君は誰?
事態がうまく飲み込めず、激しい動揺が頭の中を巡る。
(誰? なぜ私の舞台に……? オーケストラは?)
少年はかなり恵まれた顔立ちをしていた。
こんなに呆けた顔をしていても、それさえも魅力と受け取れるほどに、将来有望な端整さだ。
こんな状況で全く余裕もないはずなのに、却ってそんなどうでも良い感想が漏れてくる。
(あれ? でも、なんだかおかしい)
初めて見る顔のはずなのに、何故か懐かしさを感じるのだ。
そう、私は――椎葉伊佐子はこの顔を知っている。でも記憶の底にしまわれた「彼」はもっと大人びていたような……。
(どこで見た? どこで……?)
必死に記憶を手繰り寄せようとした瞬間、ドッと堰を切ったように流れ込む膨大なイメージに襲われる。
これは、記憶――自分以外の誰かの?いや、これは「わたし」自身の記憶だ。
そう、これは「今」のわたし――月ヶ瀬 真珠の生まれてから五年分の記憶。
驚いた顔でこちらを凝視するピアノ少年は、月ヶ瀬 穂高 7歳。2つ年上の真珠の兄だ。
(そう、この驚いた顔のスチルには覚えがある……)
伊佐子の記憶がその絵を導き出す。
(スチル? ……あれ⁉ どういうこと?)
ヒュッと息を吸う音が自分の口から生まれる。
ピアノの前に座る「今」のわたしの兄・穂高は、どう見ても生身の人間だ。が、伊佐子の記憶に残る二次元の絵が何故か彼と繋がる。
自分がプレイヤーとして操作した「主人公」の演奏に驚いた場面で見せた攻略キャラ・月ヶ瀬穂高の顔にそっくりなのだ。
伊佐子の記憶が知る穂高よりもかなり幼いが、間違いない。
(攻略キャラって……こんな時に何を言っているんだ? 夢でも見ているの?)
伊佐子は自分の残念な思考を封じ込めようとする。
(だって、いや、でも、これは現実で……)
もう一人の幼い「わたし」が、困惑の渦に飲み込まれそうになる。
流れ込む記憶と共に激しい頭痛が再び「わたし」を襲う。
演奏は止められない。何があっても悟らせずに平然と弾き切らねばならない。
それが演奏家が演奏家たるための矜持だ。
その思いは、幼い真珠としててはなく、バイオリニストとして生きてきた伊佐子のプライドだ。
けれど、意識を失っていく感覚が身体を支配する。
(今度こそ本当に倒れてしまうのか……)
抗うこともできず、咄嗟に楽器を守ろうと身体が自然に動く。
同時に、兄が「今のわたし」の名前を焦った声で叫ぶ。
「真珠!」
――と。
自分の身に何が起きたのか全く分からないまま、わたしの頭は混乱でキャパオーバー。
激しい動悸も始まり、視界の端に駆け寄ろうと手を伸ばす兄を認めたが、わたしはその手を掴むことなく舞台に倒れていった。
暗転した視界のなか――
(夢を見ているのだろうか?)
伊佐子である「私」が疑問を投げかける。
(これは現実なの?)
真珠である「わたし」が途方に暮れる。
自分の身の上に起きたことが全く理解できない。
何処か遠くで、悲鳴と、騒然とした空気の揺らぎが生まれる。
そのざわめきを聞きながら「私」と「わたし」は完全に意識を手放した。
月ヶ瀬真珠――以前プレイしたことのある乙女ゲーム『この音色を君に捧ぐ』の悪役令嬢の名前だ。
わたしは「今」何故かその名前で呼ばれ、真珠として生きてきた記憶を持っている。
(これは……どういうことなのだろう?)
2つの思考が、怒涛の如く頭の中を暴れまわる。
頭痛は更に激しさを増していった。