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【真珠】恋しさと涙


 ラシードは腕組みをしながらソファのクッションにふんぞり返り、わざと尊大な態度をとっているように見えた。


 涙で濡れた睫毛により、泣いた痕跡は残っているのだが、自分を奮い立たせようと頑張っているようだ。


 いつまで経っても話し出さない彼に、痺れを切らしたわたしは口を開く。


「ラシード、内緒のお願いって、何のこと?」



 彼はチラッとこちらを見てから、スイッと視線を逸らした。


 両手の指を組むと、膝の上にてモジモジと動かしている。



「わたしが話した内容……兄上には言わないでほしい。二人だけの内緒話だ。さっきのアレは……真珠が、母上のようにギュッとしたから……、したから! 思わず──話してしまった、だけだ!」


 科白が後半になるにつれ、声がどんどん大きくなっていく。

 照れ隠しで逆切れしているのだろうか。



 でも、そうか──良かった。



 彼は時折でも、サラ妃に抱きしめてもらっているのだ。



 安心すると共に、わたしの胸が少しの痛みを訴える。



「いいな、お母さんに抱きしめてもらっているんだね。ラシードが……羨ましい」



 思わずこぼれてしまった本音に驚き、ハッと息を呑む。



 これは幼い『真珠』の素直な気持ち。

 妬みや嫉みではなく、ラシードへの羨望だ。



「真珠!?」



 ラシードが慌てたように立ち上がり、わたしの目の前でオロオロとしている。


 どうしたのだろう。

 かなり挙動不審だ。


 仔猫が右往左往する様に似ていて、とても可愛らしい。


 その様子が微笑ましくて、わたしはラシードに笑いかけた。



 あれ?

 でもおかしい。



 視界が霞んで、彼の姿が歪んで見えるのだ。



 ラシードは更に困った顔になる。


 彼は深呼吸をしてから唐突に腕を伸ばし、わたしのことを力任せに引き寄せた。


 そのままラシードに抱き留められるかたちで、二人してソファの上に置かれたクッションに倒れ込んでしまう。



 彼は茫然としながら、声を荒げた。



「お前は、何故そんなに軽いのだ。引っ張ったら倒れてくるから、驚いたではないか!」



 いや、それはこっちの科白だ。


 わたしは言葉も出せずに彼を見つめるだけだ。


 ラシードが「まあ、いい。今回は許す」と言いながら、わたしの頭をそっと抱きしめる。



 ますます訳が分からず困惑していると、彼は小さく呟いた。



「さっきのギュッのお礼だ。泣いているのに笑うなんて、お前はやっぱり変なヤツだ!」



 ──泣いて?


 ラシードの言葉に驚いたわたしは、自分の頬に手を当てた。

 温かい水滴が指先につく。



「え? わたし──なんで泣いているんだろう?」


「そんなこと、わたしが知るか! こっちが知りたい!」



 ああ、そうか──これは『真珠』が抱える悲しみだ。


 生まれ落ちてからの五年間、『真珠』は母親の愛情を受けることができなかった──子供にとっては、長い長い年月だ。



 そう、『真珠』は一度でいいから──母に抱きしめて欲しかったのだ。



「もう、大丈夫。今はお母さまに、ちゃんと抱きしめてもらっているから……あれ? でも、なんで? 止まらないよ。どうしよう」



 ──涙が。



 この悲しみは、小さな胸に刺さった棘。

 今は、母は抱きしめてくれるし、大切にされていると思う。


 けれど、真珠の人生の殆どは、母恋しさで埋められていた。




 真珠がバイオリンを習い始めた理由は?


