いっぱいに豚まんを頬張って食べていました。


人がテーブルに来て父にビールを注ぐ度に全部飲んでしまうのを見て

「お父ちゃん, あんまり飲まんときよ」

「わかっとる, わかっとる」と片手で文太の肩を叩きながら赤顔で, 目が座ってきた父を見て, 文太は心配になっています。


今までは, すっかり酔っ払って家に帰って来てからの父しか見たことが無い文太は, 今日 父の変身を目の当たりに経験しているのです。


夜遅く酔っ払って帰って来る父は, 何時も文太の部屋に入ってきて「おい文太! 起きんか!」と言って, ゲンコツで頭を叩いて文太を起こそうとするのです。

『今日もお父ちゃんが酔うたら頭叩かれるんやろか?』と思い始めた文太は


「お父ちゃん, もうそろそろ水族館に行こか?」と催促しました。

「文太, あと一時間したら行くぞ」と返事する父は, 約束通りの時間になると駅までタクシーを呼んで貰いました。


「お客さん, 駅でっせ!」

「お父ちゃん, 起きよ」と, 腕を引っ張る文太の仕草に目を覚まし

「すまん すまん! なんぼやねん?」


「お父ちゃん, 水族館行きの電車の乗り場知っとるか?」

「それぐらい知っとるで。 さっ, こっちや」


電車に乗ると、眠たそうな父は、

「文太, "水族館口" に着いたら起こしてくれるか?」

「うん。 それが駅の名前なんか?」

「そうや」


文太は電車が駅のホームに入る度に駅名を確かめようと, 窓の外を見ています。


「お父ちゃん, 着いたで! お父ちゃん, 起きよ!」と体を揺さぶりますが, 長いベンチのような席に寝転んでしまった父は目を覚ましません。


「お兄ちゃん, 僕ここで降りて水族館に行くねんけど, お父ちゃん起こしてくれるか?」と, 隣の席の青年に助けを求めますが, 青年の援助も空しく,ドアが閉まり, 電車は動き始めました。



「お父さん, 大分飲んだんやろ。次の駅で降りて家に帰った方が良いよ」

「僕の家は田町ヶ丘やねん」

「そうか, それだったらこのまま乗っていたら一時間で着くよ」

「ありがとう, お兄ちゃん」


父親の腕時計が二時を指していたので, 三時には家に着くと頭の中で計算していました。ところが, 文太の車両に乗っていた人達が 二時半には皆降りてしまい, 電車は駅に止まったまま動く気配が無いのです。



暫くすると, コツコツと足音がして, 制服を着た男性がこちらに歩いて来ました。


「おっちゃん, ここ田町ヶ丘?」と聞く文太に

「ここは東山ノ道で, 終点ですよ。この電車は車庫行きですから早く降りてください」と言って通り過ぎて行きました。


『東山ノ道ってどこやろ。田町ヶ丘は通り過ぎたんやろか? あのお兄ちゃんは一時間やと言うてたけどなぁ...』と, 途方に暮れて父親の顔を覗き込みますが, 父はイビキをかいています。


「男は泣かないんやぞ」と何時も父親が言うので, 文太は泣きたくなる衝動を抑えて父の体を揺さぶりますが, イビキが止まっただけで 起きる様子がありません。


大きく開いたままの電車のドアから顔を出しても, プラットフォームには人影が無く, 不安が募る中で, 急にドアが一斉に閉まり, ガタンと大きく揺れると 電車が動き出しました。


暫くすると, 大きな建物の中にゆっくりと入って行った電車の中は真っ暗になりました。


建物の壁の灯で車内がほんのりと見えるようになり, プラットホームには おばちゃん二人がほうきを持って立っています。


再び一斉にドアが開き, 入ってきたおばちゃんが文太を見て

「あんた何しとんの?」とビックリしています。


「お父ちゃんが起きてくれへんから駅で降りられへんかってん」と文太が答えると


「ちょっとあんた, 起きんとあかんよ」と父の体を揺さぶっています。


「あれ? えらい暗いなあ。ここは何処や?」と目を覚ました父が, 起き上がりながら キョロキョロと辺りを見渡しています。


「あんた, こんな小さい子供連れて, 昼間からお酒飲んで, 車庫に着くまで寝とったんやで ! 」とおばちゃんは呆れています。


「おばちゃん, この電車に乗っとったら田町ヶ丘に着くか?」と尋ねる文太に


「何言うとんの, これは反対の方向に行く電車やからなぁ, あんたは 此処から歩いて駅のホームまで行かんとあかんで」と言って, さっきこの電車が止まっていたプラットフォームを指差しています。



文太は, 父の腕を支えて電車から降り, プラットフォームから線路に飛び降りる時に転けて, すねを擦りむきました。



駅までの200mは線路横のジャリの上を歩くので, 母親に買ってもらったばかりの靴が気になっていました。父の足を見ると, 左足は ソックスだけで歩いているので


「お父ちゃん, 左の靴どないしたん?」

「あっ, ほんまや。気がつかへんかったなぁ」と, 自分でもビックリしているのです。


「靴, 探してくるで」と文太が言うと、

「さっきのプラットフォームから飛び降りた時に脱たんかもしれんなぁ。見てきてくれるか?」

「うん」と言って文太はジャリの上を早足で戻りますが、靴は見つかりません。その辺りをうろうろしていると、さっき降りた電車がプラットフォームに向かって走って行きました。


『靴はあの電車の中かもしれへんなあ』と文太は思いましたが、電車は以前のプラットフォームには止まらずに運行を続けて見えなくなりました。



家に帰った文太は, 今日の出来事が水族館に行くよりも凄い冒険をしたみたいで, 興奮してお母ちゃんに話しました。


それを聞いたお母ちゃんは, 呆れ顔で


「ようそんだけお酒飲んで, 寝てしもて, 靴まで無くして, 文太に何かあったらどないするの?」と怒っています。


お父ちゃんは 部屋の隅で小さくなってお茶を飲みながら, お母ちゃんには頭が上がらないみたいです。


文太はこんな場面を何回も見ているので,

『何で,お父ちゃんはお酒を飲むんやろ?』『僕はお酒は飲まへんで』と思いながら


「お母ちゃん, 外で遊んでくるで !」と家から飛び出しました。




Written on 02/19/2021 in Clearwater, Florida, USA.

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