【真珠】餌付けの理由
貴志が部屋に戻ってきたのは、着替えが終わって暫くした頃だった。
「真珠、ひとりにして悪かったな。腹も減っているだろう? 夕食に出よう」
そう言いながら、彼は手にした二種類の袋を寝室へと運んでいる。
両方とも高級感のあるデザインで、持ち手のところにリボンが掛けられていた。
違いと言えば、一方は小ぶりで、他方は大きめのサイズということだけ。
「食事は、お祖父さまとお父さまも一緒なの?」
わたしは質問しながら、貴志が消えた寝室を覗き込んだ。
キングサイズベッドの隣に設置されたコーヒーテーブルに袋を置いた彼は、ネクタイを少し緩めつつこちらへ戻ってくる。
「いや、義兄さんは会議には出席せずに月ヶ瀬本社に戻っているはずだ。父さんも手配することがあるとかで、既にホテルを発った。休日返上で動き回っている」
そうか──やはり、大人同士の約定で、わたしの預かり知らぬ婚約話なのだろう。
父からも祖父からも、『婚約』について話してもらえないことに寂しさを覚える。
けれど、それと同時に、わたしが預かり知らぬうちに解消される『一時的な契約』だということも分かった。
…
貴志に抱き上げられ、ホテル最上階のレストランへと向かう。
予約されていたのは、眺望の良い個室だった。
わたしは窓際に立ち、外を眺める。
本来であれば、不夜城の夜景を楽しめる部屋なのだろう。けれど、今日は趣を異にしている。
雨粒で様々な電飾が乱反射し、目の前には幻想的な光に溢れた空間が広がっていた。
貴志に呼ばれて着席すると、まもなくコース料理が運ばれてきた。
子供用でごく少量だけれど、わたしにも貴志と同じ料理が配膳される。
不思議なことに、給仕スタッフと共に、何故かソムリエもやって来た。
貴志は今日の話し合いのために、食前酒ですら頼んでいない筈。
そう言えば『紅葉』の晩以降、わたしと一緒にいる時に酒類を口にしている姿を見たことがない。
あの夜もわたしの話を聞くため酒類は頼まず、手塚さんに勧められた果実酒を口にしたのみだった。
あの晩起きたことが、彼の心を苦しめていたことを知るわたしは、そこに原因があるのではないかと気づく。
件のソムリエが手にしているのは、高級そうなワイン。
オーナーの親族ということで、差し入れを持参したのだろうか。
『こちらは当ホテルからのお祝いです』との言葉に、貴志は「情報が伝わるのが早いな」と苦笑しながら礼を告げる。
お酒を飲む予定のなかった彼だが、折角の厚意なので、とグラスに注いでもらうことにしたようだ。
コルク栓を開けた瞬間、芳醇な香りが室内に広がる。
ソムリエのデキャンタージュを見学している間に、給仕スタッフがわたしにも葡萄ジュースを出してくれた。
こちらは料理長からの心配りとのこと。
ジュースもとても良い香りだ。
「美味しそう。ありがとうございます」
お礼と共に感想を伝えると笑顔が返され「おめでとうございます」と言われた。
わたしは意味が分からずに首を傾げる。
「え……と? ありがとう、ございます?」
何のことなのだろう?
──そう思ったところで、思い至る。
表向きは業務提携の一環。
本来の目的は貴志の月ヶ瀬復帰の一助、及び、わたしの保護──この一連のホテル側の動きで、貴志とわたしの婚約話が、今日の定例会にて既に公表された事実を知ることとなった。
『インペリアル・スター・ホテル』で開催された星川リゾート系列の定例会議。そこに参加したホテルのお偉いさんが貴志の予定を調べ、こちらのレストランに伝達したようだ。
仕事が早い。
気遣いも流石だ。
そしておそらく皆、これが業務上の契約だということを分かっているのだろう。
内心では、こんなちびっ子のお世話係に任命された貴志に同情しているのかもしれない。
けれど、それをおくびにも出さず、こうやって幼いわたしに対しても一個人として対応してくれるのだ。
感謝をしなければいけない。
食事の最中、窓の外が突然光った。
雷鳴と同時に、雨が激しさを増しているようだ。
殆ど自分で食べてはいるが、今日も今日とて貴志が餌付けをしてくる。
わたしはアーンと口を開け、料理が口に運ばれるたびに舌鼓を打つ。
昼間食べたサンドイッチも美味しかったが、レストランの料理はまだ格別の味。
咀嚼するたびに笑顔がこぼれ、それを見る貴志も嬉しそうだ。
ラシードがここにいたら、貴志は彼にも餌付けをするのだろうか?
そんな考えが生まれ、ずっと疑問に思っていたことを質問してみる。
「貴志は、子供に食べさせるのが趣味なの?」
この機会に、わたしの中にずっとあった『貴志、子供への餌付けが趣味説』を確認しておきたくなったのだ。
「何故、そうなる?」
貴志の怪訝な顔と声音が返ってくる。
「違うの? だって、いつも食べさせてくれるから。てっきり……」
貴志は動きを止めて、難しい表情を見せて呟く。
「最初は、服を汚さないように……が目的だったな、確か」
そう。
鬼押出し園では、そう言って食べさせてもらったのだ。
そして、その後も、餌付けは続いた。
「こうやって誰かと共に食事をすること自体、あまりなかったからな。なんというか……お前の食べっぷりと、美味いものを口にした時の表情を見ると、何故か心が温かくなるんだ。
今までその理由を考えたことはなかったが、間近で……お前の笑顔を、見たかったのかもしれない」
ワインで喉を潤しながら、貴志は珍しく饒舌に語る。
とても優しい笑顔に、こちらの心臓が跳ね上がる。
酒精の入った貴志の仕草は、いつもよりも色気が増している。
彼の醸し出す雰囲気には慣れていた筈なのに、今日に限って反応してしまうのは、自分の本当の気持ちに気づいたからなのかもしれない。
【祝・200話】
今日の投稿で、200話となりました。
ここまで続けて来られたのは、応援の声をかけてくださる皆様と、読んでくださる方々のおかげです。
本当にありがとうございます!
これからも楽しんでいただけるよう頑張ります。