 ──そうだ。


 母のクローゼットに仕舞われたバイオリンを発見したからだ。



 祖母に確認し、昔、母がバイオリンを習っていたことを知った。


 同じ習い事を始めたら、もしかしたら自分を見てくれるのではないか?──そんな期待もあった。


 少しでもいいから、気にかけてもらいたかった。

 母の目に入りたかった。

 こちらを見てほしかった。


 それが、わたしがバイオリンを選んだ理由。




「泣きやめ。これでは、わたしがお前を泣かせたようではないか。そうだ! お菓子だ! お菓子をやろう。だから、すぐに泣き止め。それとも、どこか痛いのか?」



 ラシードが必死に宥めてくれた気がするが、その後のことはよく覚えていない。


 彼は相当、わたしに手を焼いたことだろう。


 心に眠っていた悲しみの方が勝ってしまい、自分では感情の制御ができなかったのだ。



          …



「はぁー! いっぱい泣いてスッキリした! もう大丈夫。泣いちゃってごめんね。心配してくれて、ありがとう」


 心配するラシードを安心させるため、満面の笑顔を作る。



「もともとは、内緒の約束の話だったんだよね?」


「そうだ! 二人だけの内緒の話だった」


「じゃあ指切りをしようか。内緒の約束」


 わたしはフフッと笑いながら、ラシードに針千本の指切りの仕方を教える。


「わたしが泣いたことも、ラシードが泣いたことも──二人だけの秘密」


 ラシードは顔を赤くすると、怒ったようにキッと目を吊り上げる。


「わたしは泣いてなど、いない! 人の上に立つものは、人前で泣いてはいけないのだ──でも……本当は、少しだけ泣いた。嘘をつくのも、いけないことなのだ」


 最初は、泣いたことを認めようとしなかったけれど、すぐにその発言を覆し、気まずそうに落涙したことを認める。


 彼の感情が、行ったり来たりしているのがよく分かった。


「今まで、自分の気持ちを話せる友人がいなかったから、どうして良いのか分からない」


 ラシードは、最後にそう白状するとガックリと肩を落とした。




 わたしが右手の小指を差し出すと、ラシードも小指を絡めてくる。


 素直に指切りをするところが可愛くもある。



「これが、兄上と姉上が言っていた『ハリセンボンの約束』か……」



 ラシードは小さく呟くと、重なった小指を感慨深げに見つめている。



「アルサラームにも『針千本の約束』があるの?」



 コテリと首を傾げて、わたしは蒼い双眸を覗き込んだ。



「いや、昔、姉上が貴志に『祝福』の約束を強要して『ハリセンボン』をしたと聞いた。でも、その約束を兄上が横取りしてしまい、怒った姉上がハリセンボンを用意して、貴志と兄上を怖がらせたと聞いたことがある──真珠、ハリセンボンとは何だ?」



 なんと!?

 針千本を目の前に出されたのか?



 髪をまとめてもらっていた時に、彼が零した言葉が耳奥によみがえる。



『子供心に、とても恐ろしかった──実はその直後の記憶が、何故かないんだ』



 それはそれは、恐ろしかったのだろう──幼い子供時代のこと。針千本を目の前に出された時の恐怖は推して知るべし、だ。


 鏡越しに見た彼の瞳から、光が消えるほどの記憶だ。気にはなっていたが──なるほど、それは忘れたい記憶として処理されていても不思議ではない。


 王宮プレイデートは、貴志にとって相当な受難だったことが推察された。


 先程の写真でも見たが、おそらく無理矢理女装をさせられ、更には針千本を飲むよう強要されたのだろう──哀れとしか言いようがない。


 あやつめは、紅子といい、理香といい、そして件のラフィーネ王女といい、本当に女に振り回されているのだな。


 『お祓いでもした方が良いのではないか?』と彼の行く末も心配になってくる。



 ハリセンボンは『針千本』だとラシードに伝えたところ、彼の顔が引きつった。


 そして、自分の小指を眺めてゴクリと唾を飲み込み、わたしの顔に恐る恐る視線を移す。



 約束を破ったら飲むのか!?──と、言葉には出さず、目で質問されたような気がした。



 蒼い瞳を見つめ返したわたしは、コクリと頷く。


 それと同時に、ラシードは何とも形容しがたい苦い表情をして溜め息をついた。


 二人で目を合わせたまま暫く沈黙が続いた。

 その静けさに耐え切れなくなり、どちらからともなくプッと噴きだして笑い合った。


 ひとしきり笑ったあと、ラシードがスッキリとした表情を見せる。



「わたしは貴志が羨ましい。兄上にも姉上にも必要とされ──真珠にも必要とされているのが見ていて分かる」




 ラシードの言葉を聞き、貴志のことを思い浮かべる。


 彼を想うと、胸いっぱいに幸せが広がり、自然と顔が綻ぶ。


 そう、わたしは間違いなく、貴志を必要としている。

 とても、とても大切な存在だ。




「兄上は貴志に『友情の祝福』を与えたと聞いている。わたしもいつか、友と呼べる者にそれを受け取ってもらいたいのだ」


「『友情の祝福』? 貴志が受けたの?」



 初耳だ。


 それは、わたしがラシードから与えられた『祝福』とは違うものなのだろうか?


