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【真珠】『月の女神の吐息』


 どのくらいの時間が過ぎたのだろう。

 わたしはシエルの元を離れて、フェンス寄りの手すりまで移動していた。


 静かに月を見上げていたところ、背後から衣擦(きぬず)れの音がすると同時に、シエルの指先がフェンスをつかんだ。


 背の高い彼の身体に包まれるようにして佇む状態に、少しの緊張が走る。


 けれど、シエルも気を遣っているのか、身体が触れない距離を保ってくれたようだ。



 彼は気づいている──わたしが貴志以外の男性に触れられることに、抵抗を覚えていると。



 申し訳なく思いつつも、わたしが許せるだろう範囲の中で、節度ある距離を保ってくれたことに感謝する。


 シエルも沈黙を貫いている。

 もしかしたら、わたしと同じ視線の先──夜空にかかる輝く月を眺めているのかもしれない。






 囁くようなシエルの声が、この耳に届いたのは、それから暫くしてからのこと。



「ご存知でしょうか? アルサラームの古い言葉で、真珠──その名を冠する宝石が、『月の女神の吐息』と呼ばれていることを」



 『月の女神の吐息』


 ──どこか切なさを宿す……心惹かれる名前だ。



 わたしは前を向いたまま、首を左右に振った。



「女神が『想い人』に焦がれ、洩らす吐息が『真珠』に変わり、海に零れ落ちたという神話があるのですよ」



 頭上から降り注ぐその低い声音が、耳に心地よい。

 わたしは前を向いたまま、彼の言葉に耳を傾けた。



「見る角度によってその色を変える干渉色の輝きが、月の女神の感情を映すとも言われ、アルサラームでは『真珠』は霊石──御守として扱われているのです」


 わたしはシエルが教えてくれた話に、素直な感想を伝える。


「変わる干渉色を感情に例えるなんて……昔の人は、とてもロマンチックだったんだね」


 わたしの言葉を受けて、彼はフフッと笑った気がした。



 『真珠』を頭に描きながら、月の女神シェ・ティへ思いを馳せる。


 シェ・ティの吐息と言われる『真珠』が持つ、無数に及ぶ干渉色は──創造神の創り給うた人々に感情を与えた。

 内側から発光するような照りは──命を生み出す女性の強い生命力を表している。

 そう、シエルは教えてくれた。



「貴女の中に潜む──愁いと悲しみ、そして強さと優しさ──様々な干渉色で表情を美しく変化させる海の宝石と、貴女の姿が重なる」


 それは、つまり──


「わたしの姿は名前と同じ『真珠』みたいに見える……と、いうこと?」


 わたしは思い切って訊いてみることにした。



 『真珠……私の目に貴女がどのように映っているのか、興味はありませんか?』



 昼間──貴志とトイレにこもった後、シエルと二人きりになった時に彼が口にした科白を思い出したのだ。



 彼の目に、わたしがどう映っているのか、純粋な興味があった。


 先程の話だと、わたしは名前と同じ『真珠』──アルサラームの古い言い伝えである『月の女神の吐息』のように見えると彼は言ったのだ。


 一体、どういうことなのだろう?


 後ろは振り返らずに、真上に顔を向ける。

 わたしの背後に立つシエルも下を向き、その黒い瞳がわたしの双眸をとらえた。


 彼は何故か満ち足りた笑顔を見せる。

 

「目に見える姿ではありません。子供であり、大人であり──その魂の輝きが、この心を捕らえて離さない──とても美しい光の集まり……その名の如き、全き至宝──貴女は、まるで本物の真珠のように、儚くも美しい魂の輝きを秘めておられる」



 シエルの手が半透明の聖布に触れ、わたしにかけられた黒い布をフワリと浮かせる。


 広げられたそれは、この身を覆い、まるで花嫁の被るベールのように視界をうっすらと隠した。




 シエルの雰囲気が、徐々に神気を纏い変化する。

 柔和な雰囲気を醸し、性別を超えた美しさが彼に宿る様を間近で見つめる。


 神懸かった彼は、女性のようなたおやかさでわたしに向かって微笑んだ。


 ──ああ、これならば近づいても身構えずに済む。

 ほんの少しの安堵が心に生まれた。



 エルは深く息を吸うと、まるで歌うようにアルサラームの言葉で祝詞(のりと)の奏上を始める。



 月光が、その降り注ぐ光の量を増したと感じたのは、目の錯覚だったのか。

 わたしは黒の聖布越しにシエルの姿を見上げ、その動きを目で追った。








読んでいただきありがとうございます。

次話、『月光の契り』は現在推敲中。


貴志登場です(*´ェ`*)








聖布をかけられた真珠&エル


挿絵(By みてみん)


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