【真珠】虜囚
身の内に宿る熱は節度を知らず、チリチリと身を焦がすような燻りが烈火に姿を変えようとする。
焦りを覚えたわたしは、相当慌てていたのだろう。
その様子を目にしたエルがクスリと笑った。
わたしの頬に触れた彼の掌が、ゆっくりと肌をなぞるように移動する──その指先が首筋を辿り、鎖骨から喉元へ渡り、胸の谷間へと落ちていく。
夢だと分かっているのだが、これが自分でも気づかなかった望みなのかと思うとクラリと眩暈を覚えた。
貴志に申し訳がたたないと思っているのに、一人では立つこともできず、腰に回されたエルの腕に抱きかかえられたまま動くことができない。
救いがあるとすれば、聖布越しのため、直接肌に触れられているわけではないということだけだ。
「夢見に現れたお前は──私を求めては美しい声で啼いていた」
肌の上を滑り落ちたエルの指先が、胸の中心を指してピタリと止まる。
『泣く』?
『鳴く』?
わたしはハッと息を呑む。
彼は『啼く』と言ったのだ──つまりそれは、所謂大人の『よがり声』という意味ではないだろうか。
いくら夢の中とはいえ、落ち着け、わたし!
ちょっと言動が行き過ぎだ。
自分の心の中が分からなくなる。
「まずい。わたしの夢が破廉恥街道まっしぐらだ。貴志に顔向けできん」
わたしはエルに抱きかかえられながら呻くと、己の湧いた頭に絶望感を覚えながら溜め息をつく。
「夢?」
エルが首を傾げる。
「そう。夢──わたしは欲求不満なのか、とんでもない夢を見ているのだけはわかった。何故かその相手がエルで、非常に困惑している」
この混乱した心をどうにか落ち着けなくてはいけないと──エルとの会話を試みる。
彼は不思議そうな表情をつくると、更に首を傾けた。
「ああ、そうか……お前は今、昼寝でもしているのか? だが、これは夢であって、夢ではない。誓約を結んだばかりだからな、繋がりが安定するまでは、こうやって互いの深層部分に迷い込むこともあるのだろう。お前は今──私の『意識の中』にいる。先ほどから気にしているようだが──これはお前の願望が見せたものではない──安心しろ」
訳が分からず、わたしも首を傾げる。
エルの説明によると、これはわたしの願望が作り出した夢ではなく、お互いの意識が太陽と月に守られた空間で会話をしているらしい。
どちらかというと、今はわたしがエルの意識の中に入り込んでいる状態だと言っている。
よく分からないが、自分の心の奥に眠る浅ましい欲望が見せた夢ではないと分かり、安堵の息を洩らした。
「聖布越しとはいえ、此処ではお前に触れても、怯えることはないのだな」
エルは苦し気な表情で、わたしを黒い薄絹の上から抱きしめる。
彼が懐かしんでいるのは、夢見に現れたというわたし?
その眼差しから伝わるのは、想いを無理にでも抑え込もうとする心の葛藤。
彼の物言いから察するに、その夢見の中で、彼はわたしと身体を重ね、情を交わしたのだろう。
身に覚えはないが、太陽神と月の女神が見せた悪戯──そう思うしかない。
今もエルは、それを望んでいるのだろうか?
実際の身体ではないから、本当の意味で傷つけられることはない。
けれど、たとえどんなに燻る熱を宿していたとしても、この身体を開くこともできない。
「怖がらなくてもいい。お前は貴志のものだと分かっている。それを知った今──現実とは乖離した空間とはいえ、お前が望まぬ限り……私の意思では何もしない」
これだけ触れ合っていても、エルに対して怖いという思いは湧かない。
──それはやはり実体のないものだから?
戸惑うわたしの表情を受けて、エルの瞳が揺れる。
彼は目を閉じて、顔を左右に振ると、吐息を洩らした。
「詮無いことを言ったな」
瞼を開けたエルは、その瞳に映す感情の色を変える。
苦しげな表情を隠すよう、雰囲気をガラリと変化させた彼は僅かに口角を上げた。
その姿は、まるで無理矢理笑おうとしているようにみえる。
「ああ、だが、お前が望むのならは、昨日喚いていた件も──今の姿であれば、教えてやることも吝かではない」
わたしは咄嗟に彼の頬を両手で包み、その瞳を見つめた。
「無理して笑わないで。わたしを怖がらせないように、わざとそんな言い方をしているのは……分かるよ……」
エルが驚いたように瞳を見開くと同時に、わたしは彼の右手を掬い上げ、自らの胸の膨らみに引き寄せた。
その掌がわたしの胸の頂を覆うと、彼は慌てて腕を引き戻そうとする。
けれど、エルのその手の上からわたしは両手を重ね、離れようとする彼の動きを阻止した。
感じてほしかった。
──わたしの心音を。
「大丈夫。わたしは怖がっていないよ。その証拠に、ゆっくりと脈打つ鼓動が伝わるでしょう?」
エルの掌からぬくもりが伝わる。
彼の腕を強く押さえ込んでいるため、柔らかな白い丘がその形を変える。
「お前は、自分がどれほどの魅力を持っているのか……まったく分かっていない。頼むから──他の人間に、こんな行動をとってくれるな。劣情を抱えた男の力には、女の身では適わない。何かあったらと思うと……」
エルの掌が震えた。
「わたしね──人を見る目はあると思うよ? エルは、わたしの心を踏みにじるような行動には出ない。だから、直接触れて確かめてほしかった。知って、安心してもらいたかったの」
穏やかな笑顔を彼に向け、わたしは重ねた掌に加えた力を抜く。
エルの手は今度は逃げず、押し付けられた膨らみから双丘の谷間へ滑っていく。
「真珠、鼓動は、ここでないと伝わらない」
わたしの心音を辿るよう、確かめながらゆっくりと胸の中心へと、その掌は移動していく。
その間、わたしの胸は、呼吸に合わせて幾度となく上下を繰り返し、彼の手の動きを静かに受け入れた。
わたしの心拍数をその掌で確かめたエルは、困ったような表情を見せて微笑んだ。
「お前の行動には、いつも振り回されてばかりだ。こんなにも私の心を掻き乱す女は──やはりお前しかいない」
褒められているのか貶されているのか分からない科白が、エルの口から飛び出した。
わたしはどう反応して良いのか分からず、彼の次の言葉を待つ。
エルは額に手を当てると、天を仰いで目を閉じた。
肺の中の空気をすべて吐き切り、深く息を吸った後、開いた瞼の下からは、意思を持った眼差しが浮かび上がる。
「貴志には謝らねばならない──お前を諦めるための儀式だった……あの時間ですべてを終わりにして、お前を守ることに徹するつもりだった──けれど、どうあっても……お前を諦めることは……できそうもない……」
その言葉には、懺悔するかのような音色が宿っていた。
「共に時間を過ごすほど、この心は囚われていく。まるで私は、お前の虜囚だ……」
次話、R15となります。
苦手な方や嫌悪感を覚える方は、読まずに飛ばしてくださいね。







