【真珠】キスマークの見分け方
手持ちのバッグの中からポーチを取り出した理香が加山に言う。
「良ちゃん、悪いけど、そこの少年とここで待っていてくれる? わたしはこの子と、ちょっと寝室ですることがあるの」
この子――と言ってから、顎でクイッとわたしのことを指す。
その理香の科白をきいた晴夏が、咄嗟に理香とわたしの間に入る。
その身体と腕でわたしを守るように立ち、理香に向けて警戒心を顕わにしている。
理香はその晴夏の様子を見て、きょとんとした表情を見せた後、おかしそうに笑った。
「ここにもお姫さまを守る騎士がいるのね。これは……、先が大変ね」
理香は立っていたのだが、晴夏と視線を合わせるため、膝を抱えるようにして座り込んだ。
「ボク、あなたお名前は? わたしは……」
彼女が自分の名前を伝えようとしたところ、晴夏が言葉を重ねる。
「知ってる。西園寺理香」
理香が、へぇ、と呟いて、意外そうな顔をする。
「わたしの名前を知っているのね。それは光栄だわ。で、キミは?」
晴夏は理香の目を見詰めて、氷のような冷たい声音で告げる。
「僕は、晴夏―――鷹司晴夏」
理香が、鷹司?――と、呟いていから、ハッとしたように彼の顔を覗く。
「TSUKASA楽器の――鷹司社長の息子さん? 面影が……あるわね」
晴夏はその問いに対して、無表情で何も答えようとしない。
その様子を見てとった理香は、ふぅ、と短めの溜め息をついた。
「まあ、いいわ――で、晴夏くん、ちょっと彼女を借りるわね。怪我をしているみたいだから、奥で消毒するだけよ。別に取って食おうとしているわけじゃないんだから、そんなに警戒しないでよ」
理香の言葉を受け、晴夏がガバッと勢いよくわたしに向かって振り返る。
今まで彼のそんな慌てるような動きを見たことがなくて、ちょっとビックリした。
「シィ!? 怪我してるのか?」
怪我?――怪我はしていない。
チラリと理香を見ると、わたしたちの様子をじっと窺っている。
でも、きっと彼女は何か話があるのだろう。
おそらくこの二人がいるところでは話せない内容の。
「大丈夫」
回答になるような、ならないような、そんな微妙な返答を晴夏にすると、わたしは理香に顔を向ける。
彼女は、しゃがんだ体勢のままだ。
わたしたちの会話を、口角を上げながら聞いている。
機嫌が良さそうだ。
「治療するなら、僕も一緒にシィと行く」
彼は、わたしと理香を二人きりにさせることを頑なに拒もうとする。
「そう? じゃあ、晴夏くん、あなたも来る? でも、彼女、服を脱ぐわよ?」
理香が楽しそうに晴夏に訊いている。
(服? 脱ぐの? なんでだ?)
