【真珠】貴志クンを見守り隊
貴志に言われた言葉の真意について、物思いに耽っていたところ、声をかけられて現実に戻された。
「そろそろお昼を食べにいきましょうか。皆さん」
加山の言葉に我に返り、わたしはハッとする。
(な……なんという、なんという、わたし史上最強に破廉恥なことを考えていたのか!?)
──と、激しく悶えた。
駄目だ。
貴志の顔が、見れん!
何が、せめて十年待ってほしい、だ。
まだ彼がわたしに向けてくれる感情が確定しないうちから、そんなことを考えるなど、わたしは発情期でも迎えてしまったのだろうか──伊佐子時代を含めて、生まれて初めての。
どうしよう。
本当に脳みそがどうにかなっているのかもしれない。
病院に行った方が良いのだろうか。
でも、お医者さまに何と説明すれば診察してもらえるのだろう。
正直に発情期かもしれないと相談するしかないのだろうか。
こんな子供がそんなことを言ったら、医師も看護師もビックリだ。
どうしよう。
本当に病気かもしれない。
誰かに相談したい。
でも一体誰に?
自分の脳みその湧きっぷりが凄まじくて、盛大にパニック状態なのだが、昼食のため理香の部屋を出る準備をしなければならない。
とりあえず深呼吸をして、落ち着こう。
このままでは、かなり挙動不審の怪しいお子さまになってしまう。
よし!
しばらくは今の記憶は封印だ!
そうじゃないと、みんなと一緒にいられない。
…
昼食後は理香と加山が晴夏を部屋に送りがてら、彼の保護者に挨拶をするとのこと。
晴夏とわたしは昼寝をして、その間に理香は伴奏を完璧に仕上げておくと言っていた。
『星川』まで戻って昼寝をするのも難儀だったので、貴志に「ベッドを貸してくれ」とお願いしてみたところ、「今朝のような無茶なことを言わないのなら」との返答だった。
今朝のような無茶なこと──アレである。
口を塞げと、貴志に対して精神的な青年虐待を繰り広げたやつだ。
貴志のトラウマになっているのだろうか。
いや、間違いなくなっているのだな。
申し訳なさに肩を落とす。
理香が、わたしと貴志の会話を聞いて、「あら、真珠。わたしのベッドでよかったら、使っていいわよ」と提案してくれた。
貴志と理香の棟間の移動もなくなることから、理香の言葉にわたしはアッサリと甘えることに決めた。
貴志は渋い顔で「こいつはよだれを垂らすぞ」と、サラッとわたしの秘密を暴露しおった。
今朝、彼を困らせた後、呑気に爆睡したわたしは、よだれを大量に垂らしたのだ。貴志のシーツに。
「理香のベッドに敷くタオルを貸してほしい」と貴志にお願いする。理香のいい匂いのするであろうベッドを、よだれまみれにしてはいけない。
「やだ、貴志、それってヤキモチ? そんなに自分のベッドで寝かせたかったの? 真珠、タオルならわたしのがあるからコイツのなんか借りなくていいわ。別にヨダレくらい垂らしたって怒らないわよ」
なんと!?
垂らしてもいいのか。
なんて心の広い!
理香の懐の深さに感動だ。
でもタオルでよだれガードは必須だ。
理香は、ふふん、と彼に対して上から目線で笑うと、貴志は不機嫌さを増した。
理香よ、何故そんなに貴志に辛く当たるのだ。
一度は情を交わし合った仲なのであろう。
言い返せない貴志を見るのは珍しいのでついつい見入ってしまうのだが、ちょっと不憫にもなった。
多分、理香は貴志で遊んでいるだけのような気もする。
今度、加山に中学生時代の二人の様子を聞いてみたい。
加山も含めて、理香におちょくられて、いいように振り回されていたのだろうな、と想像に難くない。
午後の予定を詰めてから、理香と加山、貴志と晴夏、それにわたしをあわせた5人で『天球』本館へと移動する。
部屋から出る時に、いつものごとく貴志はわたしを抱き上げて運ぼうとしたようだ──が、わたしに伸ばされた彼の腕は、理香によってベシッと叩き落とされた。
「理香!? お前、何を──」
貴志が唖然とした顔で理香に向かって言った。
彼女は、貴志の科白にニッコリと笑う。
「外道に、子供に触れる資格はないわ」
理香の口から、何故か、二股にわかれた赤い蛇舌の幻覚が見えた気がした。
そして、わたしは理香に左手を引かれ、右手には何故か加山。
時々、二人にフワーッと持ち上げられ、キャッキャウフフとまるで親子の触れ合いのように森の小径を移動中だ。
これがもの凄く楽しい!
