【真珠】アオ
今まで登場した『この音』の攻略対象たちは、揃いもそろって、何かしらの心の傷や問題を抱えていた。
それを『主人公』が癒やすことで、仲を深めていく物語運びは、久我山兄弟ルートも他のルートと同様だ。
久我山兄弟ルートの問題点とは──厳格な彼等の母親との、心の行き違いだった。
『この音』の情報をもとにすると、久我山兄弟の母親はタイガーマム（注1）ばりの教育熱心な親御さんのようだ。
厳しさあふれる子育てをする母親に対し、忍と出は必死になって努力し、母の要求に応えようと頑張り続ける幼少期を過ごす。
母親の過度な干渉とすべてを管理された生活を送る毎日のなか、忍と出は双子独特の世界で手と手を取り合い、お互いの心の拠り所となっていく。
結果を出し続けなければ母から愛してもらえないのではないかという強迫観念のもと、生きる虚しさを胸に抱えつつ成長した二人。
そんな双子の世界に、彼等と同じく帰国子女である『主人公』が加わることで、閉じた世界の扉が開かれる。
けれど、今まで、出と二人の世界で満足していた忍は、『主人公』に危機感を覚える──出を奪われてしまうのではないかという焦りから、『主人公』に対して前述のような行動をとるのだ。
忍は、『調部愛花、追い落とし計画』失敗後、自分たち双子の違いを見破った彼女への認識を改め、その存在を認めるようになる。
その後、出と『主人公』の仲は益々深まり、穏やかなお付き合いが始まる。
心の距離を縮めた愛花と出は、校内でも公認のカップルとなり、そこでやっと満を持して、出は彼女に音色を捧げる。
出らしい慎重さが微笑ましく、キュンキュン悶えるというよりは、ジンワリ染み渡るような愛情を注がれるルートだった。
久我山兄弟ルートをまとめると、『主人公』と出会うことで母の想いを知り、愛花の真っ直ぐな心によって癒やされていくという、再生の物語だ。
久我山母が、何故彼等を厳しく育てたのか──それは、母親自身の中にある、大きな後悔が要因だったと記憶している。
たしか、そうだ──彼女が、双子と愛花に懺悔する場面があった。
それは久我山母が学生だった頃に、ある挫折を味わい、幼稚な言動で大切な親友を深く傷つけたことに起因する。
結果的にその友人の運命を狂わせてしまったことを後に知った久我山母は、言いようのない後悔に苛まれた過去があったようだ。
久我山母の言葉が記憶の底から流れ出す。
『彼女なら許してくれるだろうという甘えがあった』
幼い頃から甘やかされ、わがままに育ってしまったが故に、最終的には無二の友を失うことになった久我山母。
双子を初めて腕に抱いた時──子供たちには自分と同じ轍を踏ませまいと決心したと語っていた。
母の追憶話により、双子は母親の厳しさの意味を知り、彼女の心の傷をも理解する。
母親自身も、打てば響く優秀な双子に多くを求めすぎ、自分とは別の苦しみを子供達に与えていたことに気づくのだ。
そこから久我山家の母子関係は、緩やかにではあるが温かなものへと変わっていく。
子供だった伊佐子は、久我山母の気持ちがまったく理解できなかった。
よって、わたしは伊佐子母にゲーム展開について、最大の疑問点を質問をしたことがある。
『母親でも、子育てでそんな失敗をするの？ 大人なのに』
──と。
母は笑いながら答えてくれた。
『母親だって人間だもの。私だって〈お母さん〉になるのも、子育てするのも、生まれて初めての経験なのよ。間違うし、失敗だってする。大人としての経験値はあるけど、初めてのことはいつだって手探りよ。それにね、大人になっても、意外なほど心は、子供の頃と変わらないものなのよ』
あの時は、分からなかった。
でも、大人になった今なら分かる。
子供の頃は、大人になれば、心も合わせて大人になるのだと思っていた。けれど、身体が成長したとしても、この心は、驚くほどに子供のままで、さして大きな違いはなかったのだ。
母の口にした内容を、ナルホドと思ったのは、初めてその話を耳にしてから何年も経ってからのこと。
きっと、久我山母も手探りのなか、異国の空の下、できうる限りのことを子供達に対して与えたつもりだったのだろう。
けれど、子供と大人では、ひとつの物事に対しての受けとめ方や考え方は、まったく異なるのだ。
そこを気づけなかったが故の、心の行き違いだったのだと思う。
親の心、子知らず。
そして、その反対も然り──だ。
けれど、この葛藤も、結果的に母子の絆を深めることに繋がる。
