【閑話・真珠】この手に残る感触は……? 前編
会食会場に向かうため、エレベーターホールで父に抱き上げられたわたしは、後方を歩く仏頂面の貴志をチラチラと盗み見ていた。
娘の様子に気づいた父が「貴志くんが気になるのかい?」と質問してきたので、素直に頷き「気になります」と伝える。
そこでわたしは質問攻撃「なんで? どうして?」を連発させることにより、貴志が不機嫌になった理由を父から教えてもらうことができた。
その理由とは──昨夜、母と祖母が貴志から請け負ったミッションを、完遂できなかったことに端を発するのだと言う。
貴志は昨日、祖父の行き過ぎた親心から生まれた『三国一の花嫁』探し計画の始動を、即刻停止してほしいと彼女らにお願いしていたのだ。
貴志本人だけではなく加奈ちゃんにも累が及ぶことだったので、念を押しての依頼だったはずが、任務すら為されなかったとあっては、いくら寛容な彼であっても怒りたくもなるだろう。
だが、話を聞いていくと、遂行できなかった理由も致し方ないと思えるものだった。
昨日の夕方過ぎ。
祖父は「良い仕事を迅速にこなしてきたぞ!」とご満悦で帰宅したそうだ。仕事が上手くいったのは良いことなのだが、問題はそのあとにあった。
なんと祖父は車の後部座席で、先に祝杯をあげていたというではないか。
既に酒気を帯びていたとあっては話にならない。
母と祖母のその場の判断で、話し合いは翌朝に延期されることが決まったのだが、その晩何が起きたかと言えば──誠一パパと美沙子ママの深夜の夫婦喧嘩だ。
その後、折悪しく美沙子ママは体調不良になり、今朝は祖父と顔を合わすことすらできずじまい。
祖母のみでも、祖父を一喝してくれたら御の字だったけれど、母の体調を気遣っている間に時間が過ぎ、女性陣のみ先にホテル入りすることになってしまったのだ。
貴志がわたしをひと晩預かり、本日早朝からの結納準備の監督役をつとめる代わりに、母と祖母の二人に祖父との交渉を一任していたのだから、いくら間が悪かったとは言え、貴志にとっては約束を反故にされたも同然だ。
このことから、貴志の仏頂面は怒りを抑えるために被った仮面のようなものだということは理解できた。
おそらく彼は、妊娠初期の美沙子ママを強く責めるわけにもいかず、やり場のない気持ちを鎮めようとしているのだと思われる。
いや?──あの貴志のことだ。
もしかしたら、誰かを責める以前に、自分の選択ミスを悔やんでいるだけなのかもしれない。
そこで、父が溜め息を落とした。
「──体調が思わしくなかったとは言え、任された役目をこなせなかったのはママの落ち度だ。しかも、その元凶はパパにあるんだよ……」
エレベーターホールにて、父が難しい表情をしていたと感じたのは、やはり誤りではなかった。
父は、貴志に対して負い目を感じていたのだろう。
──だったら、誠一パパが祖父に意見してくれてもよかったのに。
『真珠』の部分がそう思ったけれど、『伊佐子』の意識が首を振ってその考えをただす。
父も婿養子という立場上、祖父に対して多少の遠慮があることは何となく理解できたからだ。
でも、そうか。
加奈ちゃんはまだ、貴志の有力な嫁候補として、白羽の矢が立ったままなのか。
不思議なことに、彼女に対して嫉妬の感情は起きていない。
どちらかと言えば、祖父の暴走に巻き込んでしまったこの事態を、申し訳なく思う気持ちでいっぱいだ。
わたしは加奈ちゃんのベビーフェイスを、脳裏に描いた。
おっとりとした性格と、春まで女子高生だったという初々しさ。それに加えて純粋で優しいところは、家族からの愛情をたっぷり注がれて成長した証なのだろう。
そんなふうに大切に育てられたお嬢さんだからこそ、祖父のお眼鏡にかなってしまったのかもしれない。
溜め息を小さく吐いてから、父の肩に顎をのせた。
昨日の己が行動を省みても、後悔ばかりが押し寄せる。
加奈ちゃんを月ヶ瀬に無理矢理連行して、この状況に引きずり込んでしまった張本人は、このわたし以外の何者でもない。
誠一パパが貴志に負い目を感じているように、わたしも加奈ちゃんに対して似たような想いを抱いているというのが、現在の正直な心境だ。
──嗚呼、わたしの大馬鹿者!
ピトッと加奈ちゃんにくっついて昼寝などしなければ、彼女は祖父と出会うこともなく、まったく別の平穏な未来に踏み出せたはずなのに!
なぜ、彼女に抱きついたまま爆睡してしまったのだろう。
わたしは加奈ちゃんの腕のなかで、寝落ちたときの記憶を漁った。
抱き上げられた時点で何かに驚きはしたけれど、その後不思議な安らぎを得たことは覚えている。
ああ、そうだ。
その安らぎがあった故に、ウッカリ寝落ちてしまったのだ。
加奈ちゃんに抱っこされている時間は、なぜか大変心地良く、身も心も満たされていたような気がする。
優しく包まれた安心感が心理的充足につながっていることは理解できたのだが、妙にリアルな物理的満足感の正体はいったい何だったのだろう。
その幸せの感覚を、なぜか掌が朧げながら記憶していることにも気づき、わたしは右手をジィッと見つめた。
──なんで掌?
あれ?
でも、この感触……以前どこかで感じたことがあるような?
んん!?
確かこれは、エルと『太陽と月の間』で会ったときの感覚か?
あの場所で、似たような手触りの何かを掴んだことがあったはず──眉間にシワを寄せて、指先に視線を集中させてみたものの、それが何であったのか、まるで思い出せない。
わたしは、いったい何を掴んでいたのだ?
『触っていたもの探し』の連想ゲームを、ひとり脳内で繰り広げていたところ、マサカの可能性に思い至ったわたしはハッと息を呑んだ。
そして、何が気持ちがよかったのか──唐突に思い出してしまったのだ!
──うわぁ、どうしよう。
かなり最悪だ。
この手がお触りしていたもの。
それは、あろうことか……加奈ちゃんの──巨乳だ!







