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【真珠】『嵐の目』


 エルは貴志に届け物をしにやってきたのだが、結局例のパジャマの件で話し込んでしまい、食事を終えていたわたし達と共に滞在するフロアへと戻ることになった。


 部屋に戻る途中、貴志とエルの会話で耳にしたところによると、今日のエルはビジネス関連の謁見で国王陛下と行動を共にすることになっているらしい。



 表舞台に立たないと言われ、暗躍(あんやく)していた第三王子が、国王陛下に近侍するなど珍しい──と思いながら、二人の会話を黙って聞く。



 後ほど貴志にその感想を述べたところ、運命が変わったことにより、自分が矢面に立つ方がアルサラームの国益に(かな)うと判断し、早速行動に移したようだと教えてくれた。



 迅速に自らの状況を判断し、行動に移す有能さは流石だな、とわたしは素直な感想を洩らした。



 これから先、エルはどんな活躍をしていくのだろう。

 彼の未来の展望が、明るいものであると良いなと願わずにはいられない。



 それから、今朝のラシードの様子についても、エルは教えてくれた。


 今日はエルの予定変更もあり、ラシードは滞在する部屋にて、侍女と共に休息の一日を送ることになるようだ。


 もともと、時差による身体の不調をきたさないよう、調整を兼ねての留守番日に決定されていたので、ラシード自身何ら問題はなく、どちらかと言うと、エルが国王陛下の仕事を手伝うことを喜んでいるらしい。


 今日一日、侍女と共に一人で留守居を守るご褒美に、明日はどこぞの取引先のトップが博物館に口利きをしてくれた為、視察という名目で遊びに連れて行くことになっている、とエルは言っていた。


 当のラシードは、昨日わたし達の演奏を聴いてから、楽器の練習に熱を入れ、今日も朝から張り切っているとのこと。


 そこで、わたしは思い出す──ラシードに配慮してもらいたいことがあったのだ。


 第一に優先して叶えてもらいたい内容を、わたしはエルに口頭でお願いすることにした。



 本国へ戻ったら、ラシードの実母──第三側妃サラ妃殿下に時間をとってもらい、ラシードの弾く『トゥインクル』を聴かせてあげてほしい。

 そして、可能であれば母子の時間も取ってもらえると尚良い、と伝えることができ、肩の荷がおりた気分になる。


 エルはわたしの提案を笑顔で了承し、彼らの関係改善にも尽力すると約束してくれた。


 これで、ラシードのなかで芽生えていた、サラ妃との行き違いは解消されるのではないだろうか。


 次回、彼と会った時に、良い報告が聞けると良いなと期待している。





 エレベーターが高層階に到着し、扉が開く。

 ホールに一歩足を踏み出せば、エルとのお別れの時間だ。


 わたしもこれから貴志と共に、月ヶ瀬の自宅へ戻るため、このホテルを後にする。


 ラシードとエル──彼等は他国の人間。しかも王族だ。

 今後、滅多なことでは会えないのだろう。


 わたしは少ししんみりしながら、エレベータホールに降り立った。



 淋しさもあり、わたしの表情は沈んでいることだろう。


 少し涙目になりながら、別れの挨拶をしようと顔を上げる。


 エルと視線が合うと、彼は穏やかな笑みを浮かべ、何故かとても嬉しそうにしていた。


「真珠、多少なりとも、別れを惜しんでくれるのか?」


 エルに問われ、わたしは素直に頷く。


「それは……当たり前だよ。エルともラシードとも会えなくなるんだもの。これでお別れでしょう? ラシードにも……よろしく伝えてね」


 わたしの言葉に、エルは腰をかがめて目線を合わせてくれた。


「どうやら、今日が今回の訪日最後の別れではなさそうだ。また偶然、何処かで会える予感がする」


「そう……なの?」


 わたしは首を傾げてエルに訊ねた。


「はっきりと断言はできないが、おそらく……──だが、()()を伝えられるのは、やはり今しかないようだ」


 エルはそう告げると、わたしの手を取って(ひざまず)き、真摯な眼差しを向けた。


 突然、雰囲気を変えたエル──いや……これはシエル?


 緊張で、ドキリと心臓が跳ね上がる。



「真珠──我が天命の女神、月光の契りを交わしし心の伴侶。もしも万が一、貴志とお前の双方が、その手を離す未来が訪れることあらば──その身も心も奪うため、私はお前に最上の『祝福』を与える」



 わたしは目を見開き、エルを見つめる。



「その時は、昨夜のような遠慮はしない。この手でお前に触れ、すべてを奪う──例え、力づくだとしても、私に溺れされ、すべてを忘れさせてみせよう」



 何も応えられずにいると、エルは次いで貴志に視線を移す。



「貴志、昨夜も話したが……まだ遠い未来だが──『嵐の目』が現れる。それが何かは、今はまだ分からない。だが、迷うな。惑わされるな。それだけは伝えておく。ただひとつ分かること──その『嵐の目』は、我々にとって一番の──『強敵』だ」



