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【真珠】対抗心と「攻め過ぎだ」! 後編


 忍から抱きつかれたことに驚いたものの、ここは冷静に対処する。

 なんのことはない──忍が選んだ『サヨナラの挨拶』が、単にハグだったと言うだけだ。


 恥ずかしげもなく抱擁を選択するとは、やはり海外育ちなのだな──と、その行動を妙に納得してしまう。


 かく言うわたしも、この手の挨拶には慣れっ子だ。

 避けたり恥ずかしがったりするのは、却って失礼にあたるため、わたしは臆することなく忍の背中に手をまわした。


 ああ、そうだ。

 敬意を込めたあの挨拶も、忍であれば理解してくれるはず。


 そう判断したわたしは、エアキスを付け加えることに決める。


 エアキスとは、所謂チークキスと呼ばれる仕草だ。

 仲の良い間柄であれば友人同士でも交わす挨拶のひとつで、直接肌に触れ合うこともない。


 自らの頬の左右を、忍の両頬に交互に重ね合わせる()()をする。

 その動きで、忍に「サヨナラ。また、会おうね」との想いを伝えたのだ。


 ちなみにこの行動には、「今後再会しても、敵対するような関係にはなりませんように」との祈りを込めていたりもする。


 別れを惜しんだあと、なぜか忍は目を開いたまま微動だにしなくなった。


 離れがたいという寂しさから、大きく目を開くことで懸命に涙を堪えている……のだろうか?


 ──なかなか可愛いところがあるではないか。


 そう思ったわたしは、ニコッと忍に笑いかけ、今度は出と向き合った。


 出に対しても、忍と同じ挨拶をするつもりで「さあ、いつでも来い!」と両手を広げたのだが、彼は首を左右に振ると、なぜか握手を求めてきた。


 少し怯んだようなその態度に、わたしはハッと息を呑む。

 争いごとを好まぬ穏やかな性格の出が、ハグを拒んだと言うことは……。


 ──しまった。


 自分では気づかないうちに、対抗心でも心の中に芽生えていたのだろうか。

 まったく意図していなかったけれど、闘争心に似た感情が、無意識のうちに自分の態度から滲み出ていたのかもしれない。


 だから、出はハグを嫌がったのだ。

 きっと、そう言うことなのだと思う。


 元来、勝負事に目がない性格だと自覚していたとはいえ、挨拶方法に於いて誰かと張り合うことなど考えたこともなかった。

 しかも、その競る相手が幼い子供であるなら、尚更だ。


 でも──今朝からの自分の疲労具合に思いを馳せると、正直……自信がない。


 疲れのあまり、自我のコントロールが効かなくなるのは、いつものことだ。

 それ故に、もしかしたら、幼い『真珠』の高飛車な態度が前面に出ていた可能性も否めないのが、悲しいところ。


 わたしは咄嗟に俯いて、先ほどからの対応を反芻する。

 自分の態度に落ち度がなかったかどうかを、必死になって自問自答だ。


 どうしよう。

 人と人の心を繋ぐための挨拶行為で、競ってしまうなんて……本末転倒が過ぎる。


 記憶はない。けれど……かなり残念なことをしでかしてしまった雰囲気に、わたしは両手で顔を覆った。


 出は、目の前で肩を落としている年下の少女を、憐れんでくれたのかもしれない。

 わたしの頬を優しく包んで顔を上向かせた彼は、初夏の木漏れ日を思わせる笑顔を見せた。


 出のこの笑顔……彼はきっと、わたしを慰めているのだろう。

 聖母のごとく微笑みは、「キミの未熟さも浅はかさも、全て許すよ」と、言っているような気がする。


 違うんだ──出よ。

 頼むから、そこでわたしを憐れまないでくれ。


 ここで「キミの不躾な振る舞いは気にしていない」などと言われた暁には、わたしの立つ瀬がなくなってしまう。


 だが、出はそんなことは、一切口にしなかった。


 彼は──

「真珠ちゃん──キミに会えて、本当によかった」

 とだけ、言ったのだ。


 それはつまり、わたしの高慢だったかもしれない態度に対して、彼が目を瞑ってくれたことを意味するのだろう……多分。


 出はわたしの頭を撫で、ただ純粋に出会えたことだけに焦点を絞って、喜びの感情のみを伝えてくれたのだ。


 ──負けた。


 勝負をしていたわけではないのに、こんなにも敗北感を感じてしまうのはなぜなのだろう。

 いや、負けたと思う時点で、やはりわたしは彼と勝負をしていた……ということなのかもしれない。


 出の子供らしからぬ大人びた対応に、自分のダメさ加減が浮き彫りになったことで、わたしは更にいたたまれない気持ちに追い込まれる。


 不愉快な態度をとった記憶すら思い出せない。よって、口先だけの謝罪も誠実さに欠けるため、わたしは口篭ることしかできずにいた。


 己の為体(ていたらく)に、出の優しさが地味に突き刺さる。

 未就学児に気を遣わせるなんて……大人として相当駄目な部類だろう。


 ──穴があったら入りたい。


 珍しく敵前逃亡したくなってしまい、自分の情けなさに涙目だ。


 己の不徳と不甲斐なさに打ちのめされたわたしは、ぐったりしながら久我山兄弟との別れの挨拶を終えた。


 その直後、まるで見計らっていたかのようなタイミングで、苦笑混じりの声が背後から届く。

 顔を見ずとも、気配だけで誰であるのかすぐにわかる──とても、大切な人の声だ。



「真珠……お前は──攻めすぎだ。()()()なところが、なお()()()()()。まったく……」



 一部始終を貴志に見られていたことを知り、羞恥心は最高潮に膨れ上がる。


 ──貴志の言うとおりだ。



 ()()()に子供に対抗心を(いだ)くなんて、大人として本当に()()()()()としか言いようがない。



 精神疲労と肉体疲労が重なると、こんなにも良識面での制御に欠陥が生じてしまうものなのか。と、己の未熟さに悶えるばかり。


 わたしは落胆した気持ちを抱えつつ、重い足取りで貴志の前へと進んだ。

 抱き上げてもらって、心を落ち着かせたかったけれど、彼の態度はなぜかつれない。


 わたしに向かって伸ばされた貴志の腕に、そのまま抱き上げてもらえるものと思っていたのだが、その予測に反し、彼の右手はわたしの顔目掛けて近づいてくる。

 その腕の行方を目で追ったところ、貴志の指先がわたしの鼻をギュムッと(つか)んだ。


 ──へ!?


 そのまま鼻っぱしらを軽く引っ張り上げられ、わたしは軽く混乱状態だ。


 どうやら貴志は現在、つれないどころではなく、完全に虫の居所が悪いようだ。


 もしかして──紅子との電話で、何か緊急事態でも発生したのだろうか?


 そんな心配をするも、貴志がその程度のことで八つ当たりをするような人間ではないことも理解している。


 不思議に思ったわたしは、困惑顔で首を傾げた。


 いや?

 待て、わたし。


 そうだ──貴志だって、大人ぶってはいるが、伊佐子よりも年下の謂わば弟分のようなもの。

 もしかしたら彼も、気力と体力を消耗し尽くし、極度の疲労状態の中にいるのかもしれない。


 だから、先ほどのわたしと同じく、意図せずに大人気(おとなげ)ない振る舞いをしている、ということだってあり得るのだ。


 色々な考えが浮かんでは消えたけれど、少し呼吸が苦しくなってきたわたしは、鼻を摘み上げる貴志に向かって抗議の声をあげることにした。





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