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【鷹司晴夏】月ヶ瀬穂高 と 本物の音色


「はじめまして。月ヶ瀬穂高と申します。どうぞよろしくお願い致します」


 その少年は、母の前で丁寧な仕草で腰を折る。

 ひとつひとつの独立した動きが美しく、それが連続した所作にかわると、その流麗さに目が離せなくなった。


 ああ、この少年は、あの映像の中にいた──あの少年だ。

 彼は、真珠の兄だったのか。


 そう思った瞬間、ホッとしている自分の気持ちに気づき、何故だろうと首を傾げる。


 母が僕の様子をみて、フッと目を細めた。

 その微笑みには、どんな意味があるのだろう。




「昨年までは境野(さかいの)晴子(ハレコ)先生からご教授いただいていました。(ひいらぎ)先生、どうぞよろしくお願いします」


 彼は、僕の祖母──母の実母である晴子さんからマスタークラスを受けていたようだ。

 けれど今年は晴子さんは『クラシックの夕べ』には参加できず、母が彼のレッスンを代理で担当することになったのだ。


 礼儀正しい真珠の兄の態度を見て、母が面白そうに口角を上げる。



「紅子──だ。穂高、お前も面白い『匂い』がするな。これはいい。今回の滞在は飽きそうもないな。久しぶりだ。この感覚は。美沙の子供は、揃いもそろって面白い」



 母はソファに深く腰掛け、腕組みをして彼を見詰めている。




 月ヶ瀬穂高と名乗った少年は、その母の様子に顔色ひとつ変えることなく──


「わかりました。では、紅子さん──そう呼ばせていただいても?」


 ──と告げた。




「ああ、それでいい。穂高、紹介しよう。ハル、スズ、こっちへ来い」


 僕と涼葉は母に呼ばれ、彼に紹介された。




 月ヶ瀬穂高と名乗った年上の少年は、強い決意を秘めたような眼差しを持っていた。そのふたつの瞳が彼を更にひきたて、僕の中に強い印象を残す。



 今まで、人の美醜を気にしたことはなかった。


 ──この少年に出会うまでは。



 柔和さの中に毅然としたものを感じ、それが均整のとれた顔つきを際立たせているのだ。


 涼葉が「王子さまだ」と言って、頬を赤く染めている。



 王子さま?──それは違う。



 僕は何故か咄嗟にそう思った。



 見た目は確かにおとぎ話の中の王子さまのようだ。

 けれど、彼が内に秘めた何かは、ただの王子さまというだけでは言い表せない──僕には理解できない、不可思議なものを宿している気がした。


 そして、不思議なことに何故か僕は、彼の内面にも『彩』を感じていた。



 母が僕たち兄妹を紹介後、彼は僕に名前の呼び方について質問をしてきた。


「晴夏くん、と呼んでも?」


 彼は穏やかな笑顔で問い合い、僕は静かに頷いた。



「ありがとう。僕のことは穂高──と、そう呼んでほしい」



 今まで同年代の友人を呼ぶときは、苗字でしか呼んだことがなかった。



 家族以外の人間のファーストネームを呼ぶのは、僕にとって生まれて初めてのことだ。



 名前で呼び合う──それを許されることが面映(おもはゆ)い。 



 それが『真珠』の兄──穂高との初めての出会いだった。




          …



 

