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【幕間・真珠】真実を知ったとき


 ギュッと目を閉じ、全身に緊張が走った。


 思考回路も停止状態。


 瞼を閉じてはいるが、貴志がわたしを見つめていることだけは、肌からも伝わってくる。



 期待半分、後悔半分と言う気持ちで、彼が次に出る行動を待っていたところ──ビシッと額を弾かれた。



「へ? 何?」



 額に手を当て、恐る恐る瞼を片方だけ開ける。

 上から見下ろす貴志と視線が交わった。



 潤んだ瞳をしているが、それはお酒を飲んだ故か?

 どうやら彼の意識は、しっかりしているようだ──と、言うか、何故か眉間に皺を寄せている。


 機嫌はあまり……良くない模様。



「この阿呆が。何故そこで目を閉じるんだ? 少しは抵抗したり、何か自衛手段を取らないで……お前はこの先、どうするんだ!?」



 貴志が、激しくご立腹だ。



 訳が分からず首を傾げると、彼は呆れた顔を見せ、わたしの鼻先を摘んでグイグイと引っ張る。



 ──地味に痛い。


 貴志は、苛立ちを隠しもせず、口を開く。



「説教は後回しだ。真珠、もう一度目を閉じろ」



 先ほどは、何故目を閉じるのかと責められた筈なのに、今度は目を閉じろと正反対なことを言われ、わたしは困惑を深めた。



 布団に仰向けに倒されたまま、目だけで貴志の動きを追っていたところ、彼は畳に転がったアトマイザーに手を伸ばし、その蓋を外しているようだ。


 右手に瓶を持った貴志はわたしを見下ろしながら、早く目を閉じろと言わんばかりに顎をクイッと動かす。


 このままでは早々にお小言が始まるような気がして、わたしは慌てて──渋々ながらではあるが、その指示に従った。


「念の為だ。『聖水』をかけるぞ」


 彼の手により、シュッと吹きかけられたスプレーは、とても落ち着く香りがした。


「え……と、あのですね。貴志? お酒、飲んでいたんだよね? お祖父さまと」


 キャップを嵌めながら、貴志は「ああ」と頷く。


 わたしは布団の上から、斜め上に見える座卓に置かれたビールの空き缶を確認する。


「──今、わたしの姿は、どう見える?」


 貴志は『聖水』の瓶を卓上に置き、わたしの近くに胡座(あぐら)をかいて座った。


「聖水をかける以前は、(おぼろ)げに大人の姿になっていた──が、今は子供の姿だ」


「──朧げに?」


 わたしは、どう言うことだろうと確認する。



「お前と同じ家にいるなら飲酒しないのがベストだが、お前も既に就寝していたことだし、今日は父さんの誘いに付き合うべきだと判断した──」


「うん。それはさっき気づいた。お祖父さまに誘われたんだろうなって……」


「だから、万が一を考えて、念の為にビールを飲む前、少量の日本酒を飲んでおいたんだ──予防方法も分かっているなら、万全の対策を取るのは当然のこと── 一種類の酒だけを飲むような詰めの甘いことはしない……だが──」


 そこで、貴志は曲げた人差し指を唇に当て、何事かを思案しているようだった。


「多少なりともお前の姿が変わって見えたとなると……時間が経過して、先に飲んでいた日本酒の酒精が消失し始めていた、と考えるのが正しいのかもしれないな──」


 貴志の考察に、わたしは頷いた。


「あの……色々と考えてくれて、ありがとう。それから……誠一パパに売り渡されたと思って、跳びかかってごめんなさい」


 勘違いも甚だしい己の言動に加え、貴志の制止も聞かずに馬乗りになったことを、消え入りそうなほど小さくなって反省する。


「いや、そのことは気にしていない。その後のことは、俺も謝る必要がある……お前を押し倒して──もしもの場合、お前がどんな対応をするのか、試した俺も……悪かった。だがな、自分で仕掛けておいてこんなことを言いたくはないが、もっと暴れるなり抵抗するなりしてくれ──頼むから」