空中ブランコのようだ。
あまりの楽しさに、独り占めも申し訳ないと思い、晴夏もやってほしいかと訊いてみたが、彼は首を左右にフルフルさせるだけだった。
そして貴志は、かなり御冠だ。
わたしに対しても、お怒りモードを炸裂させている気がする。
だが、貴志よ、本当に申し訳ないのだが、この空中ブランコは驚くほど楽しい。
昼食後もこの二人の間に挟んでもらって、ブランコをしてもらいながら帰ってこよう──わたしの心は既に決まってしまった。
ガゼヴォを抜け、チャペル『天球館』の前に差しかかったあたりで、今朝わたしの腕を掴んできた女性5人組の姿を発見した。
どうやら写真撮影をしているようだ。
石のチャペルはSNS映えスポットらしく、若い女性グループがよく訪れているのだ。
そのグループが、貴志とわたしたちに気づいたようで「チェロ王子だ」と色めき立っている様子がうかがえた。
わたしがビクッと怯えたのが繋いだ手から伝わったらしく、理香がわたしの視線の先に目を向ける。
舌打ちでもしそうな表情をした理香だったが、本館の方から歩いてくる別の六人程の女性グループを認めると、ホッとしたのか何事もなかったように歩を進めた。
「理香? どうしたの?」
わたしは不思議に思って、彼女に訊ねる。
「大丈夫。『守り隊』が来てるから、大事にはならないと思うわ」
そういえばさっきも『守り隊』とか言っていたな、と寝室での会話を思い出す。
その『守り隊』なるグループのひとりが理香に軽く目礼するのが分かった。
理香も、ウインクしながら軽く手を上げる。
その後わたしもその女性と目が合ったのだが、彼女はとても優しい目で笑ってくれた。
加山が驚いたように呟く。
「彼女たち、来ていたんだね。今年は葛城の傍にまったく現れないから、来ていないんだとばかり思っていたけど……そうか……『お姫さま』が葛城の近くにいたからか……なるほど」
加山は、ひとりで納得している。
話が見えない。
どういうことなのだろう?
「通称『守り隊』──正式には『貴志クンを見守り隊』よ。昔からある貴志のファンクラブ。毎年、貴志がコンサートに出る日程が分かると集まってくるの。特に害があるわけじゃなくて、ただ見守ってるだけだから心配しなくていいわ。どちらかというと貴志に迷惑をかける輩を撃退する親衛隊ってところかしらね。敵にまわすと面倒臭いけど、味方に引き入れたら百人力──少なくとも去年の時点で30人くらいはいた筈よ。興味あるなら紹介するわ。旧知の仲なの。あの隊長──高荷咲子は」
『貴志クンを見守り隊』──
すごいな貴志。
我が父の『誠一サマ倶楽部』に匹敵するファンクラブなのではないか!?
チェロ王子と呼ばれるよりも以前に、そんなファンクラブを持っていたとは、驚きを隠せない。
キラキラとした尊敬のまなざしを貴志に向ける。
わたしから発せられた念に気づいた貴志は、毛虫でも見るかのような目つきになり、シッシとその手でわたしの視線を追い払った。相当機嫌が悪いのが分かった。
は! そうか!
そういえば、貴志が旅行前に言っていた、四六時中女性が近くにいて落ち着かないというのは『守り隊』のことなのか!
そして、セクハラまがいのことをしてくる女性というのは、おそらく今回のような俄かファン?
想像するに、彼は毎年、にわかファンと『守り隊』の攻防の渦中に置かれていたのだろう。多分。
しかし、加山の言葉を受けると、今年は貴志の周りに今のところ女性が群がっていない──と言うことは、わたしはきっちりと『女除け』の役割を果たしていたのか!
おおおおおお!
今更ながらにその真実に気づき、わたし役立ってる! と、誇らしい気分になった。
これは、きっと、鬼押し出しへ連れて行ってもらったお礼になっている筈だ。
確かに子供に手を焼いている貴志には、色気で女性を悩殺する魅力よりも、子育ての苦労の方が滲み出ているのだろう。
彼に、そんな所帯じみた生活感による辛苦を醸し出させていた自分が嘆かわしくもあるが、おそらくそれがきっと女性を遠ざけていたのだ。
苦労をかけて大変申し訳ないと思いつつ、わたしが近くにいることによって貴志の女性トラブルによる心労が減るのであれば、『天球』滞在中はもう少し彼の傍にいて、恩返しをしなければいけない。
…
しかし、その『守り隊』の働きにより、貴志は貞操の危機からも守られているのかもしれないのだから、もう少しファンサービスに努めた方が良いぞとも思う。
後で、大人の礼儀として彼女らにファンサービスをするべきだと進言して差し上げよう。
なんなら、わたくしめが僭越ながら茶話会などを開き、『守り隊』をご招待申し上げ、『貴志クンを囲む会』なるものを催すべきなのかもしれない。







