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【真珠】『トゥインクル - Twinkle -』と太陽


 ラシードと共にスケールを弾き、曲をさらった後、二人で窓辺に寄って高層階からの景観を確認する。


 バイオリンを抱きかかえ、窓の外に目を凝らすと、都内全体が灰色に染まって見えた。

 遠方を眺めると、白い靄もかかっている。



 台風の暴風域に入ったのか、窓を打つ雨粒が大きさを増しているようだ。

 まさしく横殴りの雨。



「雨が気になるのか?」


 外に目を向けたわたしに、ラシードが不思議そうに問うた。


「うん……家に帰れるのかな──て、思って」



 祖母と『星川』で話した時に聞いていたが、貴志は夕方からホテル内の会議に出席することになっている。

 今夜、わたしは貴志と共に夕食をとった後、お抱え運転手の榊原さんと自宅へ戻る予定だった。


 貴志が月ヶ瀬まで送ると言ってくれたのだが、今朝早くに中禅寺湖から長時間の運転をしてくれた彼に、無理をさせたくなかった。



「帰ってしまうのか? わたしは真珠をアルサラームまで連れて行くつもりだったぞ? 初めての友達だからな。いつも傍に置いて、大切に守らないといけない」


 ものすごく得意げに言われたのだが、わたしは苦笑いだ。


 目の前で泣きべそをかくという醜態を晒したこともあり、お互い、思ったことを素直に口にできるようになっていた。


 親近感を覚えている、と言った方が良いのかもしれない。



「わたしもラシードと一緒で、お母さまにギュッてしてもらいたい。だから、家族と離れるのは悲しいよ」



 彼は目をパチクリさせると、少し考える素振りを見せ、口を開く。



「ああ……そうか……そう、なのだな。母上と離れるのは、わたしも悲しい。うむ、わかった。でも、遊びたくなったら迎えに来るぞ? 王宮に遊びに来い。約束──針千本だ」



 そう言って小指をサッと絡ませた後、ラシードはタペストリーの下に移動した。



 バイオリンを手に、シェ・ラの象徴を見上げた彼は、歌うように言葉を紡ぎだす。

 アルサラームの言葉なので、意味は分からない。けれど、祈りを捧げていることだけは分かった。



「天気は心配するな。音色を捧げれば、太陽は必ず顔をのぞかせる。それが──シェ・ラの御力(みちから)だ」



「へ? 太陽が顔を出すの? この、土砂降りの雨の中?」



 ラシードが振り返り、満面の笑みをわたしに向ける。



 エレベーターホールで衝突した時に見た不機嫌そうな表情とは違う、柔らかな眼差しだ。



 彼の持つ、黒猫のようなしなやかさと印象的な碧眼が輝き、抗いがたい魅力を醸し出す。

 エキゾチックな美しさは幼くても健在のようで、少しだけ見惚れてしまった。



 ラシードの言葉の意味が理解できずに首を傾げると、彼も同じ方向に首を倒す。



「なんだ? 儀式のときは必ず太陽が顔を出すものだ。王族は太陽神の末裔だからな」



 彼が、あまりにも自信たっぷりに言うものだから、わたしは好奇心をくすぐられ興味津々だ。

 多分、わたしの目はキラキラと輝いていることだろう。


 現在は、生憎の雨模様。

 儀式の際に太陽が顔を出すというのならば、是非とも見てみたい。



「さあ! シェ・ラに音を捧げよう。一緒に弾こう! 真珠」



          …




 『きらきら星変奏曲』


 世に名を馳せるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作った変奏曲。


 モーツァルトが付けた本来のタイトルは『ああ、お母さん、あなたに申しましょう - Ah, vous dirai-je, Maman -』だ。


 想いを寄せる人について母親に打ち明ける、若い娘の心情を歌った──恋の歌。パリで流行したシャンソンが元になっている。


 対位法的発想に基づいた十二の変奏から成る佳曲は、天才と謳われるモーツァルトの才能を余すことなく披露してくれる。


 世界中で広く親しまれたこの曲は、英国や米国で『Twinkle, twinkle, little star』という歌詞で親しまれ、日本に伝わり『きらきら星』と呼ばれるようになった。