わたしの頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
晴夏は、理香の言葉を耳にした瞬間、無表情を返上した。
目を丸くして、口元に拳をあて、少しの動揺が見て取れた。
「と、言うことで……」
そう言って、理香は立ち上がり、フレアスカートの皺を伸ばすようにパンパンと叩く。
「良ちゃん、晴夏くんのこと、よろしくね。わたしは彼女と――真珠と、奥に行くから」
そう言って、右手の親指で寝室を指す。
「ああ、分かったよ。真珠ちゃん、理香にきちんと消毒してもらうんだよ? 大丈夫かい?」
加山ンは心配気な様子で、わたしの顔を見ている。
わたしは、コクリと頷き、理香の「行くわよ」の言葉の後、彼女に従いベッドルームへと入って行った。
…
「真珠、そのスカーフ外しなさい」
理香は手持ちのポーチの中をガサゴソと何か探しながら、わたしに指図する。
わたしは動きが止まってしまった。
これは外せない。
貴志のお仕置きによってつけられたマークが、まだ燦然と輝いているのだ。
絶対に見せるわけにはいかない。
「リカちゃ……理香さん?」
うっかり「リカちゃん先生」と呼び掛けそうになって、すぐに言い直す。
「警戒しないでよ。それに、隠さなくていいわよ。貴志の部屋に行った時に――あんたに初めて会った時に、見てるから――……というか、それを必死で隠そうとするということは、どういう意味か分かっているってことか。ふぅん」
後半部分は、半ば独り言のように呟いている。
理香の手によって、首に巻かれたスカーフを阻止する間もなく奪われ――首筋に残る所有印が現れた。
「貴志につけられたんでしょ?」
彼女はそう言って口元に手を当てながら、ソレをまじまじと見入っている。
『紅葉』の佐藤マネージャーに、紅子―――あの勘の良さそうな二人には、このマークが誰によって与えられたのかすぐに看破されたが、まさか理香にまで分かってしまうとは。
何か見分ける方法でもあるのだろうか。
よくわかったな。
すごいな、理香よ。
そう感心したところで、ハッとある事実に気付き、かなりの動揺がわたしを襲った。
そうだ――
「理香も貴志に吸われたから分かるのか」
貴志と理香の関係を思い出し、その狼狽のあまり口からポロリと出てしまった。
理香が「え? いま、なんて?」とビックリした顔でわたしを見ている。
「…………」
どうしよう。
どうやって誤魔化そう。
最近、うっかりが多すぎだ。
貴志に言われたように、やはり脳が腐って言語中枢までイカレてしまっているのかもしれない。
こんなわたしのような子供が言っていい科白じゃないことだけは確かだ。
笑って誤魔化すしかない。
わたしはとりあえず、今の科白は空耳だとでも言うように、ひたすら邪気のない笑顔をニコニコと顔に張り付ける。
この純真な、穢れを知らぬ笑顔を見よ!
そんなことをよもや言うとは思うまい!
――そう思わせる、キラッキラの極上の笑顔を彼女に向ける。
おそらく未だかつて誰にも見せたことのない、輝かんばかりの笑顔になっていると思われる。
理香は驚いたあと、面白いものを見つけた、とでも言うかのようにニヤッと笑った。
「キスマークはね、誰がつけたか分かるのよ。形が人によって違うの。知ってた?」
そうなのか!?
そんなこと、まったく知らなかった。
なるほど!
そういうことか。
今、納得できた――だから佐藤マネージャーも紅子も、コレを貴志につけられたとすぐに分かったのだ!
あの二人の察しの良さにたじろいだ記憶があるが、そんな見分け方があるのなら、納得だ。
新しい知識を得ることができた。
素晴らしい!
そういった色事にかかわることなく過ごした伊佐子時代、まさかよもや、そんな判別方法が存在するなど思いもよらなかったのだ。
――知的好奇心がくすぐられる。
もうわたしは、興味津々で辛抱たまらずウズウズしている。
見分け方を知りたい。ものすごく。
それに、その判別方法によって、隠そうとしてもコレが貴志によってつけられたことが理香にはバレているのだ。
隠しだてしても詮無いことも分かり、わたしの探究心を満たす一択に、あっさりと軍配が上がった。
「すごい! どうやったら分かるの? 知りたい! そうか、だから理香はこれが貴志につけられたと分かったのか! さすがだ!」
わたしは興奮のあまり、理香の垂らした釣り針に一も二もなく食いついた。
なんなら、貴志に作り方をレクチャーしろと言っても教えてもらえなかったこのマークの作り方も、理香に教えてもらっても良いかもしれない。
そんなことを思っていたら、理香の悪巧みをするような声が、頭上から降ってきた。
「真珠――あなた、とっても、いい子ね。うふふ」
蛇が今まさに、牙を剥いて獲物に跳びかからんとする――その準備態勢は整えられたようだ。
見分け方なんて、ないですよ(笑)