家族関係に於いても、主人公との恋愛関係においても、全てが丸くおさまる平和なルートだ。
穂高ルート、貴志ルート、晴夏ルート、それからラシードルートのように、早急に解き放つべき苦しみや、未然に回避すべき大きな問題を、彼らは持ち合わせていない。
それに、おとなしく従順な出はいざ知らず、タチの悪い悪戯ばかりして主人公を困らせていた忍においては、母親からの愛の鞭は成長途中に必要不可欠。
特に忍は、母親からの調教がなければ、ヤンチャすぎて手に負えない人間になってしまうだろう。
ちなみに『悪役令嬢』であるわたしが双子の幼馴染として登場するのは、皆さま既にご存知だと思うが、忍の悪質な『主人公』追い落とし計画の片棒をかつぐのが、何を隠そうこの『真珠』だったりする。
『真珠』は彼等の幼馴染ではあるが、強固な境界線を引く双子の世界に入ることができなかった。
だから、出の心の垣根をあっさりと越えていった『主人公』を疎ましく思っていたのだ。
双子ルートにおいて『真珠』は、忍と協力関係になり、『主人公』排除に手を染めるのだ。
たしか忍は、『真珠』のことを割と気に入っていた節があった──その理由は、判明しなかったのだけれど、もしかしたら同じ淋しさを心に抱える同類だと、相憐れんでいたのかもしれない。
忍が『主人公』を認めた後、『悪役令嬢』は退場となり、久我山兄弟ルートにおいての『真珠』の役目は終わる。
だが、その後『真珠』がどうなったのか、久我山兄弟ルートだけは情報が何も出てこない。
それが、わたしが彼等と関わることを避けたいと願う、最たる理由だ。
単にお役御免で物語からフェードアウトしただけなのかもしれない。だが、見えない部分で、よくわからない状況に陥ることだけは何がなんでも避けたい。
『悪役令嬢』として断罪される未来が待ち受けているのか否か、その回避方法も分からない状態の中に、己の身を置くのはハッキリ言って真っ平御免なのだ。
用を足したあと、手を洗い、加奈ちゃんと共にレストランへ戻る。
久我山兄弟は、さすがにもういないだろうと思ってはいたが、念のため立ち止まり、不自然さを出さないよう左手側に嵌められた大きなガラス窓の下に視線を向ける。
ここからは、地球館の恐竜関連の展示室が見下ろせるのだ。
「加奈ちゃん、恐竜の化石を上から見下ろせるレストランって、ワクワクして楽しいですね」
わたしが笑顔で伝えると、加奈ちゃんも展示室を眺めて微笑んだ。
恐竜の化石を眺める素振りを見せながら、愛花と久我山兄弟がいたはずのテーブルの位置にそっと視線を移す。
既に愛花も久我山兄弟も、そこにはいなかった。
ホッとした瞬間──再び視線を感じ、わたしは慌てて背後を振り返る。
遠く離れた入口近くの会計場所に目を向けると、父親と手を繋いだ久我山忍と目が合った。
わたしはドキッとして顔をそらし、加奈ちゃんの手を引くと、彼の目から逃れるように自分の席へ慌てて戻る。
気持ちを落ち着けたくて、貴志に抱きつこうとした……けれど──できなかった。
貴志の視線は、ある女性の姿を追っていたからだ。
食い入るように見つめているのは、入口で精算をしている女性──久我山兄弟の母親の姿。
──どうしたのだろう？
疑問に思いつつ、わたしも貴志と同じく、その女性を視界に入れる。
線の細い、とても綺麗な人だ。
母や紅子にも勝るとも劣らない美貌の持ち主。
けれど、どこか陰のある表情に心惹かれ、何故か『薄幸の美女』という言葉が思い浮かぶ。
淡く煙るような儚さを漂わせた横顔には憂いが滲み、手弱女のような風情から目が逸らせない。
果たしてこの女性に厳しい子育てができるのか、甚だ怪しく感じてしまう印象──けれど、息を呑むほどに美しい。
貴志は、口元を手で覆うと、不思議な言葉を呟いた。
「──ア……オ……？」
その音に驚いて、彼の顔を凝視する。
貴志はわたしが見つめていることさえ気づかずに、その双眸を驚愕の色に染め──只管に、その眼差しを彼女に注ぎつづけた。
──アオ？
それはもしかして、双子の母──久我山葵衣を指す……のだろうか。
（注１）
タイガー・マムとは"Battle Hymn of the Tiger Mother"
というイェール大学教授エイミー・チュアさんが著した著書から生まれた、中国式スパルタ教育を子供に施す母親のことを指します。（子供に高い期待をかけ、オールAの成績を求め、楽器を習わせ、習い事やお友達の管理をする母親の代名詞であります）