 歌に合わせた旋律は主題のみの短いものだが、十二の変奏から成るこの曲は、全てを弾き切ると十分以上にわたる演奏時間が必要となる。


 サラ妃はラシードの為に複数の変奏を選び、幼い子供が余裕を持って弾き切れる長さに調整し、編曲している。


 譜面をさらった時に確認したが、主題を弾き、第一変奏、第三変奏、第五変奏と移り、最後は第七変奏で終わっている。


 シフトを学び始めた段階でも弾きやすいよう、ファーストポジションとサードポジションで弾く仕様になっているのも細やかな配慮のひとつだ。



          …



 ラシードのバイオリンがメインテーマを奏でる。

 ──子供たちが夜空に思いを馳せて歌う、きらきら星の旋律だ。



 (はじ)ける閃光のような音が、輝きながら空間に広がっていく。


 たしかな光を纏った一粒の音色が、次々と生み出される。


 彼が愛器を爪弾くたびに、鮮烈な光を帯びた恒星が現れ、そこかしこへと散らばっていく。



 彼の調べは残念ながら、まだ──完成されたものではない。

 けれど不思議なことに、粗削りではあるものの、心惹かれずにはいられない色彩を宿しているのだ。



 変幻自在な変奏曲は、主題を二度繰り返した後、第一変奏へと移る。



 わたしはピアノの伴奏譜の主要音を拾いながら、彼の表現する『きらきら星』を補完していく。





 彼が紡ぐ音の連なりは──金銀に(またた)く星々。


 わたしはその光を(かいな)に抱く──紺碧の夜空。




 彼の奏でる(かそけ)き灯を見守り、


   わたしは静寂の星月夜に、闇色の(とばり)を下ろす。




 星影を妨げることなく、生まれたばかりの光を慈しむように。





 主題で彼の指先が生み出した恒星の輝きが、第一変奏に移った瞬間、一転する。


 フィンガーボードの上で踊る指が速度を増し、その表情を変える。




 ああ!

