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【真珠】穂高、運命の出会い?


 調部(しらべ)愛花(ういか)は、まだ幼い。

 けれど、人目を引く美しさは既に顕在している。


 薔薇色に上気した頬。

 艶のある桜色の唇。

 明るい茶色の瞳は透き通り、潤んだ目元が愛らしい。


 その目元を飾る長い睫毛が下瞼に影を落とし、その陰影が得も言われぬ美しさを生み出している。

 緩やかに波打つ髪は柔らかく背中を包み、毛先に向かうにつれて明るい色へと変わっていく。


 外見だけ見ると、年齢よりも大人びた印象だ。


 女の子の中の女の子、という言葉がピッタリではあるけれど──何故か目の前の愛花には、ゲームの中では見受けられなかった、凛とした雰囲気も備わっている……ような気がする。


 天井を泳ぐ首長竜の骨格標本を見上げる彼女の横顔に視線を奪われ、その可憐さにわたしは思わず頬を赤らめた。



 先ほどから、兄がわたしと愛花を交互に見ているのだが、彼女のこの息を呑むような美しさから目が離せず、兄を気遣うことさえできない。



 どうしよう。

 本当に、可愛い。


 愛花を動物に例えるならば、仔栗鼠(リス)だろうか。

 もっと近くで愛でたい気分だ。


 それにしても、この胸の高鳴りは、一体何なのだろう。

 思わず抱きつきたくなってしまうこの衝動。


 頼む。

 心臓よ、鎮まってくれ。


 胸の上に手を置き、ドキドキと暴れる心音を落ち着かせようと頑張るも、鼓動は激しさをいや増すばかり。


 これは、愛くるしい小動物を愛でるような感覚?

 それとも、何か他に理由があるのだろうか?


 彼女を見ていると、何故こんなにも心が動かされるのだろう。



 我に返った加奈ちゃんがサッと動き、愛花に近寄っていく。

 その時になって、わたしはやっと現実に戻ってくることができた。


「愛花ちゃん、ひとりなの? また、はぐれちゃった?」


 突然声をかけられて驚いたのか、愛花はビクッと飛び上がるように身体を揺らした。


「あ……」


 思わず洩れてしまったというような声。

 それさえも、ひどく愛らしい。


 加奈ちゃんを視界に入れた愛花の表情が突然(ほころ)んだ。

 光輝く微笑みは、さすが『主人公(ヒロイン)』のもの──ただただ見惚れるばかり。その可愛さには果てがない。

 こんなにもわたしの心を虜にするなんて、なんと恐ろしい生き物なのだろう。


 愛花は、笑顔を振りまきながらこちらに走り寄り、両手を広げて加奈ちゃんの身体にむぎゅっと抱きついた。


 先ほど助けてもらった年上のお姉さんとの再会を、とても喜んでいるように見える。


 その行動の尊さに、わたしはクラリと倒れそうになった。


 どうしよう。

 これは、かなり人懐っこい美少女だ。


 破壊的にヤバイ──主に、わたしの心臓が。

 

 三人娘が彼女に心を囚われ、甲斐甲斐しくお世話を焼きたくなった気持ちが今、ものすごく分かってしまった。


 こんなにも蕩けるような笑顔を惜しげもなく向けられたら、誰でもデロデロに甘やかしたくなるのではないだろうか。


 幼い子供が無防備に懐いてくるだけでも目尻が緩む案件なのに、それだけではなく彼女は美少女。

 上にも下にも置けず、抱き締めて独り占めしたくなってしまうではないか。


 何故に、貴志はまったく反応をせず、あまつさえあのような態度だったのだろう。


 ──あいつは不感症なのではないか!?

 と、心配になる。


 自分が『主人公』の登場に不安を抱き、恐れ慄いていたことなどすっかり忘れ、わたしは既に愛花に夢中だ。


 愛花は、将来有望どころではない──絶世の美女予備軍ではないか!


 まるで恋焦がれる乙女のような眼差しで、わたしは愛花の姿をひたすら追いかけた。


 けれど、それは唐突に遮断される。

 兄が、わたしの視界を塞ぐように目の前に立ったからだ。


 嗚呼、お兄さま!

 これでは、愛花が見えません。


 お兄さまの麗しいご尊顔も大変素晴らしくて、常日頃から、いつも見つめていたい気持ちでいっぱいなのですが、今日は、今日だけは、愛花を、『主人公』を、わたしの目に焼き付けたいのです!


 視界を兄に遮られた途端、ガッカリした感情が溢れてしまったのかもしれない。兄が、珍しく剣呑な雰囲気を滲ませる。


 ──でも、わかる! その気持ち!


 おそらく兄も可憐な愛花に見惚れていたのだろう。

 その、あまりの美しさに、誰にも見せたくないと、焦りを覚えるほどの独占欲が生まれてしまったと、そういうことなのか。


 それって、つまり── 一目惚れ……?


 受け入れてもらえない『想い人』への気持ちを封印したばかりの兄。

 その彼の心に、新たな恋が生まれた貴重な瞬間を、わたしは共有しているのかもしれない。


 なにせ兄と愛花は、攻略対象と『主人公』の関係だ。

 出会って早々、見えない絆により、お互いに惹かれ合ったのだとしてもおかしくはない。多分。


 ──これは、まさに運命の出会い!


