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【真珠】美沙子とラジーン


 寝たいのに──眠れない。


 寝不足で思考がネガティブに偏りやすくなっているため、晴夏(はるか)翔平(しょうへい)が遊びに来る前に少しでも休みたい。

 そう思っていたのだが、母と祖母の慌てぶりが気になって、神経が妙に冴えてしまうのだ。


 それに、穂高(ほたか)兄さまと木嶋(きじま)さんはどこへ行ってしまったのだろう。

 姿かたちも見当たらない。


 わたしは貴志に向かって手を伸ばした。


「貴志、抱っこ……」


 子供がねだるように、抱き上げてほしいと伝える。


 貴志は、一瞬呆けたような表情をみせたけれど、次の瞬間には微かな笑みを口に()かせた。


「甘えて……子供のふりか?」


 彼はわたしをそっと抱き上げると、その腕で優しく包んでくれる。


 貴志の首に腕をまわし、顔をコテリと彼の肩にのせると身体が密着し、お互いの心音がトクリトクリと伝わった。

 それだけで安心感を得られ、更に身を寄せたくなるのが不思議だ。



「今は甘えたい気分なの。……ねえ、貴志──お祖母さまは、お祖父さまと電話をしているのは分かるんだけど、お母さまは何をしているの?」



 母はメッセージを打った後、スマートフォンの画面をずっと見つめている。

 父からの折り返しの電話を待っているのかと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。


「ラジーン……あの子ったら、今日に限って反応が遅いわ。何をしているの?」


  ──と、呟いている声を先程耳にしたからだ。




「ラジーンて、誰?」


 先頭にラのつく呼び名──連想するのは、アルサラーム王族の敬称を兼ね、太陽神シェ・ラの一部を冠した特別な呼称。



「……ラジーン?」


 貴志が(いぶか)し気な表情を見せた。


 旧知の人物なのだろうか。


「貴志が王宮でラフィーネ王女と遊んだ時に、会ったことのある人?」


「いや……記憶にない。だが、その名は、エルの年の離れた実兄 ──アルサラームの王太子と同名だ」


 は!?


 わたしは唖然とした表情で、弾かれたように貴志の顔を見つめる。


「お母さまって、王太子殿下とメル友なの!? 知ってた?」


 貴志は首を左右に振る。



 王宮に滞在したと言っていた貴志。

 そうだ。彼は家族で遊びに行ったと教えてくれたのだ。

 一人でアルサラームに遊びに行ったわけではなく、母も同じ王宮内に滞在していたはずだ。


 彼女がアルサラーム王族の誰かと懇意にしていても、何らおかしいことが無いことに、今更ながら気づく。



「俺も詳しいことは知らないが、ラジーンといえば、シェ・ラ・ジーン王太子殿下しか思い浮かばない」


 貴志がその科白を言い終わるかどうかというタイミングで、母のスマートフォンが振動を始めた。


 飛びつくように着信ボタンをスワイプした彼女は、電話に素早く応答する。


 話の内容を聞こうと耳を澄ませたが、何を言っているのかよく分からない。


 母はアルサラーム語と時々英語、たまに別の言語の入り混じった言葉で話していて、本人も慌てているのか自分の話す言葉が統一されていないことに、まったく気づいていないようだ。


「お母さまって、外国語話せたんだ。それも数か国語」


 初めて日本語以外の言語を操る母を見て、わたしは少なからず衝撃を受けている。


「美沙は……思い込みが激しくて短慮なところはあるが、言語能力だけは昔からずば抜けて高かった」


 なんと!

 まるで穂高兄さまのようではないか──言語能力に関してだけは。


 お兄さまの言語学習能力の高さは、母からの遺伝もあるのかもしれない。



 何を話しているのかまったく分からないが、声のトーンでその感情が伝わってくる。


 興奮するように話をしていた母が、途中から唐突に静かになり、神妙な表情を作り出した。


 母の声音が落ち着いたものに変わると、紡がれる言葉がわたしでも理解できる言語になる。



「そう……それが、うちの娘だったという訳ね。教皇聖下の行動も、それで納得ができた。

 え? ああ、頼まれたものは昨日──父が国王陛下と会食した時に渡っているはずよ。ラジェイド陛下が帰国されたらご本人から直接受け取って。かなり可愛いわよ。

 そうね、そのうちね。ええ、家族と一緒にアルサラームに遊びに行くわ。穂高が赤ちゃんの頃に行ったきりだものね。ええ、その時は、もちろん真珠も──」



 その後、アルサラームの言葉に変わり、しばらく話し込んでから、スマートフォン画面の通話終了ボタンに触れたようだ。



 母は目を閉じると、深く息を吸い込み、次いでゆっくりと吐き出す。



「貴志──教皇が真珠に特別な温情を与えたのは、この子に恩ができたから──ということで合っている?」


 貴志は「その通りだ」と答える。


 実際には、それだけではないのだが、詳細を伝えるわけにはいかず、当たり障りのない回答を選んだようだ。



「今、ラジーン王太子と話をして、教皇が身分を隠して人探しの為に来日していたと聞いたわ。探し当てたら、連れ帰るかもしれないとラジーンに洩らしていたらしいけど──昨日出会えたと、連絡をもらったと言っていた……つまり、それが真珠だったと──そういうこと?」


 その質問に、貴志は無言で首を縦に振る。


 母は心を落ち着かせようと、茶器に残った麦茶を口にする。



「異性への『祝福』は婚約の証。『月光の契り』は心を許した妻への愛の証。特に『月光の契り』は、複数いる妃のうちの一人を特別扱いするものだから、ここ何代も与えられたことのない誓約だと聞いているわ。それをまだ嫁いでもいない真珠に与えるなんて、正気の沙汰じゃないと思っていたのに──」


 母はそこで溜め息をついて、更に話を続ける。



「まさか、それに加えて『月下の誓い』とはね……本当に存在していたことが驚きだわ」



 存在?

 それは、どういうことなのだろう。



 貴志も何か知っていたようだが、昨夜の儀式についての話題を出すのも気が引けて、詳しく訊ねることができずにいたのだ。


 でも、意外なことに母は、何かを知っているようだ。


 わたしは黙って、彼女の話す言葉に耳を傾けた。







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