【真珠】理香と優吾
「ほうほう! 成る程ナルホド! 会わなかったこのたった二日の間に、これはまた面し……大変なことが起きていたのね」
理香よ。
お主は今、「面白い」と言いかけて、慌てて言い直したな!
少し恨みがましい目で、理香の色素の薄い瞳を見上げる。
「そんな目で見ないでよ。冗談よ、冗談!」
理香に問われると聞かれていないことまでも、思わず口をついてしまうこの状況を今後どうにかしないといけないようだ。
もし万が一、貴志とのランデブーの折に、まかり間違ってワクワクドキドキな展開に持ち込めたとしても、うっかり理香に知られる可能性もあるということは恐怖でしかない。
悲しい哉わたしの口は、理香の前だとついつい滑ってしまうのだ。
──己の詰めの甘さと、このお口が恨めしい。
思わず全く関係のない家族の話題までペラペラと話してしまい、来年には我が家に弟か妹が生まれると言う内輪ネタまで話してしまったではないか!
わたしがそんなことを考えていると、理香が膝を抱えて座り込み、わたしと目線を合わせるように首を倒した。
「真珠は本当に、みんなから大事にされてるのね。それって、とっても幸せなことよ。大切に見守ってくれる人達に、しっかり感謝しないとね──特に、親御さんによ」
美沙子ママと誠一パパの顔が浮かぶ。
感謝は──うん、している。
最近するようになった、と言う方が正しいかもしれない。
今朝、誠一パパと一緒に眠ったことで、父親に守られているという安心感に浸ったばかり。
わたしが頷くと、理香は嬉しそうに微笑んだ。
「そういえば、来年にはお子さんが生まれるってことは、ご両親……仲直りしたのね。それは、良かったわね」
本当にそう思う。
やはり、家族は仲良くしているのが一番良い。
特に子供の精神面においては、親の仲の良し悪しは多大な影響を与えると思うから。
「うん。本当に良かった。あ、でもね、ちょっとだけ昼メロ? が繰り広げられた時期があって、家族全員が精神的にキツかったこともあったんだ」
わたしの言葉に、理香がプッと吹き出す。
「仲が良いのはいいけど、子供としては親のそういったシーンを見せつけられるのは、ちょっとキツいものがあるわね」
──あれ?
わたしは理香の先程の言葉に違和感を覚え、首を傾げた。
「わたし……理香に、うちの両親の夫婦仲が悪かった話を、したこと……あったっけ?」
いや、家族仲について──ましてや夫婦仲についての話題を、わたしから出したことはない。
それとも、わたしが話したことを忘れているのだろうか?
「──大丈夫よ。アンタの記憶違いじゃないわ。昔ね……ちょっとだけ、耳にする機会があったのよ」
「へ!?」
月ヶ瀬グループの若夫婦が不仲だったのは、実は有名なことなのかと、再び混乱する。
家庭の事情が垂れ流し状態になっていたのかと焦りを覚えるけれど、そういったプライベートは尚更、情報統制されているはずだ。
だとしたら、理香はなぜ、そんな内輪情報を知っているのだろう。
わたしは不思議に思って理香の双眸を見つめたが、彼女はそれ以上、何も教えてはくれなかった。
理香が何を考えているのか分からないけれど、深く追及してもきっと本当のことは答えてはくれないような気がした。
「真珠、ごめんなさいね。詳しいことは話せないんだけど、その代わり──別の情報を教えてあげる」
「別の情報?」
わたしは眉間に皺を寄せ、理香の眼差しに宿る感情を確かめようとした。
けれど、理香の瞳が穏やかに澄んでいることが伝わっただけで、それ以上のことは何も分からない。
「真珠、それから……貴志──よぉく、聞いておきなさいよ。一度しか言わないから」
理香がわたしと貴志の名を呼び、声のトーンを落とした。
「真珠、アンタは自分じゃ全く気付いていないようだけど、何というか……アンタって、妙に人の心を魅了する所があるから、ちょっと心配なのよ」
理香はわたしの顔を見て、その後、貴志に同意を求める。
「そこは……俺も頭が痛いところではある」
貴志が溜め息をつきながら、その通りだ、と頷いた。
なにおう!?
貴志め、そんなことを思っていたのか?
あれ?
でも、ちょっと待って。
わたし、もしかして褒められて……いるのか?
んん!?
