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【真珠】『三楽章』に潜む蝶


 大きな嵌めガラスの窓には、不夜城の夜景。

 (きら)びやかに映し出されたそれは、地上に広がる巨大な宝石箱のように映った。


 天空には皓月(こうげつ)が懸かり、白い筋が降り注ぐ。


 夜景と月光とに照らされた貴志の輪郭が、室内に淡く浮かび上がった。

 彼自身が燐光(りんこう)を放っているのではないかと錯覚する──幻想的な光景。



 照明のない薄闇の中、仄かな光を頼りに、貴志はチェロを弾いていたようだ。


          …




 (ひそ)やかに──しめやかに、湧き水のような調べが長い指から生まれ、空気中に溢れだす。


 一音ずつ確かめるように紡がれる旋律は、(したた)り落ちては広がり、いつしか波紋を刻む音の粒となる。



 第三楽章──『Intermezzo(インテルメッツォ) e() danza (ダンツァ) finale(フィナーレ)



 静かに流れる音色は、(おぼろ)げな不安を漂わせ、時折(はじ)かれるピッツィカートが心に(さざなみ)を立てる。


 この音色は、心の奥底に仕舞い込んでいた貴志の想いなのだろうか。

 心の内を吐露するかのような演奏を邪魔しないよう、わたしは黙って聴き続けた。



 陰鬱さを醸し出す音色が、物寂しい気持ちを呼び起こす。

 今日一日のわたしの行動は、貴志をこんな気持ちにさせていたのかもしれない。


 居た堪れなくなったわたしは寝室から居間に向かって、思わず足を踏み出してしまう。



 ちょうど曲調が変わる瞬間──チェロの音色が小さくなっていたのもタイミングが悪かった。

 わたしが一歩前に進むのにあわせて照明が自動点灯し、頭上でパッと輝いたのだ。



 暗がりの中、唐突な眩しさが貴志の目を射したのだろう。

 演奏していた彼は、その手を止めた。



 折角、貴志が心をさらけ出す演奏をしていたというのに、わたしの行動が邪魔をしてしまったようだ。


 中断させてしまった申し訳なさが、わたしの表情にあらわれる。

 その心情を悟ってくれたのかもしれない──貴志は再び弓を構えると弦の上に置き、勢いよく滑らせた。



 ガラリと変わった曲調が、勢いのあるリズムを刻む。

 朗らかではあるが、どこか小悪魔的な要素を感じる旋律だ。


 高みをめざして駆け上がる音の渦に、わたしは心ごと巻き込まれる。


 なぜだろう。

 『天球』の森で、追いかけっこをした記憶が思い浮かんだ。

 それだけではない。

 今日の『科博』で、貴志から必死に逃げ回った時間とも、その音色は重なった。



 追いつ追われつの、駆け引きを思わせる旋律。

 けれどそこに、(わず)かに顔を覗かせる寂寥(せきりょう)の調べが纏わりつく。


 音色は折り重なり、いつしか大きな網へと変化する。

 貴志は手にしたその網で、何を捕まえようとしているのだろう。



 ヒラリ──舞い降りたのは、色とりどりの蝶。



 花畑に、蝶が気まぐれに遊ぶ。

 そんな景色が見えた気がした。


 自由に飛び回る羽根は美しく、つい手を伸ばしたくなるが、触れることは許されない。

 けれど、もしも触れることができたならば、天に向かって飛んでいけるような予感があった。



 チェロの音色は複雑に重なり合い、蝶を絡め取るべく包囲網を狭めていく。


 貴志が張り巡らせた罠──だが、蝶は何食わぬ素振りでくぐり抜け、いとも簡単に(かわ)してしまう。



 舞い踊る羽根は逃げもせず、彼の近くをフワリフワリと飛びまわる。


 その蝶は、貴志の心を弄んでいるようにも見えた。


 いや、それは願望に過ぎないのかもしれない。

 ──蝶がこちらを意識していると信じたいがため、心が望んだ幻だ。



 舞い遊ぶ蝶は、貴志が幾重にも張った音色の網を──歯牙にも掛けていないのが真実だろう。




 加速する旋律。

 物語の終わりを予感させる調べ。


 最終小節を、チェロは高らかに歌い上げる。




 貴志は、その蝶を、(とら)えたのだろうか?

