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【真珠】わたしと晴夏の伴奏者 後編


 理香と加山が、交互に貴志と通話している。その様子を窺っていると、晴夏がわたしの手を繋いできた。


 彼は心配そうな表情でわたしの顔を覗き、その後チラリと加山を見て、次いで理香に視線を向けた。


 彼は、先ほどからずっと理香に対して警戒心を顕にしているのだ。


 わたしは繋いだその手を、ギュッと握り返しながら笑顔で答える。


「ハル? 理香のことは警戒しなくてもいいんだよ。心配してくれているみたいだけど大丈夫。紅子も理香がわたしたちの伴奏者になるのは反対しなかった。だから、安心してね」



 晴夏にそう伝えた終わったところで、理香の部屋のドアベルが鳴らされた。


「葛城が、もう着いたのかな? 随分と早いね。理香、念のために僕が出るよ」


 そう言って彼が玄関のドアに移動する間に、再度ベルが鳴らされる。


 加山が苦笑いをして「お姫さまが心配で仕方がないらしい」と言いながら玄関のドアを開けた。





 そこには貴志が、肩で息をしながら立っていた。走ってきたのだろうか。


「加山――何度も連絡をいれたんだぞ。真珠は? 一体何があったんだ」


 血相を変えた貴志は、いつになく慌てた様子だ。


 珍しいこともあるもんだ、と思い、わたしはソファから立ち上がって玄関に向かう。


「貴志、どうしたの? そんなに慌て――」



 みなまで言い終わらないうちに、急に腕を引かれ、わたしは貴志にスッポリと抱きしめられた。


 彼はそのままの体勢で、力が抜けたように座り込み、ホッとしたように長い息を洩らした。



 どうしたんだろう?

 何をこんなに心配しているのだ。



「どうしたの? ほら、しっかりしろ! 貴志よ。みんなが見ているぞ」



 わたしは彼の腕の中から、ニョキッと手を出し、おーよしよし、とその背中をさする。



「真珠、お前に何かあったのかと……心配になって、……気づいたら、部屋を飛び出していた」



 そうか。そういえば加山からの電話で、ガゼヴォで問題があったと伝わっていたんだっけ。


 わたしのことを心配して探してくれたんだと思うと、なんだかくすぐったい気持ちになった。



「貴志、過保護だよ。心配しすぎ。加山ンも理香も、晴夏もいるんだから大丈夫だよ」



 貴志はわたしの言葉にホッとしたのか、「そうだな」と言って手の甲を口元に当てる。

 しまったな、という表情を一瞬見せたあと、彼はわたしに向かって柔らかく微笑んだ。


 冷たい両手がわたしの頬を包み込む。

 掌の温度の心地良さに、わたしは自分の手を重ねて頬ずりをした。


「真珠、何事もなくて……本当に良かった」


 貴志の唇がわたしの額に落ちてきた。


 わたしがニッコリ笑って、貴志の首に腕をまわして抱きつこうとしたところ――


 理香の咳払いと、加山のクスクス笑いが耳に届いた。


「ちょっと、人の部屋の前でイチャつくのは止めてくれる? あんたたち!」


 イチャつく? はて? それはわたしと貴志のことであろうか?

 イチャつくとは、恋仲の男女のアレやコレやのことではないだろうか!?


 いや、そんなことは全くしとらんぞ!

 断じて違う!

 わたしはお姉さんとして、弟分の彼を宥めていただけだ!


 ――と、反論しようと口を開いたところ、新たな声が加わる。


「ああ、貴志さん、良かった。見つかった」


 兄の声だ。


「穂高か、どうしたんだ? 練習はもう終わったのか?」

「お兄さま、どうしてここに? 練習は?」


 貴志とわたしは同時に口を開く。二人でピトッとくっついたまま。


「ちょうど休憩中に、貴志さんが『真珠』って言いながら血相をかえて部屋を飛び出すところを見て、僕も心配になったから紅子さんに許可をとって追いかけてきたんだ。どうしたの?」


 兄は、理香をチラリと一瞥した気がする。

 何故か視線に鋭さを感じ、思わず目をこすって彼を二度見する。


 兄はそんなわたしに気づき、こちらに目を向けると、これぞ王子さま! という素敵な笑顔を見せた。


 そうそう!

 お兄さまの笑顔はこれだ!

