【真珠】『小さな嵐』
「加奈ちゃんから聞いたよ。『聖水』を使った事も──」
二日酔いにより、体内に酒気が残っていた貴志。
加奈ちゃんと電話で話した内容から判断すると、おそらく彼は『主人公』に──『幻』を見たのだろう。
調部愛花の姿を目にした貴志は、一瞬とは言え惑わされ、『聖水』を使うに至ったと──そういうことなのだろうか?
とても、気になった。
──けれど、わたしが最初に訊ねたいのは別のこと。
『聖水』を使った理由も勿論気にはなるが、それは所謂わたしのヤキモチ──感情論だ。
彼女の姿を見て、どう思ったのか気にならないと言ったら嘘になるけれど、今はどちらかというと『聖水』を使ったという事実が指し示した、ある可能性の確認をしなくてはいけない。
『大人の女性』だと貴志が口にした『主人公』の姿。エルの言葉を借りるとすれば、彼女は──『理の違う魂を持つ』存在──に当てはまるのだと思う。
つまり愛花は──わたしと同じ『転生者』である可能性が高い。
もし、彼女の中に誰か別の人間の魂が宿っているのであれば、年齢にそぐわない言動があったのかもしれない。
それは直接会話をした貴志にしか分からないことだ。
だから、わたしはそれを知りたかった。
貴志はわたしの様子に何かを察してくれたようで、神妙な表情で頷く。
「わかった──確かにそれは、短時間で話せる簡単な内容ではないな。今夜、時間をとって話そう。それに、俺もエルが言っていた言葉が……気になっているんだ──『あの子供』……」
貴志の言葉は、いつになく歯切れが悪く、おそらく愛花のことが頭の中を占めているのだろう。
少しだけ心許なくなったわたしは、思わず彼の名を呼んでしまう。
「貴志……?」
わたしの声を耳にした貴志はわたしを視界に入れ、軽く溜め息をついた。
「お前は……何て顔をしているんだ? 念のために言っておくが、俺は『あの子供』に、心を囚われた訳じゃないぞ?」
『主人公』に出会ったあとでさえも、貴志の心の中にわたしの居場所がある。それは先ほど、貴志がはっきりと口にしてくれたこと。彼が伝えてくれなければ、未だに不安で悶々としていたことだろう。
それでも瞬間的に、貴志は『主人公』に心を奪われたのだろうかとヤキモチを焼いていたわたしは、図星をさされウッと言葉に詰まる。
これが、複雑な乙女心というものなのかもしれない。
わたしの態度から、こちらの考えを瞬時に理解したのだろう。
貴志は不機嫌な表情を見せると、わたしの額をパシッとその指で弾いた。
加減はされていたので痛くなかったけれど、わたしは口をへの字にする。
「何故、バレたし」
わたしはオデコをさすりながら、少しだけ気まずい気持ちになる。
貴志の目がすわっているように見えるのは、勘違いじゃない。
「まったく、お前は……──『あの子供』のことに頭を悩ますよりも、お前にどうしたら信じてもらえるのか、そっちを考える方が頭が痛い」
ブツクサ呟いた貴志は溜め息をついたあと、言葉を継ぐ。
「詳しい事は分からないが──あれは、俺がお前に惑わされた時とは違って……どちらかというと、囚われていたのは──加奈さん達のほうだった」
「へ!? 加奈ちゃん達が?」
──それは一体どういうことなのだろう?
貴志は難しい表情をしている。
「貴志?」
彼が何かしらの不可解な思いを『主人公』に対して抱いているのは、明白だった。
けれど、それが何であるのか──こちらからはうかがい知れない。
そして、貴志の態度を見る限り、彼自身も、その根底にある疑念が何であるのか、分かっていないようだ。
貴志の瞳を覗き込むと同時に、彼はわたしの身体をしっかりと抱え直し、階段を降り始める。
「いや、何であろうと関係ない。俺はお前を、自らの意思で、手放すつもりは──ない」
貴志の放った言葉の真意が掴めず、わたしは首を傾げた。
どちらかと言うとわたしのほうが、『主人公』に貴志を奪われる未来を心配していたというのに、貴志の言葉を聞くと──まるで真逆。彼の科白は、何かを恐れているように聞こえたのだ。
それに、『自らの意思で』って、どういうこと?
「お前は、俺と初めて会った時のことを──浅草寺でのことを、覚えているか?」
唐突な質問に、わたしは首肯する。
二人の出会いを、忘れるわけがない。
鮮やかによみがえるのは、幽霊になりきって電波対応で切り抜けたあの夜の記憶。
途端にわたしはいたたまれなくなって、肩をすくめた。
わたしの態度を目にした貴志が、フッと目を細める。
「お前が突然消えたあと、何故かまた、何処かで会えるような予感がしたんだ──……『あの子供』にも、それと似たようなものを感じた」
それは、何れ出会うことが定められた──運命のようなもの?
主人公と攻略対象である彼等を繋ぐ、目に見えない絆が存在していても不思議はない。
改変されつつある未来と、予定よりも早く変わっていく攻略対象たち。
彼らと『主人公』が出会った時、お互いにどんな感情を抱くのか、全く予想もつかない。
それでも、貴志が感じた予感は、魂同士が惹かれ合うような、言葉では言い表せない繋がりのように思えた。
貴志を見つめながら、そんなことを考えていたわたしは、気づく──彼の表情が陰り、口調が重くなったことに。
それは彼を間近で観察している人間でなければ、見逃してしまうだろう些細な変化。
「エルは、今はまだ『小さな嵐』だと言っていた。あの忠告は、もしかして……」
そこで言葉を止めた貴志は、一人で静かに何事かを考え込んでいる。
彼は「あとは、また夜にでも」と区切りをつけ、再び押し黙ってしまった。
皆と合流するまでの間、貴志は沈黙を貫き、とうとう口を開くことはなかった。
わたしは、滑り落ちないように彼の首に腕をまわし、目を閉じた。
──瞼の裏に浮かぶのは『主人公』の姿。
貴志だけではなく、兄も、晴夏もラシードも──美しく成長した愛花と相まみえることになるのは、十年後。
けれど、貴志はこの先の未来に待ち受ける彼女との再会を、楽しみにしているような素振りは微塵もない。
──それは何故?
人は、運命に出会ったら、その瞬間に心で悟り、出会えた事実に心躍るのだとばかり思っていた。
だから、貴志がこんなにも浮かない表情をしている理由が、思い当らなかったのだ。
──『小さな嵐』は、調部愛花で間違いない。
けれど、それは、一体何を示唆しているのだろう。
そう言えば先日──ホテルでエルとの別れ際、彼が最後に口にした言葉にも、『嵐』という単語が出てきたことを思い出す。
エルは、何と言っていた?
そうだ。たしか──
『嵐の目』──だ。
『……まだ遠い未来だが──『嵐の目』が現れる。それが何かは、今はまだ分からない。だが、迷うな。惑わされるな。それだけは伝えておく。ただひとつ分かること──その『嵐の目』は、我々にとって一番の──<強敵>だ』
エルは貴志に、そう伝えていた。
『小さな嵐』が、将来『嵐の目』となって、わたし達の目の前に現れるのだろうか?
それに、『強敵』って、何のこと?
『小さな嵐』は、将来──誰にとっての『嵐の目』と、なるのだろう?
そろそろ10月末。
ハロウィンも間近です。
肌寒い日も増えてきましたので、皆様、体調にお気をつけください。







