【真珠】フラグ乱立、待ったなし!?
「あの、お兄さま。わたし、今日……貴志と結納──しました……よ、ね? 婚約って……結婚の約束……で、合って……ますよ、ね?」
兄からもたらされた情報の攻撃力は想像以上で、絞り出した声がブツ切れになってしまった。
現在、この頭の中ではグルグルと──
『結納って、正式な結婚の約束ではなかったのか!?』
との思いが渦巻いている。
いや?
それとも、わたしが日本の婚約事情についての常識に疎いだけ?
己の日本文化への認識に、とことん自信が持てなくなる。
「えー……と、そうなんだけど……今回の結納って特殊でしょう? 真珠と貴志さんの救済策で、期間限定ということもあるだから、大々的に公表していないし……知らない人も多いと思うんだ──ニュースで流れたのも、『星川リゾート』が『月ヶ瀬グループ』の傘下に入るっていう経済関連の情報のみだったし……」
兄の言葉に、ハタと我にかえる。
常識的に考えれば、なるほどその通り。
『乙女ゲーム』の世界では主要キャラクターに当たるとは言っても、現実世界における貴志とわたしは一般人のひとりにすぎない。
だから、企業関連の経済活動報告を発表しても、裏側で起きた婚約騒動まで巷間に流布する必要はないのだ。
婚約自体は父と祖父の利害の一致により結ばれたもので、その詳細についてはごく内輪でしか知る者はいない。
のちのち第三者が知ることになったとしても、裏をとれば相互扶助の救済措置──つまり、『白い結婚』ならぬ『白い婚約』だと、分かる人には判断されるようだ。
何れにせよ、『葛城貴志』と『月ヶ瀬真珠』の間には、惚れた腫れたというような恋慕の情はないと、認知されるのは確か──それは、歳の差があるからと言うよりは、わたしの年齢自体が問題にあたる。
恋だの愛だのを語るには、あまりにも幼すぎるのだ。この外見が。
もしもわたしが『伊佐子抜き』の──単なる子供の『真珠』だったとしたら、貴志が特別な感情を抱く事態も訪れなかったのだから、自明の理と言えよう。
まあ、その『もしも』を考えてしまうと、伊佐子がいなければ貴志と出会うことすらなかったのだから、『ヒヨコが先か、卵が先か』の因果関係の話になってしまうのだけれど。
話を戻すと、久我山夫人は貴志とわたしの婚約を知らなかっただけなのかもしれないし、もしかしたら偽装婚約だと気づいた可能性すらある。なにせ、女傑で策士な御仁だ。
それにしても……母はなぜ、夫人からのプレイデートのお誘いを受け入れたのだろう?
一応、幼いとは言えど婚約をしている身だ。遊びの約束が擬似お見合いなのだとしたら、その行為自体が不誠実な気がするけれど──わたしの気の回しすぎ?
加えて、両親は『真珠』が貴志を慕っていることを理解しているはずなのに。
もしかしたら彼らは、娘の抱く想いを──幼い子供が持つ『年上の優しい異性』に対する憧れ──とでも思っているのかもしれない。
悲しい哉。
彼らは、わたしと貴志がゴールインする可能性は低いと見ているのだろう。
まあ、『真珠』が思春期に入る前の時点で、婚約解消の手はずが整えられている事実からも、両親の考えは薄々勘付いてはいたのだが、ちょっぴり淋しい。
けれど、数年後には難しい年代に突入する娘を持つ両親と、婚期真っ只中の息子を持つ祖父母が選んだ苦肉の策だ。双方に大きな支障が出ないよう、できる限りの配慮をした親心は理解できる。
貴志が結婚適齢期に入れば──彼と同い年であるアルサラーム教皇も、同じく適齢期。
アルサラームは、どうやら日本よりも平均初婚年齢が早いとのことで、その頃にはエルも王族の務めとして妃を娶っている可能性が非常に高いのだと言う。
また、子供同士で勝手に結んでしまった『友情の祝福』にて『祝福』保留中のラシードに関しても、婚約者候補は数年内にあらかた出揃うようだ。
これらのアルサラーム側の内情の出処は、母のメル友・ラジーン王太子殿下──なので、正しい情報と受け取ってもいいだろう。
アルサラーム神教での『最上の誓い』を交わしたとされる、わたしと貴志。
それを隠れ蓑にし、長い時間をかけ、二人の王子の前に新たな『祝福』を与える女性が現れるのを待ち──辞退を申し出る。コトを穏便に運ぶためとは言え、かなり面倒な持久戦だ。
そして、その己の仕出かした『祝福』騒動が片付かないうちに、今度は久我山兄弟との『お話』が湧き出てくるとは──もう、溜め息しか出てこない。
こんなに幼いうちから、婚約者もどきがうじゃうじゃいる自分の身の上の煩わしさに遠い目になる。
非モテの喪女だった伊佐子時代との大きな違いに、乾いた笑いが洩れた。
──貴志も、複雑な気持ちでいるのだろうか。
わたしの心は既に彼と共にあると言うのに、この現状を非常に申し訳なく思う。
そう──貴志には、心から申し訳……な……く……。
………………………………ん?
