【真珠】親とは
本日のランチ処は『ペルセウス』になった。
定食メニューを頼むのだが、貴志と加山は和食。理香はパスタを食べている。
わたしと晴夏はお子様ランチ――カボチャドリアだ。
甘いカボチャと濃厚なホワイトソースがケチャップライスの上に乗り、三種類のチーズが混ざっていて、すべての食材のハーモニーが絶妙だ。
わたしの左には晴夏、右には理香、目の前には貴志、その隣には加山が座る。
目の前の貴志の綺麗な顔が目に入った瞬間、先ほど努力して封印した記憶がよみがえった。
どうしよう。
貴志の顔がまともに見られない。
目が合っても、その瞬間にサッと逸らしている状況だ。
かなり挙動不審になっているのは分かる。
でも止められない。
晴夏もその様子を気にしているようだ。
理香はなんだか含み笑いで楽しそうだし、加山は何を考えているのかよく分からない微笑を浮かべている。
貴志は──不機嫌マックスだ。
元々、理香におちょくられて機嫌が悪いところに、わたしがこの態度なのだ。
ご機嫌斜めになるのは当たり前かもしれない。
どうしよう。
本当に嫌われるかもしれん。
でも、止められん。
あんな恥ずかしいことを考えていたなどと、絶対に絶対にバレるわけにはいかんのだ。
そう思っていたところ、晴夏の「熱っ……」という声が聞こえた。口に入れたカボチャドリアが、思ったよりも熱かったようだ。
いつも礼儀正しく、食事のマナーも美しい彼が、慌てて口に入れてしまったのだろうか。そんな失敗をするなんて珍しい。
「ハル、大丈夫? 舌、火傷しちゃった?」
心配して顔を覗き込む、晴夏がぎょっとしたように身を引いた。
「舌、出してみて? あ、ちょっと赤くなってるみたい」
顎を下から持ち上げ、驚いた表情で口をあけた彼の口腔内を確認する。
舌を火傷すると暫くジンジンして、一日中違和感が残る。
これは痛そうだ。
お冷やの氷を取り出し、それを摘まんで晴夏の舌先にそっとあてる。
わたしが彼の顎をクイッと支えているからか、晴夏は微動だにしない。
されるがままになっているのだが、火傷の箇所に氷が当たって気持ちが良いのだろう。本当にピクリとも動かないのだ。
しばらく彼の母親になったつもりで甲斐甲斐しく世話を焼いていたのだが、その氷が小さくなった頃、貴志の「早く食え」の一言で我に返る。
晴夏もスプーンで少しずつドリアをすくって食べ始めた。
もう大丈夫そうだ。良かった。
では、わたしも味わおう、と急いで自分のドリアを食べようとするのだが、子供の舌にはまだ熱い。
わたしもかなりの猫舌なのだ。
わたし的には急いで食べていたつもりだが、貴志の目にはモタモタ食べているように映ったのかもしれない。
先に食事を終えた彼がわたしの手からスプーンを奪った。そしていつものごとく、冷ましてもらいながら餌付けされることと相成った。
さっきはわたしが晴夏のお母さん役でお世話をしていた筈なのに、いまは貴志がわたしのお母さんになっている。
目が合わせられない。
もう今は自分に暗示をかけて、食べるしかない。
貴志はお母さん、貴志はお母さん、貴志はお母さん──と呪文のように心の中ので念じる。
サラダが食べたくなったので、貴志に次に食べるものをお願いしようと思って、うっかり──
「お母さん、次はあれが食べたい」
と言ってしまった。
理香は爆笑し、加山はクスクスしている。
「誰がお母さんだ」
貴志の機嫌は恐らく、もう救いようがないほど悪くなったと思われる。本当にどうしよう。
わたしが何も言えずに口をハクハク上下させていると、貴志が溜め息をつきながら言う。
「お前の母親は美沙だろう。ホームシックか? 親に会いたくなったのか?」
親──
誠一パパと美沙子ママは、『天球』に一緒に来ていない。
父は仕事が始まり、母も父が代表取締役をつとめる会社関連の仕事のサポートで忙しくしている。
晴夏を見る。
彼の母親は、柊紅子──彼女はとても愛情深く、子供のことをとても考えていることが昨日からの会話でよく分かる。
人格的には多少の問題はあるが、それを差し引いたとしても、親としての務めをしっかりと果たしていると思われる。