 だけどお兄さま──ちょっとだけで良いのです。

 どうかわたしにも、愛花の姿を拝ませてください。


 そして、少しでいい──横にズレてくれないだろうか。

 わたしは、愛花を愛でたい。


 そんな思いを抱きつつ、わたしは兄に声をかけた。


「お兄さま」


「どうしたの? 真珠?」


 兄はニコリと笑う。

 でも、どこか不自然さの混じった笑顔だ。

 鷹揚に構えるよう心がけてはいるけれど、兄から微かな焦りが届いてくるのは何故(なにゆえ)か。


「あの……彼女が見えません」


 わたしの言葉に、兄の口から「ふぅん」という不服そうな呟きが洩れた。


「そうだね。僕が、君の前に立っているからね」


 兄からは、凄みのある麗しい笑顔を向けられ、それと同時に、その背後から黒いオーラが立ち昇った気がした──のだが、理由がまったくわからない。


 妹にさえ見せたくないと思ってしまうほどの、独占欲?


 それは、かなり熱烈な想いだ。

 妹として、少し妬けるではないか──が、愛花が将来、義姉になる可能性があるというのなら、わたしは間違いなくウェルカム!

 お兄さまと愛花の仲をとりもつキューピット役を是が非でも務めて進ぜよう!


 熱いエールを送ろうと、わたしは兄に向かって力瘤を作って見せた──のだが、兄にはその意味が伝わらなかったようで、眉間に皺を寄せている。


 わたしは、少しだけ身体を横に移動させ、愛花を視界に収めようと尽力したのだが、悲しい哉──何故か兄も一緒についてくる。


 うう、お兄さま。今だけ、今だけでいいのです。

 わたしの視界に愛花を。どうか! どうか!


 兄に伝えることはできないが、兄と愛花のこの出会いは運命──なのだから、少しだけ男の余裕を持って欲しい。


 いや?

 兄でさえこの態度なのだ。


 晴夏やラシードが愛花を巡る攻防に参戦したとしたら、男の余裕などとは言ってはいられない状況なのかもしれない。


 将来、愛花を巡る攻略者同士の戦いを、わたしは間近で見守ることになるのだろう。


 音を愛する彼女のために、それはそれはたくさんの音楽が奏でられる筈だ。

 わたしも隅っこで、彼らが彼女に捧げる至高の音色を堪能するとしよう。


 愛花を愛でるだけでなく、素晴らしい音楽に触れられる未来を思い、クフフと笑いが洩れる。


 そして、願わくば、愛花を巡る争いに、貴志だけは参戦しないでもらいたいと思う。切実に。

 こんなに愛くるしい愛花が相手となったら、わたしに勝ち目は無い──多分、きっと、おそらく。



 兄は何故か、先ほどからわたしの顔を心配そうに眺めている。


 大丈夫ですよ、お兄さま!

 ブラコン気味な妹ではありますが、間違っても兄の想い人である愛花にヤキモチなんて焼きません。そして、いじめたりもしません!

 だから、そんな顔をしないでください!


 わたしの頭の中では、愛花と攻略者たち(但し、貴志を除く)が繰り広げる胸キュン展開の未来の妄想がノンストップだ。


 そんな湧いたわたしの頭の中の脳内映像など知らない加奈ちゃんが、心配そうな声で呟く。


「うーん、どうしよう。愛花ちゃんは、日本語での意思の疎通がまだ難しいんだよね」


 加奈ちゃんの言葉を拾った兄が、すかさず「使用言語は?」と問いかけた。


「英語なんだけど、わたしのカタカナ発音だと上手く通じなくて、さっきは葛城さんに助けてもらったんだ」


 加奈ちゃんが愛花の頭を撫でながら、兄に答えている。

 愛花は加奈ちゃんの手に気持ちよさそうに擦り寄っているのだが、その無防備な様も本当に愛らしい。


「わかりました。僕が話しましょう」


 兄が切羽詰まったように早口で答えている。


「穂高くん、英語できるの? それは助かる。お願いします!」


 加奈ちゃんの言葉に、兄は頷いた。


「彼女の連れを、一刻も早く探しましょう。女の子相手だというのに、なんだろう、この気持ちは……ちょっと僕が耐えられな……──えっ ちょっと、真珠!?」



 兄と加奈ちゃんが話し込んでいる間に、わたしは愛花の隣にそそくさと移動し、彼女へ掌を差し出して、ニコリと笑いかけた。


 そして、問う──勿論、使用言語は英語だ。



「愛花ちゃん、こんにちは。わたしは真珠。一緒に来た保護者のかたは今、何処にいるの?」



 わたしの背後を泳ぐ首長竜と、差し伸べられた手を交互に見つめた愛花の目が、一瞬だけ細められた。


 突然大人びた様相を見せた愛花にドキリとしたけれど、それは幻だったのか。

 次の瞬間、彼女は極上の笑みを見せ、わたしの手を握りしめ、そのままこの身体をグイッと引き寄せる。


 愛花の思わぬ行動に、バランスを崩したわたしは、気づくと彼女の腕の中にいた。


 その感覚に、どこか懐かしさを覚えたのは、自分が『主人公』になりきってプレイした彼女と、自分自身の心が同調したから?



「──……っと、………………た……」



 愛花がわたしの耳元で囁いた声は、よく聞き取れなかった。


 けれど、それは──



「──え?」



 何故か──流暢な日本語だった──ような……気がした。




■調部愛花■


挿絵(By みてみん)

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