【余聞・藤ノ宮紫織】姉と修氏
本日1話目(昨夜を含めると2話目)の更新です。
久我山家嫡男の身に、何故そんなことが起きたのか?
掻い摘んで話すと、修氏が大学生になってすぐの頃、母親である蝶子氏から無理矢理婚約者をあてがわれたことに端を発する。
勝手な婚約話に不満を募らせた修氏は反発。大学を無断で休学し、世界中を放浪したそうだ。
その結果、婚約者から愛想をつかされ、相手側からの申し入れにより破断を余儀なくされたらしい。
婚約破棄後に日本に舞い戻った修氏は久我山本家には帰ることなく、その外見と人懐こい性格を利用して、出会った人間の家を転々としていたとのこと。母親から探し当てられるリスクを減らすために、定住場所を決めなかったと言うのだから徹底した身の隠しようだ。
姉が修氏を拾った詳しい経緯は知らないが、前述したように、二人はお互いの素性を知らぬまま親交を深めていった。
ハッキリ言って姉のヒモ状態?──な修氏だったが、当時祖母に反抗して家を飛び出し、独りさびしく自活していた姉は、そんな自由な彼を羨み、精神的な拠り所にしていたのかもしれない。
まあ、それも私の完全な憶測でしかないのだが。
実は、姉がひとり暮らしを始めた当初、私はその部屋を訪れたことがあった。
残念ながら、姉の掃除能力は壊滅的で、ひとり暮らしの室内は荒れ放題もいいところ。足の踏み場もないほどの惨状も手伝って、それ以降は姉を訪れる気が起きないままに一年、二年と月日は過ぎていった。
そんなある日、未婚の姉がどこの馬の骨とも知れぬ男と同棲している事実が発覚する。勿論、藤ノ宮本家には激震が走った。
万が一にでも子供ができた場合、姉が傷物にされる! と慌てた両親は私を責っ付き、姉の元に事実確認に遣わされたのだ。
姉とその男の関係の内情を探ってこい──父親からそんな諜報活動を強いられ、渋々ではあったが二人の様子を観察した。そこから導き出された結果──姉には修氏に対する恋愛感情はなく、ましてや二人は男女の関係でもなかった。ただ、注釈をつけるとすれば「最初の頃は」である。
しかも、修氏が居候になって以降、彼が家事全般をこなしてくれたことで、姉がかろうじて人間らしい場所で生活を送れるようになっていたことも判明した。
整理整頓された部屋で待つのは、笑顔で「おかえりなさい」と迎えてくれる家事のできるペット──修氏。
料理の腕も抜群とあれば、そこは姉にとって最高の癒しの空間でしかなかったのだろう。
「単なる飼い主とペットの関係なのに目鯨を立てるなんて。笑っちゃう。でも、祖母がそんなに慌てるなら、こんなことでも立派な復讐になるのね。拍子抜け。まあ、確かに未婚の孫娘が男と住んでいるとなれば、外聞が気になるってことか」
姉はそう言っていたが、気を揉んでいたのは祖母ではなく両親だけだった。
当の祖母は「勘当したも同然なのだから放っておけ。成人もしているのだから自己責任だ。自分の不始末くらいは自分でできるだろう」と、この件に関しては完全に放置だった。
その後、紆余曲折があり、姉と修氏が結婚することになって、いざ両家顔合わせの段になり、やっとお互いの素性が判明。馬の骨が久我山の嫡男に化けたことで茫然とする親を尻目に、祖母は実に落ち着いたものだった。
だからもしかしたら、祖母は既にこのとき──姉と暮らしている身元不明の男性が、久我山関係者だと知っていたのかもしれない。
そんな修氏も修氏なのだが、我が姉・葵衣だって大概なのだから、姉夫婦はお互いに物好き同士なのだろう。
姉の何が大概なのか?
それを語るには、姉が苦学生になった理由を話さなければならない。
まずは姉が大学に進学する頃まで、ぐるっと時を遡る。
姉が進学先を決定する際、合格した大学と学部を並べた彼女は、政治とは異なる医療の分野に進むと断言したのだ。
勿論、祖母はそれを引き留めた。
「何故、医者になりたいのか?」と理由を問われた姉は、憎しみを込めた目でこう言った。
「祖母に、土下座付きの『命乞い』をさせるためだ!」
──と。
そんな暴言を吐いた姉は、その日そのまま家を出た。
母からの金銭的協力が多少あったとはいえ、今までのお嬢さま生活とはまるで違う環境だ。
相当苦労もしただろうが、それを乗り越えた姉は自力で医者の資格を手に入れた。
但し、そこには人命を救うという崇高な目標も、御涙頂戴の理由も皆無。
最後まで彼女が逃げることなく厳しい現実と向き合ったのは、凄まじいまでの祖母への恨みの数々だった。
姉はそんな黒い想いを胸に宿しながら、人の命を救う人間になった。
修氏は実母に。
姉は祖母に。
二人揃って実家に反感を持つ者同士、意気投合したのではないかと予想している。
姉は、何故そこまで祖母に恨みを抱いたのか?
そこには私も含めた藤ノ宮家に関する根深い事情があるのだ。
祖母は、長年ひとりっ子だった姉を、父の次代の政治家として育て、政界進出を目論んでいた。
それ故に、姉は幼い頃から厳しい教育を課されてきたのだ。
(両親は、祖母の厳しさを補うためもあってか、総じて姉に甘かった気がする。)
だが、唯一の跡目だった姉の身に、歳の離れた弟──私が生まれたことで、家の中の事情がガラリと変化する事態が見舞うのだった。藤ノ宮に待望の長男が誕生したことで、跡継ぎとして育てられていたはずの姉から、人々の注目が私に移ってしまったのだ。
姉にしてみれば、今まで主役だった自分が、突然お払い箱になったような感覚だったのだろう。間違いなく、面白いわけがない。
しかも、蓋を開けてみればスペアとしてキープされている状況だ。それも腹に据え兼ねていたはず。
ちなみにスペアというのは、万が一にも弟である私が、政治家として使い物にならなかった場合の代替品という意味だ。
自分の立場に置き換えて考えてみれば、自分が誰かの予備として扱われる人生を送るなんて、誰だって真っ平御免だろう。
そんな内輪の事情からも、姉が藤ノ宮家随一の権力者である祖母に対し、長年の恨みを積もらせていたことは想像に難くない。
それ故なのか、子供時代の姉は私に辛く当たり、姉弟仲は最悪だった。
だから、初めて月ヶ瀬家を訪問した時に、美沙子さんと貴志くんの様子を目の当たりにした私は、驚き以外の感情をその場で表現することができなかった。
姉弟なんて、どこも我が家のようにいがみ合っているのだろう──そう思っていた幼い頃の私は、月ヶ瀬姉弟の仲睦まじさに激しい衝撃を受け、我が家の家族関係の歪さを突きつけられることになる。
美沙子さんが本当の姉だったらよかったのに。
うちの姉と交換してくれないかな──と何度思ったことだろう。数えることすらできない。
その美沙子さんと姉は、小学校の頃バイオリンを通じて出会い、仲良くなったようだ。
のちにお互いの父親同士が昔から交流していたことを知ったけれど、親とは関係のない音楽という芸事が彼女たちを結びつけ、親友になるきっかけになったそうだ。
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