そして、貴志の育ての母親は、わたしの祖母・月ヶ瀬千尋──彼女も、中学生時代に手元を離れて行った貴志に対して、満足はいかない中でも自分が出来得る限りの手助けをしながら愛情を注いできたのだろう。
実は、涼葉と晴夏を見ていて、わたしは自分と兄の成長過程の「あること」に対して衝撃を受けたのだ。
あること──それは、わたしたち兄妹の言語能力の発達について──だ。
兄は、それでも言語能力のギフテッドがあったから、まだましだったのだと思う。
それが開花したことによって、兄はおそらく年齢相当──もしくは、それよりも上の会話力を今では手に入れている様子が見受けられる。
わたしが真珠の身体で動きまわるようになった当初、一番苦労したのが「喋る」ことだった。
サ行が上手く言えなかったし、表情筋が上手く動かなかったのだ。
また、喋り方も舌足らずで、かなり幼かった。
その後、自分で五十音を毎日発音することによって、あっという間に喋りについては克服したのだが、鷹司兄妹にそういった言語能力の瑕瑾は見受けられない。
涼葉に至っては、真珠よりも一歳も幼いのに、かなり活舌良くしっかりと話していたことに、昨日かなり驚いたばかりだ。
子供は、親や周りの大人の話しかけによって、言語能力を発達させていく。
毎日の何気ない会話、絵本の読み聞かせ、日々の親とのかかわりで、徐々に自分の意見を話せるようになるのだ。
誠一パパと美沙子ママの五年にも及ぶ確執によって、一番の被害を被ったのはわたしたち兄妹──その言葉の発達だ。
一番身近にいる親が、読み聞かせや語りかけることをしてこなかったのだ。本人たちにも言い分はあるだろうが、「子育て」という観点から考えると及第点は難しい。
勿論、祖父母や木嶋さんもいたが、四六時中一緒にいるわけではない。もしこの三人がいなかったらと思うとかなりゾッとする。
真珠が幼い頃から癇癪を起しやすかったのは、おそらく言いたいことが言えない、伝えたいことが伝わらないというジレンマからなのではないか──今ではそう思っている。
子供の言語中枢が完成するのは八歳くらいと言われているので、それまでの間に子供に対して会話や読み聞かせ等の働きかけをするのはとても大切なことだ。
伊佐子の親と比べてはいけないし、伊佐子と真珠では育った環境も全く違う。
伊佐子の親は海外で生活していたし、その子供たちが現地の言葉を話せない、理解できない──そこから生じる苦労を早く取り払おうと、言語教育にはかなり心血を注いでくれていた。
キンダーから低学年中は毎日リーディングログという宿題が出るのだが、最低でも一日十分間の読み聞かせをしてほしい、と親に課せられる宿題のようなものだ。
伊佐子両親はわたしと尊に対して、毎晩寝る前に読み聞かせをしてくれた。それも子供が喜びそうな本を選別し、それを四年に渡って続けてくれたのだ。
両親のベッドの上でゴロゴロと転がり、父が英語の絵本を、母が日本語の絵本を読み聞かせしてくれるのが椎葉家の日課だった。
親は子供の習い事や学校の宿題にも付きっ切りなので自分たちの趣味を後回しにして、毎日一時間近くの読書時間をわたしと尊の為に費やしてくれたことに、頭が下がる。
相当な根気が必要だったと思われるが、この時間を取ってくれたことを、わたしは本当に感謝している。
寝る時間になっても、両親の読んでくれた話の続きが気になって、もっと聞きたい! と尊と二人でお願いしたものだ。
両親の頬にチュッとキスをして「もっと」とせがんで、あと少しだけ続きを読んでもらったことが懐かしい。
父母の努力のおかげか椎葉姉弟の言語力は飛躍的に伸びていったのだ。
誠一と美沙子にも事情があったのだけれど、もう少し早く子供に関心を持ってくれていたら良かったのにと思ってしまう。
わたしは、そんなことを考えて、きっと難しい顔をしていたのだろう。
「親の科……だ……」
ポツリと呟いた言葉を拾ったのは、理香だった。
「何があったのかは知らないけど、どんな親でも生きていてくれるだけで、とても有難いものなのよ。もちろん……普通の親に限るけどね」
彼女は、どこか遠くを見るような、不思議と凪いだ眼差しをわたしに向けていた。
登場時、二人の喋り方が幼かったのは、こういった理由からなんです(-_-;)