 これは──美しく(きら)めく、光の帯だ。




 夜空一面を覆い、光の筋となって降り注ぐ流星群。


 数多(あまた)の流れ星を率い、天空から舞い降りる幾筋もの軌跡。


 昏い夜空をキャンパスにして、極彩色の光線が地上にむかい(こぼ)れ落ちる。




 流星群が何度も輝き、天空を覆う紺碧を華やかに染め上げる。


 まるで光のシャワーだ。




 圧倒されるような(まばゆ)さに目を細めていると、第三変奏が訪れる。




 ここはまるで──星祭りの会場。


 軽やかなリズムがこの場を支配していく。


 篝火を囲み、音楽にあわせて手を取りあい陽気に踊る。


 心を躍らせ、ステップを踏み。

 離れては近づき、クルクルとまわる人々の幻影が見える。



 ああ、名残惜しい──楽しい星祭りの夜は、あっという間に過ぎていく。





 二人で息を合わせ、流れるようなひとつの旋律を紡ぐ第五変奏。



 シンコペーションを演出しながら、かわるがわる主旋律を数音ずつ弾く。


 二人の呼吸がピタリと嵌り、まるで一人の人間が音色を奏でているような自然な調和が生まれる。


 切れ目なく折り重なる演奏の心地良さに、恍惚となる。



 彼の心が弾むと、わたしの音色も踊る。


 二人で共に織り上げる音の粒の輝きに、笑みがこぼれる。


 わたしと彼の心が共鳴しあう。

 歓喜を感じる演奏に、胸がいっぱいだ。




 第七変奏に移り、演奏も終盤を迎える。



 青味を帯びた昏い夜空を見上げ、光の粒に手を伸ばす。


 瞬く綺羅星に触れることはできない。


 けれど、その美しさに惹かれ、心奪われてしまうのは人の(さが)なのだろう。



 夜空に、燦然(さんぜん)と輝く(ほうき)星が現れる。


 その彗星が率いる流星群が、地上に向かって流れ落ち、光の雫となる。


 上空を彩る星々に照らされ、幻想的な世界が頭上に広がる。




 ラシードの爪弾く音色が語る世界の、なんと美しいことか。


 もっとこの輝きに溢れた世界に浸っていたい。




 そう思いながら、最終音を生み出した──その瞬間。




   眩いばかりの光芒が、この身を包んだ。




 ヴィブラートをきかせた残響が室内に木霊する。

 その音が消滅した後、わたしは嵌めガラスに目を向けた。



 ──この身に降り注ぐ、光の正体を知りたくて。




 白く輝く光線が窓の外から差し込み、部屋の中を明るく照らす。



 都内を白く煙らせていた激しい雨は、不思議なことに消失していた。



 仰ぎ見た天空には、煌々(こうこう)と輝く太陽。



 先ほどまで重く垂れこめていた鈍色(にびいろ)の雲は何処へ消えたのか──天上を彩るのは、抜けるように澄んだ青空。




「え? 雨……は?」




 驚いてラシードに目を向ける。


 彼は上空に向かって両手を広げ、満足そうに微笑んでいた。




「真珠、これが太陽神の御力だ。『友情の祝福』は結ばれた。喜べ! これでわたしとお前の誓約が成ったのだ」




 二人で窓際に寄り、都内の全景を眺める。


 先ほどまで、この窓を打ち付けていた激しい雨は見る影もなく、灰色だった景色すら既にそこにはない。




 雨に濡れそぼったビル群が、太陽光を反射させ、キラキラと光輝(こうき)を放つ。


 眼下に点在する森は、神社や御苑の一角だろうか。




 鮮やかに色づいた人工の建造物と、穏やかな彩りに満ちた自然の息吹が共棲する。



 なんとも不可思議な都市の景観だった。




「この国は──美しいな」



 窓から見下ろした風景に向かい、ラシードは静かに感想を洩らした。



          …




 高層階からの眺望を二人で堪能していたところ、廊下から足音が届いた。


 少し慌てたような靴音。

 ──貴志とエルの声も、微かに聞こえる。


 何を話しているのだろうか、その声が徐々に大きくなり、この部屋に近づいている様子が伝わった。



 わたしとラシードは、視線を交わす。

 お互い訝し気な表情だ。



 二人でコテリと首を傾げた瞬間──



 勢いよく扉が開かれ、血相を変えた貴志と共に、慌てた様子のエルが室内に飛び込んできた。











ブクマ、評価、感想をいただき本当にありがとうございます。


更新の大きな励みになっております(^^)


気に入っていただけましたら、ページ下部より★評価をいただけると大変嬉しく思います(*´ェ`*)♡

どうぞ宜しくお願い致します。


  ♡♡♡


『きらきら星変奏曲』


知らない人はおそらくいないであろう、名曲中の名曲ですね(*^▽^*)


少し変わった演奏のリンクはこちらから↓


幼い頃のSohyun Koちゃんの演奏です。

https://youtu.be/4qpf9kSNuFU?list=RD4qpf9kSNuFU

ラシードは、サラ妃がアレンジを加えた楽譜にて、こちらに近い演奏をしております。が、音域については↓に近い感じです。


こちらはアレンジをかなりきかせた、映像で見せる『きらきら星』です。

クラシックではないのですが、こういった演奏を好む方もいらっしゃるかな?

と、リンクをつけてみました。

https://youtu.be/fh_zMUqJp68


正統派クラシック。都庁ピアノでの演奏。

ももかし先生の音が好きです。

https://youtu.be/U2YNivyrlnw


ハープシーコードでの演奏。

モーツァルトはこんな音色で弾いていたのかな、と過去に思いを馳せ……(^^)

https://youtu.be/3izeEp3JKwc


Magdalena Baczewskaさんの演奏。音色も素敵ですが、ご本人も美しい方です。

https://youtu.be/Lcmmc-_bfGo





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