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【真珠】「手放せない……もう」


「ありがとう……?」


 わたしのお礼が最後に疑問形になってしまったのは、貴志の表情が見る見るうちに笑顔に変化していったからだ。


 何故、彼はこんな表情をしているのだろう。

 どこに笑うような要因があったのか分からず、わたしは彼の顔を凝視した。


「貴志?」


 不思議に思いながら首を傾げて、彼の名を呼ぶ。



「いや、すまない。普通、こういった状況で、エルと俺──二人に対する誠実さについて相談されるとは思わなくて。いかにもお前らしいな、と思ったら、ホッとして……思わず笑ってしまったんだ」


 貴志の言葉に、わたしは困惑を極めた。


 いつものようにサラッと貶められている訳ではなさそうだが、余計に分からなくなり、更に首を傾げる状況になっている。


 (こと)、恋愛に於いて、二人の人間から同時に想いを寄せられるという異常事態は、伊佐子時代も含めて未経験──いや、皆無と言った方が良いだろう。


 そもそも、相手のすべてを求めるほどに誰かを好きになったこと自体、初めてのこと。


 自分の対応が正しいのか間違っているのか、それさえも判断がつかない状況だ。


 貴志はわたしが難しい顔をしていることに気づき、頭を撫でる。


「言っておくが、呆れて笑った訳じゃない。どちらかというと、お前の素直さというか……純粋なところというか……臆することなく、自分の気持ちを隠そうとしないところが……嬉しかった」


 いや。

 ますます、まったく分からない。


 今度は、眉間に皺が寄ってしまう。



「真珠──お前の様子を見ればわかる。エルとの時間で、お前は嫌な思いをしなかった──間違っているか?」


 わたしは首を左右に振る。

 間違っていない。


 エルはわたしに対して気遣ってくれた。

 多少の緊張を覚えることはあったけれど、嫌な思いはしなかった。


 ──エルはこの肌に直接触れず、抱き上げることもなく、わたしが許せる範囲内で行動してくれた。


 貴志は目を細め、優しく笑うと一言だけ口に出す。


「だったら、それでいい」


 貴志の手が伸び、心地よい温度が頬に触れ、わたしはそれを受け入れた。



「エルがお前の望まないことをするとは思えないし、万が一、何かが起きていたとしたら、お前は動揺して、こんなに落ち着いていられないだろう? それに、アイツが信用のできない人間だとしたら──俺はお前をひとりで向かわせることはしない」



 わたしはハッと息を呑む。

 ──たしかにその通りだ。


 貴志の言葉に首肯し、わたしの頬に置かれた彼の手に、自らの掌を重ねた。


 そんな心の機微まで理解してくれることが嬉しくて、甘えたくなり頬ずりをする。


 貴志は遠い目をしながら、言葉を選ぶように口にのせた。




「人の気持ちを止めることはできない──相手が誰であれ、お前を想う気持ちを止めろとは言えない。だがそれも相手の心に関してのみだ。真珠、悪いが……お前の心にだけは、寛容になれない」




 最後の科白を口にした時、貴志はわたしの目を真っ直ぐ、射抜くように見つめていた。



 貴志が今まで表すことのなかった本心を聞き、彼がわたしを求めてくれていることを肌で感じられた。


 吐露した言の葉が、この心に沁みていく。



 貴志は普段、その胸の内にある想いを口には出さない。



 けれど、今──わたしの心が、誰かの手によって動かされること。それだけは耐えられないと──彼は、ハッキリと言葉にしたのだ。



 わたしのことを大切に──おそらく、とても愛しく思っているのではないかと感じることは幾度となくあった。

 それで充分だと思っていた。


 でも今、言葉にのせてその想いを伝えてもらえたことに、わたしは幸せを感じている。



 嬉しさと共に、彼に対する気持ちが、切ない痛みを伴い胸を焦がす。



 ──貴志の唇に触れたい。



 出来ることと、出来ないことがあることも知っている。



 わたしは思い切って、彼に声をかけた。


 少しだけ悪戯な光を瞳に宿しながら。



「貴志、キスをしようか」



 何を言われたのか、一瞬理解できなかったのか、貴志は目を見開いて、わたしを見下ろした。


 思考停止に陥ってしまったようで、かなり狼狽えた声が返ってくる。


「は? お前は、また何を……」


「分かってる。そういう意味じゃなくて、今のわたし達ができる、キスは──これでしょう?」



 笑顔で貴志を見上げると、その唇に親指を這わせた。



 驚いた表情を見せた貴志は、その後すぐに、その(おもて)に優しい微笑みを刻む。

 彼は、わたしの手を包むと、小さな親指にそっと口づけを落とした。

 

「……ああ、その通りだな」



 彼の指がわたしの髪を梳いた後、今度は冷たい指先をわたしの唇に重ねる。



 互いに見つめあい、フフッと笑いあったのち、その腕の中に引き寄せられ、宝物を包むように抱きしめられた。


 貴志が掠れた声で、わたしの耳元に囁く。




「手放せない……、もう。お前が俺から、逃げたいと思っても……手遅れだ。分かって……いるか?」




 わたしは彼の身体に腕をまわし、強く抱き着いた。

 貴志もしっかりと抱きしめ返してくれる。



「離さないでね……もしも、貴志の心が誰かに囚われることがあったら──わたしは、奪い返しに行くから。貴志こそ、今から覚悟しておいて」


「勇ましいな──俺のお姫さまは」


 彼はわたしの瞳を見つめ、少し呆れたように──けれど嬉しそうな声音で、そう告げた。




「今日一日で、どうしてそこまでお前の気持ちが変わったのか、とても興味がある。俺にとっては、お前の心が知れた、かけがえのない一日だったが……」


 彼は、まじまじとこの両目を見据えた。

 とても不思議だ──と、彼の表情が物語る。



 わたしはフフフッと笑い、人差し指を口元に当て、内緒のポーズをつくりつつ彼を見上げた。



「それはね……秘密」



 本当は、すべてエルのおかげ──神気を纏った彼が、貴志に触れた時に、『誰にも譲れない』と気づかせてくれたのだ。



 エルは──シエルは、貴志以外で初めて、わたしの秘密を共有した人間だ。



 彼の想いに応えることはできないけれど、とても大切な存在になったことには変わりはない。



 アルサラーム神教の太陽神が、わたしを彼の元に遣わせたとシエルは言っていた。


 けれど、そうではない。



 太陽の神様が、この世界に落とされたわたしに、不思議な(ことわり)を知る彼を、巡り合わせてくれたのだと思う。



 シェ・ラに、この出会いを感謝し、シエルとの関係を今後も大切にしていきたい──それが、今のわたしの願い。


 嘘偽りのない本当の気持ちだ。









あと一話、夜のシーンが続きます(〃∇〃)♡


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