 それとも、天高く舞い上がった蝶は、彼の元から逃げ去ったのか?


 彼が紡いだ物語は、その結末を語ることなく──聴く者の心に委ねられた。



 貴志が捕まえようとしていた蝶は、何を比喩していたのか?


 ──わたしには、何も……思い当たらなかった。




 捕まえたと思っても、逃げてしまう蝶──ほんの一瞬だけ、羽衣を取り返した『天女』のように映ったのは、なぜだろう?




 微かな息苦しさを覚えたわたしは、胸に手をあてる。

 その指先に触れたのは『証』のペンダント。


 先日、目にした小さな石の輝きを心に思い描いた時──それは起こった。

 いや、正確には()()()()()()()、と言った方が正しいのかもしれない。



 突如として──『奇妙な』という形容が相応しい音が、部屋の中に響き渡る。


 ──ウニョウニョウニョうにゅ〜ぅ

 ──グゥ……

 ──キュルキュルキュル……


 演奏の余韻に浸っていた貴志は弾かれたように顔を上げ、こちらへ視線を向けた。



 彼の耳に、その音が届いてしまったのは明白──貴志の視線は、その音の発生元を凝視している。


 視線の先は、わたしのお腹。


 何を隠そう、先程の轟音は、わたしの胃袋発──人間の三大欲求のひとつを訴えたものだった。


 わたしのお腹の虫が、大音響で主張してしまったのだ。

 ──空腹を。



 時計を見ると、普段ならば夕食が済んでいる時間帯だ。


 わたしは腹部を押さえ、引きつった笑顔を見せる。

 その様子を目にした貴志が苦笑した。


「今日は疲れたようだな。なかなか起きなかったから、弁当を準備してもらった。まずは腹ごしらえをして、その後、エルとラシードにキーホルダーを届けてから、今夜は早目に休もう」


 貴志は視線で弁当の在り処を伝えると、愛器を布で拭きはじめた。


 彼の目線が指し示した先を辿る。

 テーブルの上には立派な重箱が並べられ、お茶のペットボトルも添えられていた。


 頷いてから照明をつけ、テーブルに移動する。

 わたしが椅子に腰掛けると、チェロをケースに収めた貴志もやってきて、目の前に座った。




 重箱の中は、焼き魚と根野菜の煮物、白和えや漬物が綺麗に盛り付けられていた。

 白米はほんのりと温かく、すべてが弁当用に計算された味付けとなっていたため、とても美味だった。


 お茶を飲みながら、気になっていたことを貴志に訊ねる。


「あのね、貴志──さっきの演奏、貴志の中では、最後に……()()()は、どうなったの?」


 貴志が首を傾げた。


「蝶? 何のことだ?」


 ──蝶ではないのか。では……。



「違うの? じゃあ……『天女』?」



 貴志は目を見開き、何故かその動きを止めた。





挿絵(By みてみん)

微睡(まどろみ)の森に蝶と遊ぶ』

子供真珠です(*´꒳`*)

■『チェロのための無伴奏組曲』参考■


Santiago Cañón Valencia 氏演奏

Gaspar Cassadó Suite for Cello Solo

https://youtu.be/ebMlp9Kc_bY



↑第三楽章は、9:55から。

貴志が演奏を変えたのは、12:00辺りからです(*´ェ`*)




■ファンアート御礼■

塩樹すばる様より、真珠(高校生版)のFAをいただきました。

可愛いイラストを描いていただき、ありがとうございます!


コミカライズ原作も書かれていらっしゃる塩樹すばる先生の作品はこちらから(*´꒳`*)↓

https://mypage.syosetu.com/1574116/


挿絵(By みてみん)






おまけ

挿絵(By みてみん)

更新宣伝に使用した真珠のテーマカラー版も置いておきます(*´꒳`*)

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『くれなゐの初花染めの色深く』
克己&紅子


↑ 二十余年に渡る純愛の軌跡を描いた
音楽と青春の物語


『氷の花がとけるまで』
志茂塚ゆり様作画


↑ 少年の心の成長を描くヒューマンドラマ
志茂塚ゆり様作画



『その悪役令嬢、音楽家をめざす!』
hakeさま作画


↑評価5桁、500万PV突破
筆者の処女作&代表作
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=禁断の恋!?
hake様作画

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