 良かった、王子スマイルは健在だ。


 先程、理香に向けた棘のある視線は、おそらく気のせいだ。

 幻だったに違いない。


「あれ? 真珠、髪型を変えたの? お姉さんみたいで可愛いよ」


 お兄さまがポニーテールを、そっとすくい上げる。

 彼は、まるでお姫さまに口付けを落とすように、その毛先に優しく唇を置いた。


 嬉しい。


 お兄さまは、本当に王子さまだ。

 わたしは、彼の前では、本物のお姫さまのような気分になれる。


 ハートを飛ばしながら、兄に手をのばす。



 貴志よ、ちょっと離れてくれ。

 わたしは今、穂高兄さまの胸に飛び込みたい。



「お兄さまに褒めていただけて、本当に嬉しい。似合いますか? 理香が結ってくれたんです。このスカーフをリボンにしてくださったの」



 兄はわたしの手を取りつつ、少し驚いたような表情で、理香とわたしを交互に見ている。


 その後、兄は晴夏に視線を送る。

 それを受けた晴夏が無言で首を縦に振った。


 兄は流れるような見事な所作で立ち上がると、理香の近くに華麗な足どりで進む。そして、彼女へその右手を差し出した。


 わたしはその後姿をじっと見詰めていた。


「西園寺理香さん、初めまして。真珠の兄です。妹がお世話になったようで、ありがとうございます」


 理香がたじろいだように見えた。


「え……? っあ、うん……いえ、どう……いたしまして?」


 理香がこんな風に、言葉に詰まりながら話す場面を初めて見た。


 きっと、お兄さまの、あまりの王子さまっぷりが素敵で驚いているのだろう。

 後で、お兄さまの素晴らしさについて、理香と共に女子トークに花を咲かせるのもいいかもしれない。


 それにしても、何故、晴夏に続き兄まで、彼女の名前を知っているのだろうか。


 二人揃って、このバンビちゃんのような可愛らしい理香が好みなのだろうか。



 ――年上趣味か、二人とも奥深いなと感心しきりだ。



 理香と兄が握手をしたところで、わたしは「そうだ!」と言って、貴志の腕の中から抜け出す。


「ハル、ちょっとこっちに来て!」


 手招きして晴夏を呼び、近づいてきた彼の手を繋いで理香の隣に進む。



「お兄さまと貴志に紹介します。最終日のコンサートで、わたしとハルのピアノ伴奏を受諾していただきました――西園寺理香さんです。よろしくお願いします」



 兄は目を見開いて息を呑み、貴志は呆気にとられた表情を見せる。



「真珠、待て。紅は……紅は、何て? 許可は取ったのか?」



 貴志の科白に、わたしは人差し指をチッチッチッチと言いながら左右に揺らす。



「紅子の許可は今朝取り付けてある。理香の伴奏の音色は、紅子も気に入っている。貴志も、ずっと彼女に伴奏してもらっていたんでしょう? アカンパニストとしての腕の良さは、貴志自身で証明済み――だよね?」



 理香を背に、貴志と兄を前に――わたしに手抜かりは無い、準備は万全だ! と胸を張る。



 すると、わたしの身体に理香の二本の腕が、蛇のように絡みついてきた。


 背後から彼女に抱きしめられているのだが、柔らかくて良い匂いがする。



「そういうことなの。よ・ろ・し・く・ね。お二人さん」



 理香は、うふふと笑ってから、わたしの頭頂に口づけを落とすと、チュッという音をわざわざ誇示するように響かせた。



 穂高兄さまと貴志は、理香のその態度に、時間が止まってしまったかのように微動だにしなくなった。


 理香は獲物を得た大蛇のような目をしているのだろう。

 その目は、この獲物――真珠は誰にも渡さないと、二人を舐めるように見据えている。おそらく挑発しているのだろう。



 理香が貴志にこの態度をするのは、何となく分かる。

 だが、何故、穂高兄さまにまで、こんな態度をとるのだろうか!?



 お兄さま、この短時間で理香の機嫌を損ねるような何かをしたんですか!?



 理解に苦しむ。

 だが、ひとつ分かったことがある。

 ――理香も相当な負けず嫌いだ。



 今度は、理香はわたしの頬にキスをして、二人にニッコリ笑いかけた。


「しばらく、わたしと真珠は一心同体よ。そこのお二人さん、やきもちを焼いて邪魔しないでちょうだいね」


 晴夏は渋い顔を見せながら目を閉じ、加山はクスクス笑いを発動中。



 わたしと晴夏の協奏曲に、大蛇・理香という頼もしい伴奏者が加わった。



 この三人で、どんな曲が奏でられるのだろう。

 ちょっとの不安と、大きな期待を胸に。


 ――さあ、練習の時間だ。







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