【閑話・酒田加奈子】『紅子タン』と『チェロ王子』と『美幼女』と 前編
久々の三人娘のカナちゃん回になります。
「『緊急事態発生中! 至急ニュース番組をつけるのだ。真珠ちゃんの秘密が……おっと誰か来たようだ。うわ待てこのやめ(ry』?」
わたしは瑠璃からのメッセージを理解しようと、頭の中を整理する。
どういうことだろう、と首を傾げつつ、食後のデザートに出された梨をフォークで刺した。
ニュース番組を見ろということは分かったので、両親と兄に「ニュースつけてもいい?」と許可をとり、テレビをつける。
トップニュースの時間帯のようで、今日のトピックが並び、その中の文字列に目が引きつけられた。
『星川リゾート』月ヶ瀬グループ傘下へ
先日の旅行で滞在した『紅葉』は、星川リゾート系列の高級旅館だ。
良くしてくれたオーナー、葛城さんの素敵なイケメン顔が思い浮かぶ。
年の離れた美人兄妹だと思っていた真珠ちゃんと葛城さんは、本当の兄妹ではなかった。
真珠ちゃんは葛城さんの親類だと言い、名字は『月ヶ瀬』と名乗っていた筈だ。
どこかで聞いたことがある名字だな、とあの時思ったが、それもそのはず──『月ヶ瀬』と言えば旧財閥系のひとつ──学校の歴史の教科書にも載っている、日本を代表する巨大企業体の名称だ。
ちなみにわたしの父も、関連会社で働いていたりする。
「『星川リゾート』と『月ヶ瀬グループ』って、実は親戚関係だったりするの?」
ニュースに見入っていた父親に確認したつもりだったけれど、何故か兄が会話に割り込み答えてくれた。
「そうらしいぞ。俺が仕入れた情報によると、『月ヶ瀬』の会長夫人が『星川』出身らしい」
兄が詳しい情報を知っていることに驚きつつも、お礼を伝える。
「ありがとう。そうなんだね──でも、お兄ちゃん、どうしてそんなこと知っているの?」
わたしの質問に、兄は涙目になる。
「最近『俺の紅子タン』と噂になっている『チェロ王子』──彼奴を同志と共に調べ上げたところ、星川リゾートの御曹司だと判明した。しかも、月ヶ瀬グループの縁者であることも突き止めた! ぐぬぬ……顔も良くて金持ちで、音楽をしているからと紅子タンに伴奏をさせ──挙句の果てに、お……大人の関係を強要するとはっ 彼奴は金に物を言わせて、嫌がる『紅子タン』を手籠めにしたに違いないっ 絶許!!!」
兄の咆哮があがった。
父と母は、やれやれという表情を兄に向け「なんてことを言っているの」と窘めた後、ニュースに目を移す。
大学三年生の兄は、普段ネット上の眉唾物の噂をよく拾ってくる。
真偽の程は定かではないものが多いけれど、『紅葉』で真珠ちゃんから聞いた話を重ねると、今日の兄の話はだいぶ真実に近いのではないかな、という気がした。
そして、先ほどから『俺の紅子タン』と恥ずかしげもなく連呼する兄は、ピアニスト柊紅子の大ファンだ。
あの年齢不詳の妖艶美女を、『俺の紅子タン』呼びする件はスルースキルを発揮して聞かなかったことにしよう。
「そっかぁ──正真正銘のお嬢様だったんだ」
わたしは真珠ちゃんの整った顔立ちと愛くるしい笑顔、それから美しい所作を思い出し、その事実に納得した。
普段とは異なり、兄の情報を素直に受け入れたわたしを気味悪く思ったのか、兄が怪訝な顔を見せる。
常日頃、兄からもたらされるガセ情報に振り回された過去を持つわたしは、その情報網をまったく信用していない。そして、兄もそのことを理解しているのだ。
だけど、今回に限ってではあるが、わたしがすんなりと彼の話を受け入れたので、妹の態度を怪しんでいるようだ。
「加奈が、俺の話を否定しない……だ、と? 明日、槍が降ったらどうしてくれるんだ!?」
もう、そんなこと知らないよ──と思ったが、アホなことを抜かす兄に向けて、残念なモノを見る目を送る。
