【真珠】悪巧み
わたしは再び、優吾のシルクタイを引っ張った。
「逃げた女を追いかけて、どうするの? 恐怖心を与えるだけだよ? それに、仕事中でしょう?」
優吾の様子を目にしたわたし自身は、だいぶ冷静さを取り戻していた。
焦っている人物が傍にいると、何故か落ち着いてしまう人間の不思議だ。
わたしの言葉に優吾は息を呑むと、剣呑な眼差しで悪態をつく。
「ガキが……何を分かったようなことをっ 女はな、嫌がっていても強引な位の男の方が──」
最後まで言わせず、わたしはネクタイを手繰り寄せ、ニッコリ笑って言葉を重ねる。
「それは、優吾くんの妄想。身勝手な持論でしょう? 理香は相当動揺している。これで追い討ちをかけたら、完全にフラれ──」
フラれるね、と言いかけたところで肝心なことを思い出す。
何をやっているのだ、わたしは!
この場で、理香にフラれてしまえば良かったのだ!
わたしとしたことが、何故にコイツの玉砕行動を止めてしまったのだろう。
優吾に理香を追わせ、恐怖を覚えた理香から手ひどくフラレて『ジ・エンド』という道も選択できたのだ。
ゲーム本来のあるべき未来を望むのならば、理香の相手はコイツではない。
冷静になればなるほど、自分が取った悪手に気づき肩を落とす。
いや、今からでも遅くはない。
二枚舌と言われようが、わたしは加山を応援すべく悪巧みを開始する。
優吾を蹴落とす道をアッサリ選んだのだ。
「──と、思ったけど、ごめんなさい。子供のわたしには分かりません。浅はかでした。さすが優吾くん。女心を心得ていらっしゃる。えへへ──男は強引な位が上等! 今ならまだ間に合う、兎に角、すぐに理香を追いかけよう! なんならわたしは降りるから、ひとりで、どうぞご自由に!」
わたしの恐ろしいほどの掌返しの言葉に、優吾は珍妙な生き物を見るような表情を作り「へぇ、聞いた通りだな。これは面白い」と呟いてニヤリと笑った。
まるで、楽しい玩具を手にした時のような嬉々とした表情を見せた叔父に対し、わたしは絶対にお前の玩具になんぞなってやるものか!──との思いから、鼻息も荒く、理香の逃げた方向に進めと指を差す。
「お前が良からぬことを企んだのは理解した──今回に限ってそれは、まあ許してやろう。それよりも真珠? お前の、その喋り方と、無駄な知識は、一体どこで仕入れたものだ? それに、さっきから黙って聞いていれば、俺に対する放言の数々──あれは何だ? お前は一体何様のつもりだ?」
放言の数々?
いや、わたしは『真珠』と同じく『優吾くん』へは、最初から礼儀正しい言葉遣いで話しかけていた筈──と首を傾げた。が、理香に対する優吾の行動に度肝を抜かれて以降、『真珠』の仮面がところどころで剥がれ落ちていたことに思い至る。
──ほ……放言?
わたしはコイツに何を言ったのだろう。
あれか?
馬鹿者、と言ったことか?
いや、痴漢行為と罵ったこと?
それとも、アホと口をついてしまったことか?
そう言えば「見苦しい」とトドメも刺したような?
しかも、己の心の中に蓄積していた尊への鬱憤も、どさくさに紛れて優吾に向かって集中砲火させていた……ような気もする。
更には、妄想とかいう言葉で、優吾の考えをディスってしまった。
子供に似つかわしくない言葉のオンパレードと、尊からの強引なキスという無駄な経験値から生じた科白も思い出し、サーッと血の気が引く。
おまけに、先ほど「お前なぞ、とっととフラれてしまえ!」との考えから、理香を追わせようと画策した企みという名の腹黒い感情も伝わってしまったらしい。それも含めて、優吾の不機嫌な態度に拍車をかけてしまったのだろう。
まずい。
いや、マズイどころではない。
色々な意味で!
今度は理香ではなく、わたしが絶体絶命のピンチだ。
「えっと……えっと。ナンノコトデショウカ? ゆ……優吾……クン?」
姪っ子の引きつった笑顔と声にはお構いなしで、優吾はわたしを抱えたまま歩き出した。
待って!
どこに向かうのだ!?