「なるほど……穂高。分かった。その曲を最終日に弾きたいのだな──理由を聞いても?」


 穂高は母に仕上げてほしい曲の楽譜を手渡した。


「とても大切な人のために奏でたい──ただ、それだけです」


 彼は、どこか遠くを──この場にいない誰かを想うような表情を見せた。


「それは『想い人』──というやつか?」


 穂高が一瞬息を呑むのが伝わった。何故かひどく戸惑っているようにうつる。



「……よく……分かりません。ただ、ずっと守っていきたい──とても、とても……大切な人です」



 母はその応えに対して「そうか」と呟いたあと、彼に右手を差し出した。



「穂高──その曲を、美しく()()()音色で仕上げよう」



 母のその言葉を受けて、穂高はホッとした表情を見せたあと、しっかりと頷き、差し出された母のその手を掴んだ。


「はい、紅子さん。どうぞよろしくお願いします」



 彼の瞳には曇りも穢れもなく、とても純粋にその大切な人を想っていることだけが分かった。





          …






 その日、僕は結局真珠に会うことはできなかった。


 穂高の話によると、彼の妹は親類と一緒に長野経由でこちらに到着することになっているようだ。


 本当なら、今日の夜『天球』へ着く予定だったが、途中で体調を崩し、今夜は長野にある星川リゾート『紅葉』で休んでから、明日日光入りすることになったそうだ。





 翌日、午前中から穂高は母の部屋でピアノのレッスンを開始した。


 彼の音色は、まだ粗削りながら、輝く光の粒を内包していた。

 ああ、彼も──彼の音色も、真珠と同じ『本物』だ。



 なぜ、こんなにも突然、今まで巡り合うことのできなかった『本物』の音色に触れることができるのだろう。



 僕は、穂高の演奏に心が震えた。



 美しく、そしてなんて儚いのだろうか──大切な人を想って弾く、彼の音色は情感に溢れ、僕の心を満たしていく。



 想い人のために奏でるのならば、もっと幸せに満ちた音になるのかと思っていた。


 僕は不思議に思いながら、切なさと苦しさが見え隠れする彼の演奏に魅せられていった。



 ──彼が守りたいという大切な人とは、一体どんな人物なのだろう。



 


 穂高の演奏に胸打たれたその日の夜──僕は未だ、真珠に会えずにいる。けれど、彼女は既に『天球』に到着している時間だろう。


 真珠がシィなのか、それさえも分かっていない。


 けれど、涼葉が「シィシィに会えない」──そう嘆いている姿を今日一日よく目にしていた。

 そう考えると、やはりあのシィは、真珠という可能性が高い。



 なぜこんなにも印象が違うのだろう。


 去年のシィには『彩』を感じなかった。

 彼女を見ていても心に明かりは灯らなかった。


 そもそも、顔さえも思い出せないのだ。


 けれど、声だけは分かる。

 僕の耳は、彼女の声だけは覚えている。



 真珠とシィについて、思いを馳せながら窓辺で星空を眺めていると、何処からか美しいチェロの演奏が流れ込んできた。


 僕はその音色に心惹かれ、耳を澄ます。


 気づくと、いつの間にか母も僕の隣に立っていた。



「これは、フォーレの『夢のあとに』……か」



 母は窓辺の壁に寄りかかりながら、静かにその演奏に耳を傾けている。



 情熱と哀しさを感じさせる──美しくも切ない音の連なりだ。



 このチェリストも、穂高のように誰かを想い、その心に苦しさを秘めながら弾いているのだろうか。


 その音色を心に取り込むだけで、何故か胸に熱いものがこみ上げてくる。


「美しい……切ないまでの音色だな……。ハル、お前の心は……それが……分かるようになったのか?」


 母が驚いた表情をした後、少し震える声で、僕に問うた。


 気づくと涙が(こぼ)れていることに気がついた。

 何故、目から止めどなく雫がこぼれ落ちるのか分からない。


 この奏者の爪弾く、心をのせた演奏に、ただただ聴き入ることしかできなかった。



 この音色も──『本物』だ。



 今までどんなに求めても「出会う」ことも「出合う」こともできなかった音色。



  ひとつは、真珠の。

  ひとつは、穂高の。

  ──そして、もうひとつは、このチェロの音色。



 この短期間に『本物』の音に出会い、僕の世界が突然色づき始める。



 偶然が重なった──ただそれだけのことなのかもしれない。


 けれど、それは僕にとって、求めてやまなかった奇跡の音色との、運命にも似た巡り合わせだ。


 少なくとも、僕にとっては大切な、忘れられない出会いになったのだと思う。



 母はそんな僕を抱きしめてくれた。


 それと共に、このチェロ奏者に対して、彼女の中で疑問が生じたようだ。



「誰が弾いているんだ? こんな演奏をするチェロ奏者には、今まで『天球(ここ)』でお目にかかったことがない……。誰だ? 今年から参加することになったチェリストがいるのか? なんて、心に響く音色なんだ……」



 誰かを求め、彷徨い、焦がれる──そのチェロの音色が、僕の心と重なる。



 昏い世界から光を求めて手を伸ばし、もがき苦しみながらも何かを得ようと、灯火を探して彷徨う──僕のそんな心と重なったのだ。



「気になるか? ハル」


 僕はコクリと頷いた。


「わたしも気になる。隣の棟から響いてくるようだ。明日──この音の主を訪ねてみよう」 


 母はそう言って、夜空の星を見上げた。



「面白い。今年の『クラシックの夕べ』は、最高に──(たぎ)るな。「何」がこの状況を作っているのか。人智の及ばない『何か』が投げ込まれたような、不思議な高揚感だ。この『匂い』はいい。この場に『在る』──それだけで何という僥倖か。心底面白い」



 ──そう言って、母は破顔した。





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