「詳しくは知らないけど、お兄ちゃんの『紅子タン』と『チェロ王子』は無関係なんじゃないかな? そんなことを言ったら葛城さんに失礼だよ」
いつの間に話を聞いていたのか、わたしの言葉に父が笑いながら、うんうんと頷く。
「なんだ? 星川系列の経営者の名字なんて、誰でも知っているようなことじゃないぞ。加奈も勉強をしているんだな」
だが、兄が父に即座に反論する。
「親父、それは多分違うぜ。加奈がそんなことに興味を持つとは思えない。どうせ例の動画で聞いたんだろ? それよりも、加奈──お前は『チェロ王子』の、世を欺くあの甘いマスクに騙されているんだ! 目を覚ませ! 彼奴は女を誑かす大悪党に違いない!」
そう断言した後、「俺の紅子タンが!」と言って天井を見上げる。
兄の葛城さんに対する散々な言いようは、お世話になった身として、とても悲しくなる。しかも、完全な濡れ衣のような気がしてならない。
万が一、いや、億が一──それが事実だったとしても、見た目年齢的に言って『紅子タン』ではなく、葛城さんの方が弄ばれる側ではないかとも思う。
うちの愚兄がごめんなさい──と、わたしは葛城さんに対して、心の中で誠心誠意謝った。
「大悪党なんて、絶対にそんなことないよ。葛城さんはすごく礼儀正しくて、気遣いのできる素敵な人だったよ?」
わたしが葛城さんを庇ったのが気に入らなかったのか、兄が噛みついてくる。
「お前にどうしてそんなことが分かるんだ? お兄ちゃんは、お前のお花畑脳が心配だ!」
それはこちらのセリフなんだからね、と思いながら溜め息をつく。
「この前、瑠璃と未知留と一緒に行った『紅葉』でお世話になったオーナーさんの話をしたでしょう? それが葛城さんなの! 本当にスッゴイ恩人なんだから、変なこと言わないでよ」
今度は、皆のコップに麦茶のお代わりを注いでいた母の動きが止まり、わたしに向かって勢いよく食いついてきた。
「あらやだ! じゃあ、火曜日に瑠璃ちゃんたちと一緒に会うって言ってたオーナーさんって、あのイケメン王子クンなの? 加奈ちゃん、なかなかやるわね!」
母の言葉に、兄がわたしの顔を食い入るように見つめた後、突然吠えた。
「なんだって? デートなのか!? お兄ちゃんは、そんなこと一言も聞いてないぞ」
だって言ってないもん──とは口に出さず、「何故、お兄ちゃんの前でバラすのか?」と、母を恨みがましく見つめる。
この前の旅行に出る時も、兄は「女子三人旅なんて危ない!」と、ごねて面倒くさかったことを思い出す。
でも、デート……?
デートかぁ。
うん、デートだ!──相手は勿論、可愛い可愛い『わたしの真珠ちゃん』!
そう思ったところで、『俺の紅子タン』呼びをする兄と同じ発想をしてしまった自分に愕然となる。
やはりわたしにも、兄と同じ血が流れているらしい。
自分自身が途方もなく残念な存在に思えてしまい、わたしは再び深い溜め息をついた。
「デートの相手は小さい女の子。葛城さんは真珠ちゃんの保護者で引率してくれるだけ。瑠璃と未知留も一緒なの」
わたしの言葉に、兄がクワッと目を見開いた。
「真珠ちゃん!? それは彼奴と動画で事故チュウをした、あの『美幼女』か!?」
そう言えば、あの動画で葛城さんが「真珠!」と必死で叫んでいたっけ──兄もあれを見ていたようだ。
まあ、紅子タンが出ている物なら、すべてチェック済みでもおかしくはないか。
「その美幼女っていうの止めてよ。お兄ちゃんが言うと、ちょっと如何わしく聞こえるのは、どうしてなのかな?」
兄はわたしの言葉を既に聞いていないようで、遠い目をする。自分の宇宙に、こもってしまったようだ。
「あの美幼女は危険だ」
その呟きに、わたしは首を傾げた。







