【真珠】わたしと晴夏の伴奏者 前編
理香の言っていた本題とは、最終日の発表までの練習をガゼヴォではなく、理香もしくは加山の棟でしてみないか、という提案だった。
彼らは子供に音楽を教授することに興味があるので、その一環として場所を提供するかわりに、わたしたちの練習の見学をしたいという話だった。
ゲームスタート時の十年後、わたしと攻略対象たちが進学する高校にて、彼らは教育者として生徒の技術指導に取り組んでいる。
確かにとても関心のある分野なのだろう。
「それって、加山ンと理香がわたしたちの先生になって練習を見てくれるってこと?」
と、確認してみたが、どうやら違うらしい。
加山は「お姫さまは話し方がだいぶ崩れたね。その方が子供らしくていいよ」とクスクス笑っている。
寝室にて理香の罠にはまり、丁寧な喋りは早々と姿を消していたのだが、加山に対しても同じように話していたことに今更ながら気づく。
しかも、『加山ン』呼びをしていた。
後の祭りだが、どうしよう。
距離感のない、ものすごく馴れ馴れしい子供になっていたことを自覚して、恥じ入るばかりだ。
「君たちの協奏曲の演奏は、既に完成された域にあるからね。今の僕たちが君たちの先生になるというのは、おこがましいよ。どちらかというと、合奏の場に参加させてもらって後学に生かしたいんだ」
ガゼヴォで日中子供だけで練習をしていると、今回のように変なことに巻き込まれる可能性もあるし、そろそろピアノの伴奏者と調整する頃だろうから、練習場所についてアカンパニストの意見も訊いてもらいたい――と、加山に確認をお願いされた。
実はピアノ伴奏については、非常に迷っていた。
せっかくの晴夏の演奏だ。
紅子が「わたしが伴奏をしてもいいぞ」とは言ってくれたのだが、折角の息子の晴れ舞台――やはり母親には鑑賞側にまわって楽しんでもらいたい。
そういうこともあって晴夏との練習前――紅子の部屋を訪れた時に、彼女に伴奏者についての意向を確認していたのだ。
紅子には「晴夏の演奏を心ゆくまで味わってほしい。伴奏者は他を当たってみようと思う」――と、今朝の話し合い時にそう伝えていたところだった。
「伴奏者は、誰か当てがあるのか?」
紅子に訪ねられて、わたしは悩んだが正直な気持ちを伝えた。
「西園寺理香――彼女のあのコンサートでの伴奏。あの音色が耳から離れない。紅子は嫌かもしれないけど……わたしも悩んだけど、やっぱりあの音が気になる」
わたしが言い終わると、紅子はニヤリと口角を上げた。
「お前は、男女間の問題やら何やらをすっ飛ばして、やはり『音』に反応するんだな」
楽しそうに笑って、彼女は言葉をつづけた。
「あの音は、伴奏者向きだ。主役級の他を圧倒する華やかさはないが、共演する奏者の音色を最大限に引き出す音色――主役の奏者を、より高みに導こうとする努力が垣間見れる音だ。いけ好かない小娘だが、そこだけは認めよう。それに――あの貴志が、毎年変わることなく、ずっと伴奏者に指名していたんだ。腕は確かだろう」
紅子的には、問題ないとのことだ。
貴志と理香の昨夜の会話と、その後の彼女の雰囲気から、今後何か問題を起こすことはもうないだろう――そう判断した紅子が「諾」を出したのだ。
問題は、彼女がわたしと晴夏からの依頼を受けてくれるかどうか――だった。
これは、渡りに船だ。
わたしは理香と加山に向かい、交渉を開始する。
「わかった。そのかわり、こちらも条件を出したい。それを飲んでくれるとすごく助かる」
二人は「条件とは?」と、わたしに確認する。
「理香に、わたしたちのアカンパニストをしてほしい。それが条件。それでもいい?」
彼女は面食らった表情をし、加山は理香を見て穏やかに笑っている。
「え……? わたしが伴奏者? わたしでいいの? 一緒に参加して……いいの?」
理香は驚いて、そんなことを言っている。
わたしは力強く首肯する。
「わたしは理香の伴奏で弾きたい。昨日のコンサートで聴いた、理香の――あの真っ直ぐな音色が耳から離れない。だから――」
「するわ!」
すべてを言い終わらないうちに、理香がわたしの手を取った。
「あんたたちのさっきの音を聴いて、一緒に弾きたい、伴奏をしてみたいって、そう思っていたの。でも、伴奏者もきっと決まっているだろうし、無理に割り込むのもよくない――だから鑑賞に徹しようと思って……わたしにしては珍しく我慢していたのよ」
理香は生き生きとした笑顔でわたしを見て、その後、晴夏に視線を移す。
晴夏は、まだ彼女を警戒しているようだ。
彼の様子を目にした加山が、晴夏に対して気遣いを見せる。
「君たちの保護者の方にご挨拶をさせていただいて、伴奏者の件の許可をいただきたい。お時間いただけるか確認してもらえるかな」
わたしに関しては貴志が保護者のようなものだから、確認をとらなくても問題ないと伝えた。
晴夏の母親にも許可は取っていると伝え「じゃあ、部屋に送り届ける時に、一度直接お話しさせていただくよ」と言って、加山が席を立つ。
――その時、理香のスマートフォンが鳴った。
「誰かしら?」と言って、彼女は見慣れない番号からの着信を受ける。
「もしもし? どちら様でしょうか? ――え? 貴志……なの!? ああ、うん、いるわよ」
どうやら貴志からの連絡のようだ。
そういえば昨夜、理香は窓から去る時、貴志に連絡先を渡していたことを思い出す。
「良ちゃん。ちょっといい? 貴志から電話よ。スマホをサイレントモードにしてたでしょう? ちょっとお怒り気味よ」
「ん? ああ、真珠ちゃんと晴夏くんと話をするときに、途中で音が鳴って失礼にならないように、音を切っていたんだよ」
そう言いながら、加山は理香のスマホを受け取り電話に出る。
それと同時に、自分のスマートフォンを取り出して着信履歴も確認している。
すごい件数の着信が入っているのが見えた。
そのスマホの画面には、『葛城貴志』の名で、不在着信履歴がズラーッと並んでいる。
貴志よ、お前はストーカーか。加山ンの。
ちょっとその件数は、温厚な爽やか美青年の加山でさえも引くと思うぞ。
案の定、加山はその着信件数の多さを見て目を丸くし、その後わたしの顔を確かめクスリと笑った。
爽やかな笑顔を見せた加山は、貴志に理香の棟の番号を伝えているようだ。
ある程度の内容を伝えた後は、理香がその電話を替わり、貴志に彼女の部屋への順路を直接ナビゲートしている。
「葛城には、今日はあまり外に出るなって言ったのにね。既に部屋から出て、こっちに向かっているみたいだよ」
加山は温かさをその瞳に宿し、穏やかな表情でわたしに笑いかけた。
「葛城のお姫さま、君は本当に彼から愛されているんだね。彼をこんな風に変えるなんて、真珠ちゃん――君は本当にすごい子だ」
理香と加山は目を合わせて、二人同時にフフッと笑った。