 わたしの疑問の意図を理解したラシードが、『祝福』と『友情の祝福』について教えてくれた。



 異性に与えるのが『祝福』──与える側が、太陽神に音色を奉納し、将来を誓い合う婚約の誓い。


 同性に与えるのが『友情の祝福』──共に音色を奏で、シェ・ラに永遠の友情を誓約するらしい。




「『友情の祝福』は一緒に演奏をするの? そっちの方が楽しそうだね」



 わたしが思ったことを素直に伝えると、ラシードは顔を輝かせた。



「そうだろう! 真珠、わたしとは『祝福』ではなく『友情の祝福』を交わそう! お前がわたしを必要としてくれるのならば、伴侶でも友でも、どちらでも構わない! 兄上が将来お前を望むのならば、兄自身で『祝福』を上書きすればよいのだ」


「え? 待って、わたしは同性じゃない」



 そう言ったけれど、ラシードは既に目をキラキラさせて興奮状態。


 こちらの声はまったく耳に入っていないようだ。



「お前はわたしの物だ──守ってやるから傍にいろ。伴侶は何人でも持てる。でも、初めての友人はお前だけだ! 友人の方が、特別なのだ。きっと!」


 待って。

 彼の中の認識で、勝手に優先順位が決められているようだが、本当にその順番でいいのだろうか?



 いや、わたしはいい。

 正直、願ってもない申し出だ。


 『友情の祝福』ならば、結婚の約束ではない。よって、『祝福』辞退に相当するものと見做しても良い筈だ。



「よし! 準備をするぞ、真珠。兄上が戻ってくる前にシェ・ラに音色を捧げよう! わたし一人でも祝福の儀式ができたと褒めてもらうんだ!」


「へ? 今⁉ あの……差し出がましいかもしれないけど、エルを待った方が良いと思うよ?」



 ラシードは猪突猛進の勢いで『友情の祝福』の準備に取り掛かる。



「ん? ああ、そうだな。そんなことより真珠、早くバイオリンを出せ」



 駄目だ。まったく話を聞いていない。



「ラシード? とりあえず『祝福』の奉納じゃなくて、一緒に弾く準備をしよう? 『きらきら星変奏曲』を弾いているんだよね? 伴奏譜もあったりするのかな?」


「伴奏譜? 兄上が作ったものならピアノの上にあるぞ」



 ピアノの上から譜面を取り、音域を確認する。

 ラシードがメインパートを弾くので、それに合わせて伴奏をつければ合奏可能だ。


 けれど、ピアノの音域で出せてもバイオリンでは出せない音もある。


 出せない音については適宜変換しようと決め、音符にザッと目を通す。


 ──これならば、何とかなりそうだ。



 勝手に弾き始めてしまっていいのだろうか?


 部屋の扉に目をやるが、貴志とエルの二人は戻ってくる気配がない。


 どうしたのだろうと思いながらも、ピアノでAを鳴らし、チューニングに取り掛かる。




 窓の外が気になり、外に目を向ける。


 窓ガラスいっぱいに鈍色の空が広がっている。

 雨足も強いようで、高層階の窓に雨粒が叩きつけられる。


 台風が上陸する予報のため、風雨の勢いは増しているようだ。



 外の様子に気を取られていたところ、ラシードがいきなり曲を弾き始めようとバイオリンを鳴らし始めた。


 わたしは慌てて、それを制止する。



「ラシード、待って。まずは指の運動をしよう? 音の確認も兼ねてスケールからだよ。Aメイジャーだけでいいから攫っておこう」



 わたしの言葉に、蒼い瞳が不服を訴える。



「お前は先生みたいなことを言うんだな。音階なんて弾いても楽しくないではないか。つまらん」



 頬を膨らませた彼に向かって、わたしは真剣に言い聞かせる。



「千里の道も一歩からだよ。基本が出来ていなければ、そこから上には這い上がれない」



 渋々ではあるが、ラシードは指定されたスケールを弾き始める。




 晴夏のような絶対音感的なものではないが、ラシードも耳は良いようだ。

 音に殆どズレがない。



「バイオリンの先を──スクロールを少し上に構えて。そう、これだけで音の広がり方が違うでしょう?」



 ラシードが目を丸くして、わたしを見つめる。


 部屋中に響く音色の変化が顕著だったため、驚いているようだ。



「お前は──音楽の神、カ・テラに愛されているのだな」



 ラシードは嬉しそうに笑い、バイオリンを歌わせた。




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