【真珠】悪い虫?
ラシードとエル、それから優吾が突然現れ、そして嵐のように去って行った。
「ねえ、今って何時くらいかな?」
加奈ちゃん達との待ち合わせの時刻が気になり、貴志に時計を確認をしてもらうと、約束の時間までにはまだもう少し余裕があることが分かった。
だいぶ気温も上がってきた。
貴志がわたしのリュックサックの蓋を開けて、水筒を取り出す。
「少し水分補給をしておいたほうがいい。穂高──晴夏の水筒を出してやってくれ」
貴志に促され、子供三人はそれぞれのリュックサックから取り出した水筒で、喉を潤すことになった。
中身は、木嶋さんが準備してくれた麦茶だ。
魔法瓶の中で氷がぶつかる音がカランカランと響き、その音色が清涼感を誘う。
冷たい飲料が喉を通り抜ける心地良さにホッと一息ついたところ、咲也が貴志の肩を叩いた。
「貴志、ちょっと悪い。電話をかけてくる。少し離れるけどいいか?」
咲也から確認され、貴志が「問題ない」と伝えている。
サングラスをして素顔を隠している咲也だが、そのオーラは隠せないらしく、やはりコイツも相当目立つ。
東京国立博物館方面に歩いていく人が、咲也の顔を確認しては一瞬立ち止まる素振りを見せ「綾さま? いや、まさかね」と呟いては去っていく。
理香に散々文句を言われていたけれど「堂々としていた方が、返って気づかれないんだよ。分かってないな」と返していたので、実際そういうものなのかもしれない。
「理香、いいな? 連絡を入れるぞ。聞いてるのか? おい、理香!」
咲也は、何かを理香に確認しているようだが、彼女はスマートフォンを取り出して先ほどから何かを必死に検索中だ。
「咲ちゃん、うるさい。ちょっと、今それどころじゃないのよ。なんだかよく分からないけど、ご自由にどうぞ?」
咲也が軽く溜め息をついて、電話をかけるために公園側の植え込みに移動していった。
咲也はスマートフォンを取り出すと、早速何処かに連絡を入れているようだ。
離れているので詳しいことは分からないが、風に乗って微かに話し声が届いてくる。
「……アイツが、出た! いや、湧いたというか……」
電話の相手は誰だろう?
まるでゴキ……いや、蛆む……──皆まで言うのも恐ろしい言葉が連想され、ハッとする。
もしかして、優吾のことを話しているのだろうか?
咲也の話題の主が優吾であるならば、なんと的を射た表現なのだろうと感心してしまう。
理香に集ろうとする虫について報告しているのだとすれば、電話の相手はおそらく加山ではないかと思われる。
咲也は本日来ることのできなかった加山の代わりに、理香の周りに現れた『悪い虫』を駆除する係になっているのかもしれない。
そういえば今日、加山は家庭教師をしている女子高生と一緒に参考書を探しに行くことになっていたはず。
こんなに日に限って、何故来ていないのだ──と、思わなくもないが、事前に約束をしていたことなので、そこは仕方がない。
それよりも──
やはり、咲也と理香は、優吾と面識があったのだろうか?
興味が湧いたので確認を取ろうとしたところ、理香の「嘘!」という声にビクリと跳ね上がり、意識はそちらを向いてしまう。
「嘘……いや、本当だった。やだ、セーフ! 嗚呼……寝なくてよかった!」
理香は百面相をし、最後にとんでもない科白を放ったのち、ホッと安堵の表情を見せた。
彼女の言葉に、貴志が非常に怪訝な表情を見せる。
「理香……お前は一体、何の話をしているんだ?」
貴志に声をかけられた理香は現実に戻ってきたようで、少し引きつった笑いを浮かべた。
「あははは……、色々あったのよ。イロイロと! まあ、結果的にはあんたも巻き込んじゃったんだけど。あの時は、その……ありがとう。子供の前で話す内容じゃないから、これ以上は詮索無用よ。それとも、わたしのプライベートが気になるのかしら?」
理香が貴志を見上げて悪戯な表情を覗かせ、コロコロと楽しそうに笑う。
貴志は揶揄われていることが分かっているので、渋い表情で溜め息だ。
わたしが右手をサッと上げて「わたし、気になります!」と宣言しようとした瞬間、咲也から声をかけられ勢いを削がれてしまう。
「お前、この暑さで疲れてないか? 理香と一緒に、少し木陰で休んでおいたらどうだ? ほれ、俺と貴志で並んでおくから」
咲也が目敏い。
──実は少しだけ疲れを感じているのは間違いない。
伊佐子時代、早朝から開館前の列に並んでいた時には、まったく感じなかった疲労感が既に出始めているのだ。
伊佐子の子供の頃と比べると、真珠の身体は体力が格段に少ないようだ。それとも、この猛暑が原因なのだろうか。
いや、もしかしたら、ラシードの登場に驚き、更には優吾の瘴気にも当てられて、わたしの精気が吸い取られてしまったのかもしれない。
どうしようかと悩んでいたところ、貴志が後ろからフワリと抱き上げてくれた。
「木陰に行って休んでもいいし、こうやって抱き上げているからこのまま少し眠ってもいいぞ? 咲也が言うように、なんだか……本当に疲れているように見える」
心身共に疲弊していたけれど、折角の先頭──このままここにいたいような気もする。
でも、迷惑をかけるわけにはいかないことも理解しているので、小さく溜め息を落とし、木陰で休む決断をくだす。
兄と晴夏と咲也が列に残り、貴志がわたしを抱き上げたまま植え込みに運んでくれた。理香も勿論一緒だ。
貴志が列に戻ろうとしたところ、理香が彼を引き止める。
「ちょっと、二人とも! さっきの王子さまたちと、一体何があったの? それに貴志と婚約って? その話も詳しく聞きたいわ。さあ! 洗いざらい吐いてもらいましょうか?」
理香は、輝くばかりの笑顔を見せた。
貴志は無駄な足掻きと知りながらも、逃亡を試みたようだ──なんと、あろうことか、わたしひとりを残して。
だが、理香に服をむんずと掴まれ、彼の逃亡劇は始まる前に呆気なく幕を降ろすこととなった。
これは根掘り葉掘り聞かれ、いつの間にか全てを暴露するパターンの再来なのだな、とわたしは完全に諦めの境地に入った。
【裏話】
加山ンが買い物に出ている女子高生とは、『氷の花がとけるまで』で、何故か一番人気&最推しの名をほしいままにする須藤新太の姉・真由であります。
こんなお姉さん欲しい!とたくさんの感想をいただき、真由姉人気に嬉しい驚きであります(´∀`*)
『氷の花がとけるまで』は文芸や純文学寄りのヒューマンドラマになります。(晴夏が準主人公の物語)
リンクは下部にございますので、少年の心の成長や音楽に関する物語がお好みでしたら、楽しんでいただけるかと思います。