そっちは、理香が走り去った──兄達の待つ特別展会場の入り口方向ではない。
優吾が足を向けたのは、常設展へと向かう順路──
「へ? は? わたしを降ろせ! 一人でみんなの所に戻るから!」
わたしの言葉に優吾が溜め息をつき、何故かこの頭をクシャッとおさえた。
優吾から頭を撫でられる理由がまったく理解できず、わたしはネクタイを離して、叔父を恐る恐る見上げる。
優吾は呆れの混じった溜め息をついてから、わたしを抱え直した。
縦抱きにされ、急に視界が高くなる。
なんだろう。
扱いが妙に丁寧だ。
今まで、齋賀本邸の集まりでの態度とは、微妙に違う。
わたしへの懐柔工作なのだろうか。
一体何のために?
──いや、これは、まさか!?
わたしは頭を過ぎった不吉な考えを、うっかりポロリしてしまう。
「お前……まさかとは思うが……わたしを、誘拐? ……しようとして……いないだろう……な?」
ガクブルしながら優吾を見上げると、叔父は一瞬だけ極寒の眼差しをわたしに向け、その後は凍えるほどの超絶美男子顔で婉然と笑った。
悪魔の微笑みをこの目で拝むことができたのならば、きっとこんな上辺だけの笑顔なのだろうな。そんな確信をいだき、背筋にゾッと悪寒が走る。
「さあな。だったら、そういうことにしておいてやろう。暫く勝手に怯えているがいい!」
悪巧みするような光を双眸に宿した優吾は、震え上がるような麗しい笑顔を見せると、わたしをヒョイッと肩に担ぎ上げた。
扱いが一気に悪くなったのは絶対に気のせいじゃない。
理由は分からないが、わたしは彼を怒らせたようだ。
離せ、とわたしがジタバタ暴れると、周囲の観覧客からの視線が集まってくる。先程まで誰もいなかった筈なのに、ここにもだいぶ人が流れてきているようだ。
どうしよう。
兄と晴夏のところに戻りたい。
『伊佐子』のことを彼等に話していたほうが、まだ平和だった気がする。
それに、理香の様子も心配だ。
今頃、咲也が彼女を宥めているのだろうか。
ここは、どうにかして周りのお客さんに助けてもらい、彼等のところに辿り着かねば!
叔父を誘拐犯に仕立て上げる工作を思案してみるものの、そんな騒動を起こしたら齋賀グループにも迷惑がかかる。
この窮地をどう乗り切って逃げようかと悩んでいたところを、ナント──優吾に先手を打たれてしまったのだ。
「すみませんが、そこを通していただけますか。娘が急に癇癪を起こしてしまったようで……お騒がせして、大変申し訳ありません」
優吾はシレッと、わたしのことを『娘』だと告げた。
わたしは唖然とした表情で叔父の後頭部を見上げる。
(我が父上さまは、誠一パパだーーー!!!)
そう叫びたかったけれど、浪漫溢れる恐竜展の会場内を騒がすわけにはいかず、ここもグッと堪える。
変なところで、大人の分別が機能してしまう己を嘆きたい。
「この……策士め!」
わたしの吐き捨てるような呟きを耳にした優吾が、お仕置きだとばかりに、このお尻をピシッと叩く。
「サ行もろくに発音できなかったくせに、とんだ成長をしたもんだなぁ」
優吾の楽しそうな物言いに、わたしはグッと押し黙る。
コイツは、腐っても誠一パパの異母弟。
まさか、命を取られるような事態にはならないだろう。
それに、大切な仕事の最中であるのは間違いない。
多分、コイツが向かっているのは、エルとラシードの待つであろう常設展会場──地球館の何処かだ。
暫くおとなしくして、エルに会った瞬間保護してもらい、救護室にいる貴志に連絡を入れてもらおう。
貴志から兄や理香にこちらの現状を伝えてもらえば、すべてマルっと解決だ!
そう判断したわたしは観念しましたとばかりに、無駄な労力を費やすことを放棄した。
先程の優吾の科白によって、わたしがこの場で暴れたとしても『娘に手を焼く父親』の図に早変わりで、優吾の株だけが上がるのもなんとなく許せなかったのだ。
周囲を見渡すと、すれ違う親子やカップルは興味深そうに展示を見学している。
それぞれが手を繋いだり、腕組みをしたりと、とても仲睦まじく恐竜展を楽しんでいる様子が伝わってきた。
かく言うわたしは、進行方向に顔ではなくお尻がコンニチハしているという、非常に屈辱的な格好だ。
わたしは米俵よろしく──まるで物のように運ばれている最中。
今のわたしとはあまりに対照的な状況の彼等を非常に羨ましく思いながら、真っ直ぐ前を向く優吾に対して、先程からあった疑問をここぞとばかり、矢継ぎ早に口にする。
「優吾くんは、理香のこと……好きなの? どういう知り合いなの? どうして優理香って呼んでたの?」
──と。