──あ……れ?
ちょっと待って。
これって……もしや!?
重大な事実に辿り着いたわたしは、目を瞠ったままピタリと動きを止めた。
その考えの恐ろしさに、慌てて両手で自分の口を塞ぐ。
声にならない叫びが、喉の奥から悲鳴となって洩れそうになったのだ。
婚約騒動が持ち上がった人物全員の姿を、急ぎ──思い描く。
貴志。
エル。
ラシード。
それから、本日突如としてその予備軍に加えられたのが、出と忍。
その五人のうち『攻略対象』は、エルと忍を除いた三人だ。
と、いうことは、この状況──
わたしの『悪役令嬢』フラグが、乱立している!?
あまりのことに、全身から血の気が引いた。
『主人公』を想う『攻略対象』たちから追い落とされる未来を回避しようと、彼らと良好な関係を築いてきたわたし。だが──その努力が完全に裏目に出てしまったのではないか!?
待て待て待て!
慌てるな、自分。
ひと呼吸置かねばと、『この音』のなかの『月ヶ瀬真珠』と攻略対象全員の関係の復習を開始する。
貴志ルートは、単なるイジメ役。恋愛関係で主人公の心を苛むのは、理香だった。
兄・穂高ルートでは、妹。
晴夏ルートでは、婚約者。
ラシードルートでは、王子妃の座を狙う厄介者。
出ルートでは、同じ楽器スタジオに通う音楽仲間だ。
でも、今現在のわたしと彼らの関係は、気づけばゲームの中よりも、一歩進んだ間柄になっているではないか!?
直視できない現実が押し寄せ、激しい眩暈に襲われる。
駄目だ。
吐き気がする。
「真珠? 顔色が悪いよ?」
妹の態度を怪訝に思った兄は、わたしの顔を覗き込む。
「あ……っ だ……大丈夫……です。多分? でも、あの……ちょっとだけ、考える時間をください」
震える声でそれだけ伝え、なんとか冷静さを取り戻そうと深呼吸を繰り返す。
攻略対象と仲良くしていれば不幸な未来は防げる。そう信じて動いてきたけれど、蓋を開けてみれば婚約騒動が各所で勃発していたのだ。
貴志と婚約し、エルからは聖布をもらい、ラシードからの『祝福』は保留中。
そこに、久我山出のみならず忍までも、将来の伴侶候補に名を連ねようとしているこの状況──『この音』の物語展開よりも遥かに厄介だ。
もしも……もしも──だ。
愛花が攻略対象の誰かに恋をした場合、婚約フラグの立っているわたしは、望む望まないに関わらず──ライバルの位置に立たされてしまうのではないか?
なんたることだ!
これって、かなりマズい事態ではないか。
このまま行くと、『主人公』にとってわたしの存在は、紛うことなき──恋敵。
正直、思いもよらなかった。
まったく別の角度から『悪役令嬢』街道を爆進していたなんて!