でも、今はそんなことを考えている場合ではない。
理香が、何か大切なことを話そうとしているのだから。
「あの人……今では一応、社会的地位のある謂わば公人に近い立場になっているから、表立って何か行動を起こす人間じゃあないとは思うんだけど……真珠──アンタ、齋賀優吾には本当に気をつけなさいよ」
この口振り。
やはり、理香は優吾を知っている──いや、知っていたのだ。
「アンタの叔父さんだってことも分かってる。それに、アンタがただの子供だったら絶対にこんなことは言わない。でも……用心はしてほしいの。齋賀優吾には裏の顔があるのよ。倫理も道徳も、もしかしたら心さえも持ち合わせていない人間なのかもしれない。だから、真珠を気に入られでもしたら、相当まずいの」
理香の言葉に貴志が身を乗り出す。
「齋賀優吾……か。ここのところ、鳴りを潜めているようだが……彼の良くない噂は昔、何度か耳にしたことがある。でも、理香──お前……何故そんなことを知っているんだ?」
貴志が怪訝な表情を浮かべ、理香に問うた。
理香は、遠い目をして咲也を見つめる。
先程から咲也は、兄と晴夏と会話をしつつも、理香を気にするような素振りを──いや、心配するような様子を見せているのだ。
彼等の常日頃とは違う様子には、わたしも、そしておそらく貴志も気づいている。
「わたしの『悪い噂』──耳にしたこと、あるんでしょう? 『何があったんだ』って、わたしが『天球』でアンタの部屋に忍び込んだ時に、言っていたものね」
理香に関する『悪い噂』?
──ああ、あれか!
確か、ここ数年、人が変わったように男漁りをしていたって言うやつか?
そう言えば、咲也が咲子に化けていた時、彼の語った言葉がずっと気になってはいたのだ。
『天ノ原』での茶話会直前、わたしが理香とどういった関係かと彼に質問した時、咲也はなんと答えた?
そう──『悪い噂もあるが、理香は謂わば被害者』だと、咲也はこぼしていたのだ。
それから、もうひとつ──気になっていたこともある。
理香が昼寝時にベッドで語った『絶望』の理由──理香は話すつもりがないようだったので、あの時もあえて訊ねはしなかったけれど、わたしの中で、その話も咲也の言葉と同様、妙に引っかかっていたのだ。
「あの噂ね、あの男の──齋賀優吾の……差し金だったの。柊女史には謝罪する時に事実を伝えたんだけど、鷹司社長──晴夏の父親の件に関しても……よ。詳しいことは話せないけど、齋賀優吾は──危険な男なの。それは、間違いないわ」
理香はそれだけ言うと立ち上がり、スカートを叩いて皺を伸ばす。
「もう二度と、会わないと思っていたんだけど……まさかこんな所で再会するとは思いもよらなかったわ。しかも、アンタ達の親類だったとはね」
空を見上げて、太陽に手を伸ばすように背伸びをした理香は、わたしと貴志の様子を確認したあと、ふふっと笑い声を洩らした。
「あらやだ。色々と話しすぎちゃったみたいね。さて! わたしはそろそろ、咲ちゃんのところに戻るわ。貴志は真珠と一緒に座っていたら? ちょっと、お酒くさいわよ? 昨夜、もしかして、かなり飲んだんじゃない?」
理香は明るい笑顔を見せると、先ほどの神妙さを微塵も感じさせない朗らかな声で笑った。
「あとは、二人でごゆっくり──それから、今言ったこと……忘れないで。一応、忠告はしたわよ?」
最後に念押しするように確認をとられ、わたしは理香の目を見つめ、大丈夫だという意味を込めて首肯した。
…
「貴志──理香はああ言ったけど……どう思う?」
わたしは麦茶を飲みながら、貴志を見上げる。
「お前はどう思うんだ? 何か思うところがあるから、俺に訊ねているんだろう?」
貴志の言葉で、彼もわたしと同じ考えなのかもしれないと──予想がつく。
「勿論、わたし自身も注意はするけど──優吾がわたしに対して、何かすることは、多分……ううん、絶対に無いよ」
わたしが断言すると、貴志が「根拠は?」と口に出す。
貴志も慌てている様子はなく、念の為確認をとっているという態度だ。
「根拠は、誠一パパ。優吾は態度にこそ出さないけど、重度のブラコンなの。だから、わたしと穂高兄さまに、何かするとは思えない。それに──優吾が興味を持っているのは……」
わたしは静かに理香を視界に入れた。
貴志が「ここにもいたか」と意味のわからない言葉を洩らして、溜め息をつく。
「気づかないのは本人ばかり……か」
貴志とわたしは理香の姿を見つめる。
彼女の楽しそうな話し声がここまで届き、咲也をおちょくっている様子が伝わって来た。
あれ?
ちょっと待って?
──わたしはこの時やっと、重大な事実に気づいた。
いや、気づいてしまった──と言う方が正しいのかもしれない。
本来であれば、二度と会わなかったであろう理香と優吾。
でも、彼等は再会してしまった──わたしを間に挟んで……。
優吾の様子は、理香に会えたことをかなり喜んでいるように見えた。
理香にとっては、思い出したくもない『悪い男』なのかもしれないが、優吾にとっては──その逆のようだ。
どうしよう……。
もしかしたらわたしは、理香と優吾の本来あるべきはずだった運命を、変えてしまう一歩を選択してしまったのだろうか。
そんな予感がして──とてつもなく、不安になった。