 貴志はそこで言葉を止め、わたしの顔をまじまじと見つめた。


「貴志? どうしたの?」


 わたしが首を傾げて見上げると、貴志は軽い溜め息をつく。


「あともうひとつ、俺が口を出すことではないことは承知しているが……お前はもう少し、義兄さんに歩み寄ることはできないのか? 俺が今回の一連の話をした時に、かなり心を痛めて……お前をどうしたら傷つけることなく守れるのかと、必死に対策を練っていたぞ? 立派な父親だと思うがな……」



 貴志の言葉に、わたしは(うつむ)いた。


「うん……それは、分かってる」


 実の父親だと理解もしているし、先ほど腕枕をしてもらった誠一パパの腕の中は、とても居心地が良くて、そして──懐かしい匂いがした。



 静かになってしまったわたしを心配したのか、貴志がわたしの顔を覗き込む。



「何か話があって、ここに来たんだろう? 話し合いの前に俺が出した『宿題』の答え合わせか? それとも、昼間の……穂高の件か?」



 宿題の答え合わせ──そういえば出された気がするが、気づいたら誠一パパと一緒に寝ていたので、まったく考えていなかった。


「宿題は、えーと……」


 手を胸の前でモジモジさせながら、出された宿題を終えていなかったことを告げる。


「その……気づいたら誠一パパと寝ていて、まったく考えていなかった。ごめんなさい」


 先ほどから、わたしは貴志に謝罪してばかりだ。

 なんとなく気まずくて、目線をツイと逸らしてしまう。


 貴志はわたしの態度を見て、苦笑しているようだ。


「別に急ぐようなことではないから、問題ない。それよりも……穂高の件だが、何か言われたのか?」


 わたしはコクリと頷いた。



「多分、お兄さまは、わたしの秘密に気づき始めていると思う」



 貴志に遠慮がちに伝えたところ──



「だろうな。そろそろ何かを勘付いてもおかしくない頃だろう」



 と、さして驚きもせず、さもありなんという態度を見せる。





「お前、『天球』で晴夏が寝ている時に『椎葉(しいば)伊佐子』の名前を口にしただろう?」



「へ?」


 ──覚えていない。


 いや、待て。

 そう言えば……晴夏の昼寝中に、そんなことを呟いた、気もする。


「ハルは起きていた……の?」


 貴志は少し考えるような素振りを見せる。


「晴夏本人は、夢だと思っていたようだがな。お前が教会から逃走して捕獲するまでの間に、その話題が出ている。以前もお前は、穂高の前で『伊佐子』の名を出しているからな、穂高(あいつ)自身も思うところがあったんだろう」


 いずれ、兄には話をするつもりでいる。

 けれど、わたしは真珠であると同時に『伊佐子』の記憶を色濃く引き継いでいる。



「本当のことを話したら、お兄さまは、わたしのことをどう思うんだろう……」



 真実を伝えた時、兄はわたしのことを今まで通り『妹』として見てくれるのだろうか。



 もし、否定されたら?

 あの優しい笑顔が消えてしまったら?


 想像するだけで、身体が震える。

 とてつもなく、恐ろしい。



 その不安を貴志に伝えると、彼は事もなげに笑う。



「そんな心配は必要ない。あいつは、何があってもお前の味方だ」



 何故、貴志にそんな事が分かるのだろう?


 その疑問が顔に表れていたのかもしれない。


 貴志は少し複雑な表情を見せると、わたしから視線を逸らし、静かに言葉を紡ぎはじめる。



「同じ想いを……いや、同じ……男同士だからな……お前が心配するような事は、何ひとつない──それだけは断言できる」



 安心させるような口調で語った貴志は、この話題はここまでだと言うように立ち上がり、ビールの空き缶をお盆の上にのせた。



 空き缶を捨てるついでに水のボトルを持ってくる、そう言って、彼は一度、客間から出て行った。



 襖を開けて廊下に出る直前、貴志が独り言のように何かを呟いた気がした。



「真実を知った時、あいつがどう出るのか……正直言うと、気が気じゃない」



 その言葉は、この耳には届かなかった。


 思い詰めたような声色が気にかかり、けれど、何故か質問してはいけないような気持ちも同時に生まれ──黙って、その背中を見送った。



 貴志は「心配ない」と口にする。

 でも、わたしは怖かった。

 

 兄から──伊佐子の件に触れられることを、怖いと感じたのだ。



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