 意味が分からず、エルの横顔を見つめる。


 不安に思って貴志を見上げると、彼は優しく微笑んで、わたしの頭を撫でた。



「エル、そこは心配しなくていい。俺は──迷わない。例え真珠がこの手を振りほどこうとしても、離さない。自分が誰かに対して、こんなに執着する未来が訪れるとは、思いもしなかった。誰にも譲れないんだ──悪いが、そこにはお前も含まれる」


 

 そう言って、貴志は一歩前に進み、わたしとエルの間をその腕で(さえぎ)り、牽制した。



 エルはわたしの手をそっと離し、立ち上がる。


 貴志と視線を合わせた彼は、穏やかな笑顔を見せると、今度は貴志を抱きしめた。



「貴志、お前の気持ちは分かっている。そうと知りながらも、昨夜、私の願いを聞き届けてくれたことに……感謝している。

 王族の責務は子孫を(のこ)すこと──未来の拓けた私へ、新たに課せられた使命のひとつ。十年だ──私が待てるのは……長くて十年。たとえ、叶わないと分かっていても……その間だけは、真珠を守る『盾』でありたい」



 貴志は何も語らず、エルを抱きしめ返す。

 それは、万感の思いを込めた抱擁に見えた。



 暫し、互いを鼓舞し合った後に二人の身体は離れ、こちらに視線が移る。



「貴志に再会できた運命の導きにも、感謝せねばなるまい。真珠──貴志がこの場に『在る』ことも、おそらくお前が関係しているのだろう?」



 エルはわたしに右手を差し出す。

 わたしはその問いかけには答えず、笑顔を回答の代わりとした。


 彼は、その不思議な力により、何かを敏感に感じ取っているのだろう。


 エルの右手を取って握手をし、彼に別れを告げたのち、わたし達はエレベーターホールを後にした。




 名前を呼ばれたような気がして、わたしは足を止め、振り返る。


 エルがわたし達二人の後ろ姿を見送っている様子が、この目に映った。


 貴志も後方を向き、エルに何かを伝えるために口を開く。



「エル、何も問題はない。昨夜の忠告通り、家族にも念押しをする──こいつの兄が、そこは間違いなく守るから、安心していい」



 貴志の意味の分からない言葉に、エルは胸に手を当てると(こうべ)を垂れ、笑顔を見せてから去っていった。


 その背中を見えなくなるまで見送ると、わたしは貴志と共に無言で歩き出す。



 貴志の言葉が気にはなったけれど、話の核心をわたしに隠していることが伝わったので、今は聞き流すべきなのだろう。



 それに、わたしには目下、解決しなくてはいけない問題が山積みなのだ。まずは、そこから対策を練らなければならない。



 これから自宅へ戻るのだ。


 晴夏と紅子も、トウモロコシを受け取りに我が家にやってくる。


 そして、翔平(しょうへい)飛鳥(あすか)との約束も本日だ。



 事前に、貴志に伝えておかなくてはいけないことを伝えようと、わたしは覚悟を決めてお願いを口にする。



「貴志──翔平が来た時、わたしの行動に驚かないでね。翔平はものすごく勘がいい。彼の知る、子供の真珠の対応でいかないと色々と不都合が生じる……けど……あの……その……引かないで、ね? わたしの気持ちは、貴志にしかないから……疑わないでね。お願い!」



 貴志は不思議そうな表情を見せる。


 わたしは乾いた笑いを洩らし「見てれば分かる。ダメージが大きいから、これ以上は言わせないで」とだけ伝えた。



 これを事前に言っておかないと、相当マズイ。




 真珠にとって翔平は、初めて自分が『独りぼっちじゃない』と教えてくれた、外の世界の人──真珠の世界を明るく照らしてくれた、年上のお兄さんなのだ。




 何故だろう。

 その翔平が来た時の対応を想像すると、背筋に悪寒が走るのだ。



 お兄さまの凄絶にこわ……いや、麗しい笑顔が突然脳裏に浮かんだ。

 それと同時に、今度はどうしたことか、晴夏の凍てつくような絶対零度の声がよみがえる。



 まったくもって不思議な現象だ。


 先ほどの青年二人との遣り取りで、既に気力体力も奪われているため、脳が疲れておかしくなっているのかもしれない。




 翔平への態度については、百聞は一見に如かず──あれ? 思い出すと、もしかしたら穂高兄さまもビックリの懐きようだったかもしれない?


 いや、それはちょっと言い過ぎか。


 言い過ぎ……だよね?


 うん、……多分……きっと……おそらく。



 とりあえず、わたしは翔平の知る『真珠』で対応する必要があるのだ。



 わたしの宣言によって何かを察したのだろう。

 貴志が苦笑いを浮かべている。


「なんだか、色々と面倒なことになりそうなのは……どうやら気のせいじゃ……なさそうだな──」


 彼の、深い溜め息が廊下に木霊した。











読んでいただきありがとうございます!


もう少しで、晴夏と紅子が月ヶ瀬家にやって来ます。

穂高も真珠の帰りを心待ちにしていることでしょう。


穂高

挿絵(By みてみん)


晴夏

挿絵(By みてみん)


紅子

挿絵(By みてみん)


hake様からいただいたキャラクターイラストです!


hake様のイラストは、こちらの物語の中でも拝見できます!

https://ncode.syosetu.com/n1233ep/




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