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【真珠】嵐の夜に


「どうしたら……何をしたら……貴志はわたしのことを覚えていてくれる?」


 わたしの声は震えている。

 緊張で歯がカチカチと鳴っている。



 貴志の息を呑む音が、室内に響いた。


 質問には答えず、わたしを抱きしめる腕の力が強くなる。




 貴志はわたしを抱き上げたまま、歩き出す。


 向かった先は、薄明かりのつけられた寝室。

 キングサイズのベッドが中央に置かれ、ベッドボードの両サイドには、一対のコーヒーテーブルが置かれていた。


 頭をそっと撫でられ、まるで幼子をあやすような仕草で、彼はわたしをベッドに横たえようとする。

 けれど、わたしは貴志の首に回した腕を解かず、身を寄せたまま。


 絡めた腕をほどいたら、貴志が離れてしまうような気がして怖かった。



「真珠、今日は色々なことがあったから、疲れているんだろう? まだ時間も早い。後で起こすから、少し休んで落ち着け。いつものお前らしくない」



 貴志の言葉にわたしは力なく腕を離し、彼を解放する。


 ああ、貴志が行ってしまう。

 少しの失望と焦燥感が生まれ、棘のある声が口をつく。



「わたしらしいって、何?」



 わたしの声に、背を向けた貴志が振り返る。

 貴志が何か口を開こうとしたけれど、わたしは畳み掛けるように言葉の渦を投げかける。



「遠く離れたら、貴志はわたしのこと、忘れちゃうかもしれない──わたしはこんなに子供だし、他の……大人の女の人が貴志の前に現れたら? それでも、わたしを選んでくれる? 覚えていてくれる? 不安になるのって、おかしいことなの?」



 この表現しようのない焦りと苛立ちは、何処から生まれるのだろう。


 貴志を困らせたいわけではないのに、あとから後から口から疑問があふれて、止まらない。


 (こぼ)れ落ちる言葉と共に、両目からもポタリポタリと雫が流れ出す。



「真……珠?」



 わたしの言葉に、貴志は驚いた表情を見せた。



 稲光が室内を照らし、雷鳴が轟く。

 エルが日中語ったように、夜になっても悪天候が続いていた。


 そのお陰で、こうやって貴志と二人で過ごせる最後の夜を迎えた筈なのに、わたしの心は嵐の中だ。


 エルの語った、意味の分からない言葉が思い出される。



『音色捧げによって、多少の降雨異常があるかもしれない。今はまだ大丈夫そうだが……夕方以降は相当荒れるだろう。


 さて、今夜は色々と覚悟しておいた方がよいぞ──真珠。それから……貴志、お前もな』




 エルは、この心に生じる荒ぶる想いを予見していたのだろうか。


 だから彼は、わたしと貴志の名を告げて、覚悟しろと示唆してくれたのかもしれない。



「貴志の幸せが、わたしの幸せだって思ってた。だから、貴志が他の人を望むなら、笑顔で送り出そうって……今日までずっと思ってた。でも……でもっ そんなことできないって──誰にも渡したくないって、気づいたの。もう戻れない──貴志のこと……誰にも譲れない……そう思うのは、いけないこと?」



 枕もとのクッションが床に転がり落ち、それを拾った貴志がベッドの上に戻す。



 わたしの隣──ベッドの前で貴志が(ひざまず)く。



「真珠。落ち着け」



 貴志の手がわたしの髪を梳く。


 わたしが何も答えずに涙を零し続けていると、貴志が苦しそうに呟く。



  「お前だけじゃない……俺だって──不安なんだ」



 貴志の言葉に、身体が固まる。


 信じられない思いで彼を見つめると、貴志は次の言葉を継ごうと口を開く──ひどく躊躇(ためら)いながら。



「お前の周りには人が集まり、皆がお前に惹かれていく。離れたら……俺のことなど一瞬で忘れて、お前は新たな出会いに向かい走り出してしまうかもしれない──お前と出会って、大切に思えば思うほど、日本を離れる日が近づくのが……ずっと……ずっと、怖かった」



 貴志の手が、ゆっくりとわたしに近づいてくる。


「情けないと……思うか?」


 貴志は自嘲の眼差しで、わたしの瞳を見つめた。


 冷たく心地よい指先がわたしの頬に触れ、目尻から流れ落ちる涙を拭う。


 わたしは首を左右に振ることしか出来ずにいた。



「本心を言えば、片時だって……離れたくない。どうしたら、俺は、お前の心の中に残れる?」



 貴志が、まさかそんなことを考えていたとは露ほども思わず、わたしは驚きに目を見開く。



「お前は俺にどうしてほしい? 何を望む? 何をすれば……お前の心に──俺を刻める?」



 ギシリとベッドが軋む。


 貴志がわたしの顔の横に手をついて、静かに見おろしている。



 切なさと狂おしさと、何かを求める瞳がわたしを見つめていた。





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