【真珠】わたしの『居場所』
「そこの二人! 何を話しているのか分からないけど、いい加減離れなさい!」
理香の声と、兄の咳払いが同時に届いた。
声のした方向に視線を移すと、呆れ顔の理香が腕組みをして立っていた。
理香は先程まで泣いていたのか、目を赤く腫らしながらも、ブツブツと文句を言っている。
「こっちは、どうしようって心配して、自分を責めていたのに。あんた達はわたしが目を離した隙に……もう!──ああ、でも良かった」
怒っているのかホッとしているのか、様々な心情が顔に表れ、理香は百面相状態だ。
その隣に佇む兄は複雑そうな表情でこちらを見ている。
いくら婚約関係にあるとはいえ、幼い妹が貴志に向けて積極的に恋しいアピールする姿を目の当たりにして、どう反応して良いのかわからないのだろう。
兄に見られていたことは気恥ずかしくもあるけれど、周囲に気遣う余裕さえ持てないほど、調部愛花の想定外の登場に、わたしの心は相当動転していたようだ。
そもそも、よく考えれば、貴志が幼い少女に対して惚れた腫れたという感情を抱く事態が想像できない。
自分のことを棚に上げて、と思われるかもしれないが、わたしの場合は、特殊な状況下にいる。
この身体の中に伊佐子がいたから、所謂恋仲に近い関係に収まることができたのだ。幼い『真珠』のままであれば、きっと貴志は興味さえ持たなかっただろう。
なにせ『真珠』は、完全なるお子様だ。
そして現在の愛花も、同じくお子様なのだった。
貴志を失うかもしれない恐怖が、熟考せずとも導き出せる答えに蓋をし、思考回路を麻痺させていたことに気づく。
落ち着けば分かることだろうに──と己の未熟さを恥ずかしく思う。
加奈ちゃんとの先ほどの電話で、貴志についての気になる発言はあったものの、その事実確認は後ほど──貴志と二人で話をするほうがいいだろう。
兄と理香の後ろには、物言わぬ晴夏と、頭を掻く咲也。
咲也は何とも気まずそうな表情を覗かせているが、晴夏は何を考えているのかよく分からない。
恐竜展組の四人もわたしを心配し、追いかけてきてくれたのだ。すべての展示を見学することかなわず、会場を足早に抜け、地球館までわたしを迎えに来てくれたのだろう。
申し訳ないことをしたなと思ったけれど、自分ではどうすることもできない中、叔父の厚意によって保護され今に至るのだ。
お詫びになるかどうか分からないけれど、後ほどお土産売り場にて、お揃いのキーホルダーを購入しようと決める。
透明のアクリル樹脂の中に3Dの恐竜が入った小さなキーホルダーがいいかもしれない。前世の記憶をもとに、頭の中で目星をつけておく。
このキーホルダー、実は伊佐子もバイオリンケースの鍵につけて愛用していたのだ。とても可愛らしい造りで、大のお気に入りだった。
そう──幼い頃、尊とお揃いで買った思い入れのあるキーホルダーなのだ。
わたしの考え事が終わるのを待っていたのか、顔を上げるのと同時に加奈ちゃんが声をかけてくれる。
「真珠ちゃん、貧血なの? 無理しないでね」
未知留ちゃんがコクコクと頷き、何故か再び鼻を抑えているので『救護室再び』か、と心配したが何とか大丈夫そうだ。
三人娘も貴志の後ろにて、こちらの様子をじっと窺っていたのだろう。鬼押出し園に続き、貴志とのアレソレを彼女たちに見られていたことが少し照れくさい。
「ありがとうございます。もう、大丈夫です──ね? 貴志」
赤面しながら加奈ちゃんに笑顔で答え、貴志にも同意を求める。彼も三人に向かって微笑みを返し「ご心配をおかけしましたが、この後は様子を見ますので」と伝えてくれた。
瑠璃ちゃんは「どうしよう。さっきから、尊みがスゴすぎるぅ! 姫と黒騎……」と目を潤ませて叫び、それを聞いた加奈ちゃんが、瑠璃ちゃんの口を咄嗟に塞いだ。
遮られた瑠璃ちゃんの言葉が気になりはしたけれど、たしかに貴志の笑顔は、破壊的な尊みが深いかもしれない。
納得したわたしは何度も頷いた。
優吾が兄に近寄っていくのが視界に入る。
「穂高、これはどういうことなのか説明しろ!」
優吾が、わたしと貴志を指差しながら明らかに動揺している。
兄は「ああ、そのことですか」と前置きし、わたしと貴志が一応婚約関係にあって、その期間は貴志がわたしを守ることになっているのだと伝えると、優吾が何やらゴネだした。
「俺は誠一から、そんな話は一切聞いていないぞ!」
それはそうだ。
今回の婚約は将来に備えて、わたしがアルサラームへの人身御供となる事態を回避する一端でもあるけれど、星川リゾートが月ヶ瀬グループ傘下へと穏便に吸収される為の内情も抱えているのだ。
いくら兄弟関係にあるからと言って、齋賀関係者に事前に詳細を漏らすようなことはしないだろう。
万が一にも、そんなことをしようものなら、誠一パパには企業スパイの汚名を着せられてしまう。
企業戦略の手の内を明かすことと同義になるのだから──愚の骨頂とも言えよう。
優吾もそれは分かっているようだが、誠一お兄ちゃん大好きっ子の彼としては、複雑な心境だったのかもしれない。
安定のブラコンぶりが、いっそ清々しい。
いつのまにか大切な人達に囲まれていることに気づき、わたしの周囲が賑やかになる。
わたしは孤独なのだと暗闇で独り意気消沈し、まるで悲劇のヒロインになっていたことが急に恥ずかしく思えてきた。
いや、わたしはそもそも『主人公』ではなく『悪役令嬢』だったなと思い出し苦笑する。
うん、大丈夫。
わたしは──独りじゃない。
わたしのために泣いてくれる理香。
温かく見守ってくれる兄。
大切にしてくれる晴夏。
何かと気遣いを見せる咲也。
問題はあれど、庇護してくれる優吾。
無邪気な笑顔で支えてくれるラシード。
そして──深い愛情を注いでくれる、貴志。
『この世界』に根を下ろした『わたし』という存在は、いつの間にか枝葉を伸ばし、その枝葉は愛する人たちとの繋がりを、知らず形づくっていた。
自分ではそうと認識できないうちに、『この世界』にも大切だと思える存在が、沢山増えていたことにも気づく。
ああ、わたしは、ここにいてもいいのだ──心に明かりが灯り、『居場所』を与えてもらえたことに、胸が熱くなる。
じんわりとした温かさを宿した心は、孤独という名の闇を少しずつ侵食し、切り崩していく。
『主人公』の登場で、波立った心──けれど、その動揺があったからこそ気づけた。
此処は、わたしの──真珠の大切な『居場所』だ。
これは嬉しさからくる感情なのだろう。
歓喜に胸が苦しくなり、泣きそうな気持ちで愛する人々の顔を見上げていたところ、黒いスーツの青年が貴志の隣に並び立った。
ああ、そして、忘れてはいけない人がもうひとり。
わたしの近くには、正しき道へ導こうとしてくれる──エルもいる。
わたしは、彼の美しく輝く黒曜石の瞳を見上げた。
「真珠、少し……気が乱れている。貴志、彼女の様子を確認しても?」
貴志の手によってエルの足元に導かれたわたし。その前で、黒衣の青年は膝を折り、目線を合わせてくれる。
「真珠、少し……触れるぞ」
目の下にエルの親指が置かれ、下瞼の内側を確認される。
首筋に手を当てられ、エルの掌から、温かな何かが流れ込み、血流にのって体内を巡り始める。
目を閉じると強張っていた身体が弛緩し、緊張が解きほぐされていくのがわかった。
自然に呼吸ができるようになり、安心感が生まれる。
「血色も戻ってきたな。これで……大丈夫だ」
安堵の息をついたエルは、先日ホテルの廊下でしたように、わたしの背後に視線を向けると何事かを確認し始めた。
「……エルはあの子に──『小さな嵐』には、会えたの?」
囁くような声で、わたしは質問を口にのせた。
それだけで、エルは全てを察してくれたのか、彼は首を左右に振る。「残念ながら、すれ違っただけだ」と教えてくれた。
「先程、お前の魂に乱れを感じた。色々と質問したいこともあるだろうが、ここで答えるには時間が足りない──今宵……お前の訪れを待つ」
わたしはエルの目を見て、静かに頷いた。
今夜、あの場所を──天空に太陽と月がかかる不可思議な空間を訪ねよう。
エルには、いくつか質問がある。
『主人公』のことは勿論、その他にも確認したいことがあるのだ。
真珠の動揺は落ち着きました。
さて、真珠は愛花に会えるかな(*´ェ`*)
久々に二日連続更新できました_:(´ཀ`」 ∠):







